2浪中の予備校生が受験のストレスから両親を撲殺した「金属バット殺人事件」の背景にあった、加熱する受験戦争と教育虐待の実態
集英社オンライン / 2025年1月19日 16時0分
〈AO入試や指定校推薦なんてけしからん! 日本の「ペーパーテスト信仰」を育んだ、人生を賭けて点取りゲームをした時代〉から続く
エンタメ化・スポーツ化しているとも言われる「日本の受験」は、これからどこへ向かうのか。そして日本人にとって受験とはいったい何なのか。
【画像】「女が大学なんて行ったらお嫁に行けなくなる」といわれた昭和の大学受験
新進気鋭の受験評論家・じゅそうけんによる『受験天才列伝――日本の受験はどこから来てどこへ行くのか』(星海社新書)より一部抜粋してお届けする。
共通一次試験の導入
高度経済成長の中で大きく業績を伸ばしていた日本企業ですが、大手企業の採用大学は決まった上位大学で固められており(今も状況はたいして変わっていませんね)、18歳時点の学力が生涯の地位や年収を左右する最重要ファクターとなってしまいます。
こうした学歴至上主義的な事態や詰め込み教育への批判が高まり、これを受けて文部省が対策に乗り出すことになります。
1971年(昭和46年)に文部大臣の諮問機関である中央教育審議会が具申した「四六答申」の中には、「共通テストを開発し、高等学校間の評価基準の格差を補正する」「必要とする場合、専門分野において重視される能力についてのテストや論文、面接を行い、それらの結果を総合的な判定の資料に加える」という内容が盛り込まれました。
国立大学協会も検討に入り、全国共通の一次テストを実施し、その上で各国立大学が独自の試験を行うスタイルが導入されました。
1979年度より国公立大全受験者が「5教科7科目」の「共通一次試験」(国公立大学入試選抜共通第一次学力試験)を受験することになります。なお、この「共通一次試験」はセンター試験(大学入学者選抜大学入試センター試験)、大学入学共通テストと名前を変えながら、現在でも同形態で実施されています。
国立大学の入試は、戦前の旧帝国大学からの流れを引き継ぎ、1950年代までは論文入試が普通でした。
しかし、1960年代以降の大学受験者数の急増によってそのスタイルを維持するのが難しくなってしまいます。大学の大衆化に伴う避けがたい流れですが、これ以降は難問・奇問を含んだ、「受験生を振るい落とすための選抜試験」の様相を呈し、これが問題視されるようになります。
こうした事情があり、「公正・公平」の保証として優れていた共通一次試験が重宝されることになったという側面もあるようです。
加熱する受験戦争
共通一次試験導入の本来の目的の一つに、アメリカの全米共通テストのSATのように、高等学校における学習達成度を見る指標とし、それを受けて大学がそれぞれ独自性に富んだ二次試験を実現することがあったはずです。
しかし、本制度の導入によってアメリカのようなスタイルには至らず、むしろ学歴主義を加速させてしまうことになります。
共通一次試験は、二次試験と合わせて総合的な合否判定に使用されるというよりも、二次試験の受験資格を得るためのパスポートの側面が大きくなってしまったのです。
一次試験と二次試験の得点比率を大学側が自由に設定できることも問題でした。
東大や京大など最難関大学では二次試験が重視されましたが、多くの国立大学は共通一次の比率を7割や8割に設定しました。こうした共通一次偏重の傾向により、各大学の特色となるはずの「アドミッションポリシー」などは生まれず、むしろ「詰め込み教育」の温床となっていきました。
さらに、共通問題が導入されたことによりその得点率によって大学が序列化されるようになり、国立大学の偏差値ピラミッドがはっきりと現れてしまうという思わぬ事態も生みました。
共通一次試験が導入された1979年以降、学歴社会に拍車がかかった感があります。
受験戦争が過熱する中、どうしても我が子に学歴を身につけさせたい親たちが暴走してしまう事例がこの時期(昭和後期)から見られるようになります。
それまでの日本では、農業、漁業、林業といった一次産業や、工業や製造業といった二次産業に従事する人たちが圧倒的多数派であり、大学は経済的に恵まれた人や、一部の秀才が行くところだと考えられていました。1950年代までは大学進学率は10%以下、高校進学率ですら60%を下回っていました。
