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〈東名高速飲酒運転事故から25年〉幼い娘たちを失った夫婦が「危険運転致死傷罪」の厳罰化に反対する背景「逃げ得をする人が増えるばかり」

集英社オンライン / 2025年1月22日 11時0分

1999年11月28日に、飲酒運転のトラックが4人家族で乗車した普通車に衝突し、火災で幼い姉妹が死亡する惨事が起きた。「東名高速飲酒運転事故」はマスコミで大きく取り上げられ、危険運転致死傷罪(刑法208条の2、2001年新設)の成立に寄与した。事件から25年が過ぎた今、被害者遺族が思うこととは。〈前後編の前編〉

【画像】3度の緊急手術が必要なほどの重度の火傷を負った井上保孝氏

長女は「あちゅい」という言葉を残して…

痛ましい事故という表現が陳腐に思えるほど、凄絶な光景だった。東名高速道路の路上、トラックに追突された車体後部が燃え盛っている。窓から脱出した被害者の井上郁美氏は妊娠していて、お腹が大きい。同じく被害者で夫の井上保孝氏はこのとき、3度の緊急手術が必要なほどの重度の火傷を負っていた。

偶然収められていたこれらの映像は、事故直後にさまざまなニュース番組で取り上げられたため、記憶する人も多いだろう。

後部座席に座っていた3歳7カ月の長女と1歳11カ月の次女。長女は「あちゅい」という言葉を残して焼死した。

井上夫妻は事故後、保孝氏の仮退院を経て、比較的すぐにメディアに出ていた。当時のことをこう振り返る。

「自分たちの体験を人前で話したのは、大阪府で行われた『あすの会』(全国犯罪被害者の会)が最初だったと記憶しています。時間は15分ほどだったでしょうか。2000年6月に出された加害者の懲役4年という一審判決を受けて、当時の気持ちを述べました」(郁美氏)

事件当時、飲酒運転はもちろん違法だったが、すべての交通事故は業務上過失致死傷罪(刑法211条)で裁かれていた。本罪は懲役5年を上限とするもの(または本罪の法定刑は懲役5年)で、一審判決は加害者の家族が社会復帰を待ち望むことなどを理由として懲役4年とした。

「加害者は事故の日だけではなく、日常的に飲酒運転をしていたことが裁判で明らかになっています。事故前日の夜にフェリー内で700mL入りウイスキーひと瓶の約6割を飲み、当日昼にはサービスエリアで缶入り焼酎飲料を飲み、それだけでは飲み足らずウイスキーの残りも全部飲み干しています。

これだけ悪質な事故でしたから、私たちは業務上過失致死傷罪の上限である懲役5年は確実と思っていましたが、4年の判決でした。

正直、なんの罪もない子ども2人の命を奪っておいて懲役5年という軽さであることすら理解に苦しむのに、その8掛けという判断に閉口せざるを得ませんでした。理不尽さに怒るとともに、社会に対してそうした現実を伝えていきたいと思うようになりました」(郁美氏)

裁判を通してなにが見えてきたのか。保孝氏は、「実はほとんどわからなかった」と当時を振り返る。

「私も、『なぜこんなことになったのだろう』という思いが強く、背景がなかなかわからないことにもどかしさを感じました。

裁判の傍聴席から見る加害者はずっと後ろ姿で、被告人質問の際もボソボソと話すだけです。どんな人で、なぜ事故は起きたのか、私たちが知りたいことはなにもわからなかったんです。よく被害者は加害者を恨むものだと思われますが、どんな人間なのか全然わからない以上、憎しみをぶつける対象にすらならないというのが正直なところです」(保孝氏)

結局、加害者とまともに対峙したのは2004年2月11日。出所した加害者が井上夫妻のもとを訪れたときだ。

「裁判中に拘置所から手紙は届いていましたが、謝罪の定型文のようなもので、あまり当人の人柄がわかるものではありませんでした。加害者が常習的に飲酒運転をしていたことを考えると、会社や家族がなにも対処しなかったこと、彼らの不作為が浮き彫りになって、ますます日本の社会や文化全体の問題だと思うようになりました」(保孝氏)

