「旅人を殺して金品を奪い、その遺体を肉まんにして客に」登場人物がアンモラルや犯罪者ばかりな『水滸伝』が、それでもビジネスパーソンに受け入れられるワケ
集英社オンライン / 2025年1月20日 7時0分
『西遊記』『三国志演義』『金瓶梅』と並んで「四大奇書」として知られる『水滸伝』。中国はもとより、日本でも人気を誇る作品だ。だが、本作は現在のモラルや人権感覚から見ると到底受け入れがたい部分ある。その一方で、中国ではビジネスの側面から取り上げる言説が盛んになっているともいう。いったいなぜだろうか……。
ライター・安田峰俊氏の近刊『中国ぎらいのための中国史』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全2回の1回目〉
多すぎる登場人物と過激すぎる描写
『水滸伝』は、北宋末期(十二世紀初頭)の中国を舞台に、天然の要塞・梁山泊に集結した108人の豪傑たちの群像劇である。
主人公たる108人は揃いも揃って英雄好漢……と書けば聞こえがいいが、実態は腐敗した王朝への反発や個人的事情(ただの犯罪行為を含む)から、お尋ね者に身を落としたアウトローたちだ。要するに盗賊か、せいぜい「義賊」と呼ぶべき人たちである。
物語のメインは、豪傑たちが梁山泊に集結していく過程を描いた部分だ。その後、忠義に目覚めた彼らが、北宋王朝のために河北の田虎、淮西の王慶、江南の方臘らの反乱軍と戦うエピソードが、やや蛇足気味に付け加えられた構成となっている。
『水滸伝』の登場人物は、梁山泊の総首領である〝及時雨〟宋江以下、軍師格の〝智多星〟呉用、禁軍(近衛軍)の元教頭だった〝豹子頭〟林冲、刺青を入れた力自慢の〝花和尚〟魯智深、トラを素手で倒した〝行者〟武松、二挺の斧を振り回す暴れ者の〝黒旋風〟李逵らが代表的だ。
知名度の高い人物ではさらに、弓の名手の花栄、道士の公孫勝、後周王朝の末裔の柴進、高速移動能力を持つ戴宗、もとは官軍のエリート武官だった〝青面獣〟楊志、物語の最初に登場する〝九紋龍〟史進、女性頭領の美人剣士〝一丈青〟扈三娘などもいる──。
人名を列挙しただけでも察せられるように、現代の日本で『水滸伝』が人気のコンテンツとして成立しにくい一因は、おそらく個性の強い登場人物が多すぎることにある。
三国志も同じく群像劇だが、劉備や諸葛亮のようなストーリーの「核」がいるため、読者が最低限覚えておくべき重要人物の数は意外と多くない。
一方で『水滸伝』の場合、設定のうえでは同程度の重量を持つ人物が108人(梁山泊内でのランクが高い「天罡星」だけで36人)もおり、しかも彼らが同時に動き回る。人物が多すぎることで「キャラかぶり」があったり、序盤に活躍した人物が途中から影が薄くなったり、ほとんど描写されないまま戦死する場合があったりと、物語の構造の粗さもある。
加えて登場人物の大部分が実質的な犯罪者だけに、その行動が現代的なモラルや人権感覚からは受け入れがたいという問題もある。
たとえば、女性頭領の一人である孫二娘はもともと居酒屋の経営者で、旅人を殺して金品を奪い、その遺体を肉まんにしてほかの客に食べさせていた人物だ。
また、人気の高いキャラクターである李逵は女性や未成年者でも平気でぶち殺す殺人マニアで、同じく人気の武松も、兄を殺された腹いせに資産家の西門慶の家人を無関係な人物まで皆殺しにしている。リーダーの宋江、ヒーロー的な描写が多い林冲や魯智深らも、戦場以外の場所で殺人を犯している。
こうした前近代の中国基準の「やんちゃ」な人たちの描写は、中国の読者が読めばユーモラスだったり痛快だったりする。私たちが映画館で、ゴジラの都市破壊を喜んで見る心理とも、やや近いのだろう。
だが、現代人の良識に照らせば違和感があるのも確かだ。ほかならぬ中国においても、近年は『水滸伝』のジェンダー描写や残酷描写が問題視され、教育の場で読ませるべきではないという意見も出るようになっている。
『水滸伝』はビジネスに役立つ?
