太古の昔から男性優位社会は本当か? 最新の霊長類研究が明かす、驚くべき事実「人類にとって家父長制が自然だとは言い過ぎ」
集英社オンライン / 2025年1月29日 9時30分
〈旧社会主義国は「男女平等」のユートピアだった!? アメリカより東欧のほうが女性の科学者やエンジニアが多い納得の理由〉から続く
家父長制が世界中に広まった根拠としてよく言われるのが、「人類は太古の昔から男性優位社会なので、これは自然なことだ」という説だ。しかしながら、最新の霊長類研究によると、チンパンジーやボノボの社会では「メスによる支配」が一般的だという。ではなぜ人類においては、そういった状況が起きないのか。
その理由を歴史からひもといて解説した『家父長制の起源』より一部抜粋、再編集してお届けする。
ボノボ社会では「メスによる支配」が一般的
以前、私がカリフォルニアのサンディエゴ動物園を訪れたときのこと。攻撃を受けたばかりだというボノボ(注:チンパンジーと並んでヒトに最も近縁な霊長類)の檻に居合わせたことがある。
檻のなかを覗き込むと、手に傷を負って、群れに背を向けてしゃがみ込んでいるボノボが見える。怯えているのか、困惑しているのか、私の目をじっと見つめる姿に、痛々しさを感じずにはいられなかった。
南カリフォルニア大学の霊長類学者で、ボノボから顔を覚えられてしまうほど長年ここで研究をしてきたエイミー・パリッシュは、こう話してくれた。「オスのボノボは普通、母親を頼りにします。守ってもらうことで、群れのなかで地位を築きます」。母親が周りにいなかったので、このボノボはたちまち年上のメスから攻撃されてしまったという。
あの日、私が動物園にパリッシュを訪ねてから5年が経つうちに、ボノボに関する彼女の研究によって、「この種ではメスによる支配が一般的」だという科学的コンセンサスが確立した。
ボノボのメスは、オスを追いかけて攻撃することで知られている。そして、この事実は人間にとって重要な意味をもつ。なぜなら、ボノボは進化においてチンパンジーと同じくらい私たちヒトに近く、動物界で遺伝的に最もヒトに近い種の一つだからである。
霊長類学の専門家で、エモリー大学で心理学の教授を務めるフランス・ドゥ・ヴァールは、飼育下でも野生でも、オスが率いるボノボの群れは見たことがないと断言する。「20年ほど前までは、このことは少々疑わしいと思われていました。でも、もうそんなことを言う人はいません。メスが支配していることが明らかになったのです」。
確かに、オスによる支配は動物界でも一般的で、たとえばチンパンジーも同様だ。「多くの人は家父長制(注:特に年長の男性による女性の支配)を当たり前だと考えています」とパリッシュは言う。だが、それは決して揺るぎないルールではない。研究が進むにつれて、さまざまなバリエーションが明らかになっている。
メスによる支配はボノボだけでなく、シャチ、ライオン、ブチハイエナ、キツネザル、ゾウの群れでも見られる。
支配権がどうやって生まれるのかを理解するうえで、「ボノボから学べることはたくさんある」とパリッシュはつけ加える。少なくともこの種では、体格の大小は関係ない。ボノボのメスは平均すると、オスよりもわずかに小さいが、オスが支配するチンパンジーでも同様に、メスのほうがわずかに小さい。
ボノボのメスがチンパンジーのメスと違うのは、メス同士に血縁関係がなくても強い社会的絆を結び、互いの性器をこすり合わせることでその絆を強化し、緊張関係を和らげることである。こうした親密な社会的ネットワークが権力を生み出すと、個々のオスは群れを支配するのが難しくなる。
「身体の大きさ」や「強さ」だけではリーダーになれない
「オスは生まれつきメスより上の立場にあり、オスはメスより優れたリーダーになれるという物語に私たちはとらわれています。でも、この説は成り立たない、根拠がないと思います」とドゥ・ヴァールは説明した。
だが、彼自身もパリッシュも経験してきたように、人にそれを納得させるのには必要以上に時間がかかる。「男性にとって、女性が支配権を握ることを受け入れるのはとても難しいのです」とドゥ・ヴァールは言う。動物行動学の研究は、こうした性差別主義者の「神話」によって、何世代にもわたって壁にぶつかってきた。
「ジェンダーとボノボについて書くのは、男性として興味深いことです。私が書いていることを女性が書いたとしたら、おそらく無視されるでしょうからね」とドゥ・ヴァールはつけ加えた。
