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「男が育児うつになるなんておかしい」東京から妻の実家の沖縄に里帰り移住、大きな環境の変化で「育児うつ」となった男性の“唯一の逃げ道”となったものとは…

集英社オンライン / 2025年1月25日 10時0分

〈父親の育児うつ〉「育児の現場では男性の方が孤立しやすい」旦那の愚痴で盛り上がるママたち、支援の対象は母親ばかり、経営者の妻を持つ父親が1年のワンオペ育児で感じたこと〉から続く

東京から沖縄へ里帰り移住、人生が一変

広大な空から照り付ける太陽に、どこまでも広がるエメラルドグリーンの海。

大自然に囲まれた沖縄県内で、今春小学生になる娘と妻の3人で暮らしているのが、元大手人材派遣会社社員のタカさん(仮名、32歳)だ。

日焼けなのか、少し焦げた小麦色の肌からは沖縄での充実した生活感が伺えた。

「来月から新しい会社への転職が決まっているんですが、それまではしばしのお休み期間として、ハンモックに揺られながら本を読んだり映画を見たり、それこそ沖縄の海辺をお散歩したりして気ままに過ごしてます」(タカさん、以下同)

今ではすっかり沖縄ライフを堪能しているように見えるタカさんだが、6年前に東京から移住し、娘が誕生。目まぐるしく変わるライフステージの中で、2年ほど「うつ病」の症状に悩まされていたという。

タカさんが2歳下の妻と出会ったのは東京都内の大学だった。社会人になって交際を始め、交際3年目でプロポーズ。直後に妻の妊娠が発覚した。

どちらも地方から上京してきた身で、東京での子育てはあまりイメージが湧かなかった。2人で話し合った結果、妻の故郷の沖縄へ里帰り移住を決めた。

そこからタカさんの人生は大きく変わった。

「仕事も辞めて、沖縄で一から転職活動を始めました。しばらくは妻の両親の家で同居させてもらって、その後すぐ娘が誕生し入籍。3人で住める家を探し、車も買いました。

そもそも土地名すらまともに読めない沖縄の生活に慣れることに必死でしたが、それに加え、仕事も家庭での役割も全てが変わったんです。最初は『ちょっときついけど妻は嬉しそうだし、まあいっか』程度に思っていたんですが、今振り返ると、すでにうつになる土台はできあがっていたように感じます」

「男が育児うつになるなんて…」

あまり子どもは得意なタイプではなかったが、それでも娘はたまらなく可愛かった。

専業主婦の妻が家事全般を担い、仕事から帰宅後はタカさんが育児を担い、夜泣き対応やミルク当番もこなす日々。しかし、育児の疲れや重責がストレスとなり、徐々にタカさんの心身を蝕んでいった。

「娘が1歳1カ月になったころ、いつものように趣味の読書に浸ろうと本を開いたんですけど、なぜか全く頭が働かず、字が上手く読めなくなっていました。

大学時代に一度、自律神経失調症を患った経験から、どこかあの時と似たような感覚を思い出しました。でも、一家の大黒柱である身の自分が、かつてのように気軽に地元に帰って療養するわけにはいかないと思い、耐え抜こうと思いました…」

しかし、徐々に症状は悪化。寝つきも悪くなり、些細なことで職場の同僚や妻、泣き止まない娘にもイライラを覚えるようになった。激しい胃痛に襲われたり、吐き気を催すこともあった。

「子どもという『自分で自分を守れない生き物』が1歳になると、勝手に動き出すんですよ。常にエンジン全開で、ヒヤヒヤドキドキの連続で、緊張状態がずっと抜けなかったですね」

そんな気持ちを誰にも吐き出すことはできなかった。

「どうして妻は無事で、僕が育児うつになっているのだろうか、男が育児うつになるなんておかしいじゃないかってずっと思ってました。

育児で寝れない、自分の時間がないっていうのは妻も一緒で、妻が育児している時間に比べたら自分の育児参加している時間なんて半分にも満たないのに。

妻に『午前中だけでも保育園に預けないか』と提案したこともありましたが、当時はコロナ禍だったので、他人に預けることを妻は嫌がりました」

結局、心療内科を受診することなく、胃薬や内服薬に頼りながら、うつ病と約2年間ともに生きた。

子どもと積極的に離れる時間を持つ

育児うつのタカさんが唯一の逃げ道となったのは、SNSだった。

「沖縄に移住した直後にX(当時のツイッター)を始めたんです。元々人材会社に勤めていた経験から、学生の就活や会社員の転職相談にのってました。

本当はリアルでパパ友とかがいればよかったのかもしれませんが、僕の場合はSNSのコミュニティによって『役に立てている』という実感がもてて、気晴らしにもなりました。彼らとの交流にとても救われましたね」

2年間におよぶ育児うつは、コロナ禍が明け、娘が3歳になったタイミングで地元の保育園に預けたことで寛解したという。

タカさんは当時の状況を踏まえてこう振り返る。

「『子どもと積極的に離れる時間』をもっと夫婦で話し合って作っていければよかったなって思います。乳児から幼児に切り替わるタイミングで、義理の両親に預けて夫婦2人で過ごしたり、1人だけの時間をお互い作ったり。

結果的に、一番必要としていたのは『育児の労働力』でした。大人が一人増えるだけで、夫婦2人ともかなり休める。コロナ禍だから難しい面もありましたが、もっと義理の両親やベビーシッターなど外部の機関に頼ってもよかったなって思います」

大学時代は教育学部に所属し、『子どもの愛着障害を起こさないためにはどうするか』について研究論文を書き上げたというタカさん。論文では、『子どもの愛着形成には母親が精神的にも肉体的にも安定することが大事。そのためには父親が家事や育児をより多く担うこと』と結論づけたというが―。

「実際に子どもができたら全くできなかったです。夫婦のうちどちらかの体力ゲージが限界になったら、ケアするのはもう一方の方で。そうするとお互いのゲージを削り合って、疲弊し余裕がなくなって爆発する。よく育児の記事で『夫婦はお互いを褒め合おう』って書かれてますけど、限界までくると無理です。

子どものために自分を犠牲にすることは、結果的に子どものためにならないと学びました。真面目さや責任感の強さがうつを引き起こしてしまうと思うで、子どもから離れることに対して罪悪感を感じず、育児労働力を内外に保持して頼っていくことが大事だと思います」

取材・文/木下未希 集英社オンライン編集部

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