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名曲『スローバラード』、忌野清志郎「あれはオレたちの音じゃない」…発売前の取材で語っていた正直な気持ち

集英社オンライン / 2025年1月21日 18時0分

RCサクセションが『雨上がりの夜空に』などでブレイクする前、1976年1月21日に発売された『スローバラード』。日本のロック史に残る名曲の発売前のインタビューで忌野清志郎が語っていた素直な気持ちとは……。

【画像】超貴重な『スローバラード』の見本盤

どことなく歓迎されていない空気を感じた取材

2016年4月、新聞の「忌野さんの創作ノート発見 30曲分 自信と不安抱く」というニュースを読んでいて、忌野清志郎と初めて会った日のことを思い出した。

2009年5月2日に58歳で亡くなったロック歌手の忌野清志郎さんが、22~24歳の時に記した創作ノートが見つかった。(中略)「RCサクセション」が全国的に知られる前のもので、作品に対する自信の一方、世に認められるか不安を抱いていた様子がうかがえる。(日本経済新聞)

ぼくが初めて忌野清志郎と対面したのは1976年1月のことで、シングル盤『スローバラード』が発売される21日よりも少し前だった。

事前にポリドール・レコードから渡された見本盤のレコードを聴いたとき、東芝時代のサウンドとは明らかに違っていることに気づいて、やや興奮した。

それと同時に全身から絞り出すような忌野清志郎の歌声の力強さと、切ない歌詞の世界にも圧倒されたのである。

すごい傑作が生み出されたのではないか、いや間違いなく傑作だと思ったので、取材が楽しみになった。ぼくは『スローバラード』のことを少しでも広めたいという気持ちで、ヒット曲になることへの手伝いができるように思えたのだ。

長かった沈黙を破って素晴らしい作品を発表するメンバーたちと、いつ会えるのだろうと、自分なりに大きな期待を持って取材に臨むことにした。

取材が行われたのは、東京・六本木にあった音楽出版社の会議室だったと思う。約束の午後3時少し前に伺うと、すでにRCサクセションのメンバー3人が待っていた。

部屋に入ったときに、どことなく歓迎されていない空気を感じた。

1974年に完成していたにもかかわらず、ずっとお蔵入りになっていたアルバム『シングル・マン』が、やっと4月21日に出ることが決まったと、キティ・レコードの宣伝担当の井上さんからは事前に情報を得ていた。

そこでまずは挨拶がわりにと思い、「ようやくアルバムが陽の目を見ることが出来ましたね」と笑顔で話しかけた。

ところが、清志郎も、破廉ケンチも、笑顔を浮かべるでもなく黙っているので焦った。小林和生は普通の態度だったような気もするが、それをよく覚えていないくらいに一気に緊張してしまった。

「待っていた時間が長かったですね」とか、「完成していかがですか」と話題を振っても、「あぁ」とか「まぁ」とか言う声だけで、ほとんどノーコメントに近い。

破廉ケンチはずっとあらぬ方向を見ているし、清志郎もなぜか目を合わせてくれない。

気まずい空気のなかでただ沈黙が訪れて、誰もが思い思いの方向に視線を向けている。

ぼくの質問には誰からの反応もなく、普通のインタビューとはまったく異なる重苦しい状態に、思わず井上さんが間に入って話をつなげてくれた。

“「スローバラード」は日本のロックの歴史に残る傑作だと思います”

緊張と焦る気持ちのなかで、どうして3人が冷めているのかが分からないまま、何とか3人に口を開いてもらおうと頭を回転させる。だが重い空気は変わらず、何とかして質問をひねり出していたことが、昨日のことのように思い出される。

ぼくは切り札として、あらかじめ用意していた言葉をぶつけた。

“『スローバラード』は日本のロックの歴史に残る傑作だと思います”

それは嘘偽りのない、自分が聴いた正直な感想だった。それでもまだ、沈黙が続いた。

ぼくはもう次の質問が出てこなくなり、アメリカから来日していてレコーディングに参加したというタワー・オブ・パワーについて、「ホーン・セクションもすごくよかったです」と付け加えた。

すると、疑い深そうな清志郎の目と初めて視線が合って、すぐに反論のような言葉が返ってきたので驚いた。

「演奏もアレンジも気に入ってないんだ。あれはオレたちの音じゃない。スタッフと星勝が、勝手にやったんだ」

意外な発言が飛び出してきたのでかなり動揺したし、自分が文句を言われているようにも感じた。

だがよく聞いているとそうではなく、ほんとうに口惜しいという気持ちを正直に語っているだけだった。

そのことに気づいて、少しホッとした。ぼくは自分がメンバー3人と同学年であることや、音楽では中学生の時からローリング・ストーンズが大好きで、オーティス・レディングもよく聴いていると話した。

そんなことから、少しは親近感を持ってもらえたのかもしれない。とにもかくにも取材開始から30~40分が経過して、ようやく少し打ち解けて話ができるようになった。

そして取材を終える時間が近づいた頃になって清志郎は、周りのよく分からない事情で、『シングル・マン』が2年近く発売できなかったと打ち明けた。

本来なら次のアルバムの曲がもう全部できているのに、「レコーディングは全然実現しないし、本当ならもう、そっちのほうの話がしたかったんだ」というようなことを、少し怒ったような口調で言っていた。

一切のリップサービスもなく、本当に自分の気持を正直に話す人だった。音楽だけですべてを表現しているアーティストなのだと、少しだけかもしれないが理解できたところで取材は終わりにした。

ライブ会場で再会して、お互いの目を見て話せるまでには、それから20年かかった。

さらにその10数年後。清志郎さんの誕生日に、発見された創作ノートに関するニュースが流れた。

「次のアルバムの曲がもう全部できている」と、あのインタビューの日に言っていた作品だったのだ。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/1976年1月21日発売『スローバラード/やさしさ』(POLYDOR)

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