仲間の霊長類学者でさえも、明らかにメスが支配する種が存在するということをなかなか認めようとしなかったという。以前、ボノボの群れを支配するメスの力についてドイツで講義をしたときのことを、彼はこう振り返った。「ディスカッションの最後に、年配のドイツ人の教授が立ち上がって言ったのです。『このオスたちには何か問題があるのか?』」。
ここにあるのは性差別だけではない。私たちはほかの種を観察するとき、ヒトと共通するものを探そうとする。
ヒトの社会が男性優位な家父長制であるのなら、人間に最も近い霊長類の親戚、つまりヒトの祖先と考えられる種でも、同じような社会が見られるはずだ、というわけだ。男性支配の進化のルーツについて、そこから何かがわかるはずだと私たちは考えてしまうのだ。
家父長制が時代を超えた普遍的なものであるのなら、少なくともほかの種、とりわけ進化の系統樹でヒトに最も近い種のなかに、ヒト同様の家父長制のパターンが見つかるはずだ。
ところが、霊長類学者のフランス・ドゥ・ヴァールによると、動物学研究者が言う「オスによる支配」とは、オス同士が互いに支配的立場を主張することを指す場合がほとんどだという。
これはメスに対する支配を指すのではない。「オスが支配するチンパンジーの社会にさえ、メスのリーダーはいます」と彼は言う。
メスに対する性的強制は、確かに起きることはある。だが、それがどれくらい暴力的でどの程度のものであるかは、種によって大きく異なる。
また、オスのあいだでも、身体の大きさや攻撃力は、必ずしも決定的な強みにはならない。群れのボスは、仲間を打ち負かして服従させるだけでなく、仲間と戦略的な同盟関係を結んで勝利を収める。
霊長類は威圧的な相手に支配されたり、不当に扱われたりするのを好まない。優しさ、社会性、協調性なども、支配に関わる重要な特質になる。身体がとても小さいチンパンジーであっても、信頼と忠誠を集める能力を示せば群れのボスになれる、とドゥ・ヴァールは言う。
ブリストル大学の生物学者、エイミー・モリス= ドレイクによると、平和を維持するための紛争管理の戦略は、カラスや飼い犬でも見られる。コビトマングースも仲間に喧嘩を仕掛けてきた相手を覚えていて、あとからその相手に冷たい態度を取るという。ドレイクはこの研究結果を2021年に発表したグループの一員だった。
「人間は太古の昔から男性優位社会だった」は本当か?
動物の何が「生まれつき」の行動で何がそうでないかを見極めるのは、口で言うほど簡単ではない。2010年、マックス・プランク研究所の研究者らはザンビアの野生動物保護施設で、あるチンパンジーが特に理由もなく、片方の耳に草の葉を差し込んでいるのを見つけた。
まもなく、ほかのチンパンジーも真似をするようになり、その傾向は最初のチンパンジーが死んだあとも続いた。科学者らはこれを「伝統」と呼んだ。
だが、ここにジレンマが生じる。ほかの霊長類が伝統や社会習慣のようなものを新しくつくり出せるというのなら、ヒトのように文化的に複雑な種において、決して変わらない普遍的な性質をどうやって見極めればいいのだろうか。
ドゥ・ヴァールによると、西アフリカには群れのまとまりが強いチンパンジーのコミュニティがいくつかあり、それは東アフリカの群れとは異なるという。そうした社会では、メスの影響力が大きい。
この違いもある程度は文化的なものかもしれないと彼は考えている。
「人類にとって家父長制が自然なことであり……男性による支配や暴力は必然であるというのは、言い過ぎだと思います。それが人類にとって自然の状態だとは必ずしも言えません」とドゥ・ヴァ―ルは話す。
ほかの霊長類と比べると、父親を頂点とするヒトの「家父長的」な家族は、かなり奇妙に見える。イギリス王立協会の2019年会報の特集号で、ニューメキシコ大学の人類学者メリッサ・エメリー・トンプソンは、「霊長類のなかに、ヒトとよく似た種はない」と述べた。それどころか、ほかの霊長類の血縁関係は、一貫して父親よりも母親を通じてまとまっていることがわかったという。
この事実には何の意味もないかもしれない。ヒトがほかの霊長類と違うというだけかもしれない。だが、霊長類では母親との結びつきは一貫して見られる特徴だったため、人類を研究する科学者たちは世代を超えた母系の結びつきの重要性を過小評価してきたのではないか、とトンプソンは考えるようになった。
人類の家父長制を生物学によって説明できると固く信じていた専門家らは、母親が父親と同程度の権力をもつ可能性が目に入らなくなっていたのだ。
文/アンジェラ・サイニー(訳=道本美穂) 写真/Shutterstock
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