ところが、1950年代後半からの高度成長期に入ると、第一次産業が急速に衰退していき、都市を中心としたサービス業や情報通信業といった第三次産業が急成長するという、産業構造の大きな変化が起こり始めました。
目立ち始めた教育熱心な家庭と教育虐待
地方出身の人々が故郷に見切りをつけ、大量に都市部に流れ込むようになったのもこの時期です。そういった層が東北地方から大量に流れ込んできたのもこの時期です。主に農村地域の中学校の新卒者が集団で都市部に就職する「集団就職」と呼ばれる形式の就職が盛んに見られるようになりました。
多くの若者が東北本線の臨時夜行列車で上京し、上野駅に彼らが殺到した光景は当時の風物詩となっています。彼らが第一世代となり、我が子には銀行、病院、広告代理店、商社などに勤務するエリートとして飛躍してほしいと考え、そのための切符としての「学歴」に執着するようになります。
この頃の親世代は第二次世界大戦を経験し、基本的に学歴も持たない中、苦労して日本の再建を担ってきた世代です。彼らは社会に出て、学歴が秘める力が想像以上に大きいことを知り、学歴コンプレックスを抱く者も少なくなかったことでしょう。
そのため、我が子には自分たちのような苦労をしてほしくない、自分の見られなかった世界を見てほしいといった理由から、教育熱心になっていった家庭が多く見られました。
ただ、教育熱やエリート主義がエスカレートし、それが凄惨な事件に繋がることもこの時期からよく見られるようになりました。
1980年(昭和55年)に発生した「金属バット殺人事件」は加熱する受験戦争を背景にして起こった事件の象徴となっています。
2浪中の予備校生が受験のストレスから両親を撲殺するというもので、加害者の父親が東大出身のエリートであったことも注目を集めました。
エリート志向の蔓延る高学歴一家で、結果を出せず凶行に走ってしまうという、この時代の空気を象徴するような事件でした。
事件の凄惨さもさることながら、その背景にある受験競争への問題提起の声も多く集まり、社会現象になりました。この事件を受けて、有名ロックバンドが便乗した楽曲を作ったり、ノンフィクションのドキュメンタリーやドラマが作られたりすることになりました。
男は四大・女は短大
当時、男女で学歴に対する価値観はだいぶ違ったという事情もありました。
1960年代以降、男性の大学進学率は飛躍的に上昇していきますが、女子の大学進学率の伸びはあまり芳しくありません。1960年時点で男性13.7%に対して女性2.5%、1970年時点で男性27.3%、女性6.5%となっており、かなり差がついていることがわかります。
その原因ですが、当時は今のような男女雇用機会が保障されていたわけではなく、男は学をつけて外で働いて稼ぎ、女は学などつけずすぐに家庭に入って夫を支えるべしという価値観が一般的だったことが大きいでしょう。今ではもうほとんど見られませんが、当時の女性は高校を出て(もしくは専門学校や短大を経由して)事務職(一般職)として会社に入り、そこで出会った総合職男性と結婚し、寿退社をして専業主婦になるというのがお決まりのコースでした(私の両親もそのパターンです)。
昭和は「女が大学なんて行ったらお嫁に行けなくなる」といった主張も根強く、勉強熱心な女子たちが親の意向で大学に進学できないという事例が全国至るところで見られました。
そのため、当時は地域トップ高校を出た女子生徒が大学に進学せずそのまま働きに出たり、短大に進学するケースも多く見られたのです。
女子学生の就職は四大よりも短大の方が良いとすら言われており、優秀な女子たちがあえて短大に進学することも多かったといいます。
どうせ四大卒の女子学生を雇っても、3年程度働いたら結婚と同時に辞められるのだから、2年長く働ける短大卒の方が仕事の教え甲斐があるし戦力にもなるという見方もあり、企業側も女子生徒は四大卒よりも短大卒から多く採用するといった事情もありました。
そのため、学歴家系図を検証する際は、この点に注意する必要があります。
高学歴の人が、「うちの母親は高卒なんだけど……」などと言っているケースをよく見ますが、実はその母親は大学には行っていないものの県トップの公立校を出ていたというケースは意外と多いのです。
今の50代以上の女性の実力を図るには、「最終学歴」よりも「高校のレベル」の方が適切であると言えるでしょう。
文/じゅそうけん
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