毛沢東が演説で引用するほど愛した『水滸伝』に対して、最晩年には猛烈な“批判キャンペーン”を繰り出した背景とは
集英社オンライン / 2025年1月21日 7時0分
〈「旅人を殺して金品を奪い、その遺体を肉まんにして客に」登場人物がアンモラルや犯罪者ばかりな『水滸伝』が、それでもビジネスパーソンに受け入れられるワケ〉から続く
中国の古典の中でも施政者や英雄たちに特に強い影響を与えてきた『水滸伝』。その愛読者の筆頭ともいえる一人が、中華人民共和国の建国を宣言した毛沢東だ。論文や演説でもしばしば『水滸伝』を引用してきた彼が、一転して、最晩年には批判をするようになる。その裏側にあった政治戦略とは?
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中国報道の第一人者である安田峰俊氏が、現代に連なる中国史を紐解いた『中国ぎらいのための中国史』より一部抜粋、再編集してお届けする。〈全2回の2回目〉
毛沢東の“お気に入り”だった李逵
現代中国と『水滸伝』の関わりを論じるうえで欠かせないのが「政治」の話だ。とりわけ重要なのが毛沢東との関係である。
中国の伝統文学を好んだ毛沢東は、1937年に発表した『矛盾論』や、中華人民共和国の成立前夜に発表した『人民民主専制を論ず』など、主要な論文や演説でしばしば『水滸伝』を引用したことで知られている。
「李逵は私の路線と違わぬ人物だ。私の見るところ、李逵・武松・魯智深の3人は中国共産党に入ってよい。誰も入党推薦人にならないなら、私がなろうじゃないか」
1959年8月に開かれた党第八期八中全会で、毛沢東は冗談めかしてこう述べている。彼が言及した3人は、梁山泊でも最も粗野な武闘派で、イデオロギーや打算ではなく個人的な義気から宋江に最後までついていった豪傑たちである。
毛沢東がこの発言を残した会議は、大躍進政策の失敗により実権を失いつつあった彼が、自身を批判した彭徳懐を失脚に追い込み意趣返しをしたことで後世に知られている(廬山会議)。長年の部下をあっさり切り捨てる毛沢東の行動は、この廬山会議あたりから顕著になり、やがて7年後の文化大革命で爆発することになった。
向こう見ずで荒っぽく、理屈を言わず主君に愚直な忠誠を捧げるタイプの手下を求めた毛沢東は、文革において劉少奇や鄧小平らの実権派(走資派)を追い落とし、奪権に成功している。このとき彼が武器にしたのは、まさに李逵のように、無関係な人間まで巻き込む暴力性を発揮してでも、毛沢東に徹底した忠誠を誓う紅衛兵たちだった。
やがて毛沢東は最晩年になり、お気に入りの作品である『水滸伝』すら切り捨てる行動に出る。これは半世紀近く前の出来事ながら、中国共産党の気質を考えるうえでも参考になるので、少し詳しくまとめておこう。
「投降派」宋江を批判せよ
中華人民共和国の成立から1970年代まで、中国の歴史学や文学は社会主義イデオロギーの強い圧力を受けた。黄巾の乱や太平天国の乱といった中国史上の反乱の多くは「農民起義」(農民階級による革命的蜂起)であると規定され、肯定的な評価を受けるのが通例だった。
そのため、『水滸伝』にも高い評価が与えられてきた。封建的支配階級の残酷で醜悪な支配の実態を暴露し、それに立ち向かう人民の姿を描いた革命的作品だという理屈である。
だが、1975年8月にその評価が覆る。
毛沢東が『水滸伝』について「反面教材として、人民に投降派について知らしめよ」という負の評価の談話を発表したことで、猛烈な批判キャンペーンがはじまったのだ。
毛沢東の『水滸伝』批判は、総首領の宋江が腐敗官吏にのみ反抗して北宋王朝の皇帝に逆らわなかったことを問題視し、さらに物語の後半で王朝に帰順した行為を「投降派」で「修正主義者」的であると指摘するものだった。また、梁山泊がもう一つの「農民起義」勢力であった方臘軍を鎮圧した行為は、革命に対する裏切りであるとみなされた──。
予備知識がない人が聞けば、何を言っているのかと首を傾げたくなる話だ。だが、毛沢東時代の中国では、歴史人物や文学作品の批判という形を取って、現実の権力闘争を仕掛ける行為がしばしばおこなわれた。
特に1970年代中盤には、毛沢東夫人の江青らからなる文革推進派グループの「四人組」が、しばしばこの手法を使っている。
たとえば1974年に提唱された批林批孔運動(林彪と孔子を批判する運動)は、孔子批判の形を借りて、江青らにとって目の上のコブだった実力者の周恩来を追い落とそうとする運動だった。
『水滸伝』批判も、文革当初に打倒されたのに復権を果たしていた鄧小平の打倒が目的だったとされる。事実、1976年春に鄧小平が再度失脚したあとには、「鄧小平は現代の宋江であり投降派である」と主張する論文が『人民日報』などに何本も掲載された。
もっとも、これらのこじつけ的な政治運動は、ほどなく毛沢東の死と四人組の失脚、鄧小平の再々復権といった情勢の変化を通じて沈静化する。
その後、中国では鄧小平が最高権力を握り、彼の死後も江沢民・胡錦濤がその路線を継いだ。江沢民と胡錦濤は仲が悪いイメージがあるが、ともに鄧小平に引き上げられた点では変わらず、文革的な政治闘争を嫌う傾向が強かった。
ゆえに、『水滸伝』のネガティブな評価も、いつの間にか「なかったこと」になった。
現在、中国の学術論文データベースや『人民網』(『人民日報』のウェブ版)などのサイト内を検索しても、『水滸伝』が政治的な文脈で言及されているケースはごく稀である。習近平の演説は古典の引用が多いことで知られるが、『水滸伝』は彼の好みに合わないのか、ほとんど言及されていない。
習近平政権で息を吹き返す文革的政治手法
かつての江沢民や胡錦濤とは違い、現在の最高権力者である習近平は、鄧小平の路線を踏襲することに冷淡である。そのため、これまで忌み嫌われた文革的な政治手法にもアレルギーがない。
歴史上の人物に対する批判の形を借りて政敵を攻撃するという、かつての批林批孔運動を連想させる手法も、近年の習近平政権下では復活しはじめた。
その最たる例が、2022年6月に党規律検査委員会の系列メディアに掲載された「李丞相」を批判する記事だ。これは、秦の李斯と唐の李林甫という2人の「李」姓の宰相の利己主義的傾向や権力欲を批判する奇妙な内容の記事で、目的はどうやら、当時の国務院総理だった李克強への攻撃にあったらしい。現代中国における総理は、王朝時代の「丞相」に相当する。
この「李丞相」記事は、海外のウォッチャーの間で話題になったせいかすぐに配信元のサイトから消えた。また、記事発表から約4カ月後の党大会で李克強の党最高指導部からの退出が決まり、さらに2023年10月に彼が急死したことで、今後、蒸し返される可能性もほとんどない。
だが、現在の習近平体制下で、文革時代の伝統的な政敵の追い落としの手法が息を吹き返しつつあることは見て取れる。今後、似たような動きがないかは注視が必要だろう。
『水滸伝』は、中国社会や中国人の気質、組織を理解するうえで重要だ。一方、約半世紀前の『水滸伝』批判事件を知ることで、党内の権力闘争のわずかな兆候を拾い上げることもできる。
若者に『水滸伝』を読むな、と言うのはもったいない。同書は実に「役に立つ」古典なのである。
文/安田峰俊 写真/Shutterstock.
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