「厳罰化を強調すればするほど、逃げ得をねらう狡猾な人間が増えてしまう」

我が子を奪われた事故から25年が過ぎた。飲酒運転が悪しきことは以前より社会に認識されているが、昨今の風潮ついて井上夫妻はどのように考えているのか。

「私たちはこれまでさまざまな活動を行ってきました。講演では真剣に聞いてくれる若者が多く、その点は非常にうれしく感じています。統計からも、飲酒死亡事故の件数が減ってきていることが見てとれます。

その一方で、飲酒ひき逃げの件数は厳罰化に伴い急増し、高止まりしています。これは、飲酒をして人を撥ねてしまった場合に、救護義務を果たさずに体内からアルコールが抜けるまでを逃げ切ろうと考える人間が増えたことを示しています。

飲酒運転に対しては厳罰が与えられるべきですが、厳罰化を強調すればするほど、逃げ得をねらう狡猾な人間が増えてしまう現実もあります」(郁美氏)

「飲酒ひき逃げ事件によって亡くなる人のなかには、早く救急車を呼んでいれば助かった例もあったはずです。助かるはずの生命が助からなくなってしまっては本末転倒だと思います」(保孝氏)

社会に飲酒運転撲滅の機運は高まっているものの、それだけでは飲酒運転をやめられない人たちがいるという。

「悲しいことに、私たちの事件以降も凄惨な事件が後を絶たちません。そのたびに大きくメディアに報じられることによって、大部分の人々にとっては戒めになったと思います。他方で、飲酒を辞めたくても辞められないアルコール依存症に陥っている人たちが存在するのも事実です。どれだけ違反点数の基準が厳しくなったり法律が改正されたり、あるいは厳罰化が進んだりしても、アルコールに依存して生きる人たちが支援を受けて行動変容につながらなければ、飲酒運転を根絶できないんですよね」(郁美氏)

また、危険運転致死傷罪の運用について思うところがあると話す。

「“危険運転”という言葉が一般市民に想起させるイメージと、法が想定している現象に乖離があると思います。無謀な運転によって家族を失った遺族は『当然、危険運転致死傷罪で裁かれるもの』と思うのですが、実際には必ずしもそのような運用になっていません。

署名活動の際には37万人に協力してもらったのですが、危険運転致死傷罪の適用がここまで厳格になるとは多くの人が思っていなかったと思います。確かに本罪は被害者が死亡した場合に最高で懲役20年を課すことのできるものです。しかしあまりにもストライクゾーンを狭めた運用をすると、抜かずに終わる伝家の宝刀になってしまわないでしょうか」(郁美氏)

確かに直近でも、大分市の一般道で時速194キロを出した車による死亡事故が危険運転致死の罪にあたるかどうかが争われるなど、本罪の適用にはかなり慎重な姿勢がうかがえる。

「『交通事故はすべて過失』というひと昔前の感覚が抜けていないと思われる警察官・検察官の言動も目にします。人が亡くなるほどの事故が起きたら、『はたして不注意による過失によるものだろうか?』と考えて、もっと慎重にかつ厳密に危険性を突き詰めて捜査を行なってほしいと考えています」(保孝氏)

法は社会の実情に合わせて新陳代謝を繰り返す。尊い犠牲のうえに現出した法律がお飾りになってはならない。四半世紀前に苦痛とともに活動したことの成果は見えつつあるものの、あるべき姿にはまだ遠い。井上夫妻の活動はこれからも続く。

#2 〈小池大橋飲酒運転事故から25年〉「危険運転致死傷罪」成立のきっかけになった19歳少年の死亡事故… “怒り”を支えに生きた被害者遺族の安らぎとなったものとは に続く

取材・文/黒島暁生 写真/井上夫妻提供

〈小池大橋飲酒運転事故から25年〉「危険運転致死傷罪」成立のきっかけになった19歳少年の死亡事故… “怒り”を支えに生きた被害者遺族の安らぎとなったものとは〉へ続く

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