しかし、それでも『水滸伝』は中国において重要なコンテンツだ。なかでも近年目立つのが、なんとビジネスの側面から『水滸伝』を取り上げる言説である。
たとえば、中国の検索エンジンで、企業マネジメントや人材開発に関連するキーワードと「水滸」を組み合わせて検索すると無数の結果が引っかかる。
「『水滸伝』における企業経営マネジメントの道」 「『水滸伝』の宋江は企業マネジメントの視点からどう考えるべきか」 「『水滸伝』宋江の人材活用術」
いずれも記事の内容は薄く、梁山泊における出自を問わない人材の登用や、「義」の意識で貫かれた組織文化を称賛するといった、ありきたりな内容が目立つ。
だが、『水滸伝』を組織論として読む発想が、中国ではごく自然らしいことはわかる。理由はおそらく、『水滸伝』の梁山泊の組織やそのメンバーの描写が、他の古典作品と比べても、現実の中国人の組織や行動のパターンとして圧倒的なリアリティがあるからだ。
これは他の作品に登場する組織と比較するとわかりやすい。
たとえば、『三国志演義』の蜀は、「漢の再興」を目指す劉備のもとに集った、忠誠心に篤い諸将の集団だ。『西遊記』の三蔵法師一行についても「天竺に経典を取りに行く」という明確な目標と、高位の存在である観音菩薩の命令という逆らえない事情がある。
つまり、劉備チームも三蔵法師チームも、目的意識を持った立派なリーダーのもとに明確な上下関係が存在し、協力してミッションを達成するモチベーションを持つ人たちが自発的に集まっている。そういう設定を与えられた理想的な組織なのである。
一方、『水滸伝』の梁山泊に、組織としての明確な目的はない。「王朝への忠義」は、集団の規模が大きくなってから後付け的に唱えられただけだ。リーダーの宋江も、『演義』の劉備や三蔵法師のような聖人君子タイプの人物ではない。
『水滸伝』の108人の英雄豪傑はそれぞれ我の強いお山の大将で、個人的な義理人情の枠を超えて組織や国家のために働こうという意識はあまりない。梁山泊を選んだ志望動機も、積極的に惹かれて加入したというより、「仲のいい人(義兄弟)がいるから」「罪を犯して逃げ場がないから」といった個人的かつ場当たり的なものが多く、組織の上下関係もゆるい。
だが、これは中国のローカルな社会で仕事をした経験がある人なら「あるある」と感じる話だろう。中国の一般労働者は、上司の個人的な子分でもない限りは組織に対する忠誠心が弱く、自己都合ですぐに転職する。入社理由にも、日本の就活生のような熱っぽさはまるでなく、その時点の自分のレベルに応じて入れるところに入っただけだ。
中国には「一個中国人是条龍、三個中国人是条虫」(中国人は一人ならば龍だが、三人寄ると虫になる)という俗語がある。個々人の能力は高くてもチームプレーが苦手な中国人の特徴を表す言葉だ(これは自国のサッカーナショナルチームが弱い理由としても、中国人自身の間でよく語られる話である)。
『水滸伝』は小説とはいえ、好き勝手に振る舞う個性の強い豪傑たちが、明確な理念もなく集まった梁山泊という非常に中国的な組織を、リーダーの宋江がそれなりにまとめて一定の成果をあげた貴重なケーススタディとして読めるのだ。
確かに、学べるものは多そうである。
#2 毛沢東が演説で引用するほど愛した『水滸伝』に対して、最晩年には猛烈な“批判キャンペーン”を繰り出した背景とは に続く
文/安田峰俊 画像/Wikimedia Commons
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