「個人的利益ではなく、人類の幸福のために活動したんですよ」ロシアと戦い続ける伝説のスパイの人生から「人類の幸福」を考える
集英社オンライン / 2025年2月7日 7時0分
〈コードネームは「サンビーム」…東西冷戦時代に活躍した伝説のスパイ「私がMI6に協力したのは自由な文明国へのあこがれからです」〉から続く
第47代アメリカ合衆国大統領に就任したドナルド・トランプ氏は、早速「取引」によってロシアとウクライナの戦争を止めると宣言した。プーチンが応じなければロシアに対して追加制裁を課すという。こうした駆け引きにおいて、重要視されたのは、ビジネスなのか、人類の幸福なのか? 東西冷戦時代にスパイとして活動するも家族を失ったゴルジエフスキー氏の人生から考えたい。
本記事は書籍『プーチンに勝った主婦 マリーナ・リトビネンコの戦いの記録』を一部抜粋・再構成したものです。
アレクサンドル・リトビネンコ氏=サーシャ KGBの元職員、英国に亡命しロシアに対する反体制活動家となったが、2006年英国でロシア政府によって毒殺された
マリーナ・リトビネンコ氏 アレクサンドルの妻 夫がロシア政府に殺されたことを裁判で証明した
オレグ・ゴルジエフスキー氏 元KGB職員、民主主義のためにMI6(英国の秘密情報部)で活動した伝説的なスパイ
私(著者の小倉氏)はマリーナ氏や周辺への取材を通じて、ロシア政府による暗殺の実態を明らかにしていく
リトビネンコは本物のエージェントだった
インタビューは2時間を超えた。ゴルジエフスキーはジル(ゴルジエフスキー氏の身の回りの世話をしている英国人)に声をかけ、紅茶を持ってきてくれるよう依頼した。
英国ではリトビネンコ(アレクサンドル・リトビネンコ氏)暗殺について、プーチンが命じ、FSB(ロシア連邦保安庁)が実行したとの見方が強かった。一方、それを疑問視する声もあった。「彼はそれほど大物ではない」というのが理由の一つだった。
リトビネンコはプーチンを批判していた。ただ、ポリトコフスカヤ(プーチン批判をしていたロシア人女性ジャーナリスト アンナ・ポリトコフスカヤ)のようにメディアへの影響力はなかった。
ザカエフ(チェチェン紛争でロシアと戦った政治家 アフメド・ザカエフ)のようにチェチェン人を動かすような政治力も、ベレゾフスキー(ロシアから英国に亡命した実業家 ボリス・ベレゾフスキー)のような財力もなかった。ロシア市民に高い人気を誇ったわけでもない。プーチンやFSBにとって、気にするほどの存在だったのだろうか。
この点を聞くと、ゴルジエフスキーは「大物ではない」説を否定した。
「プーチンとその取り巻きが作りあげた嘘です。サーシャ(アレクサンドル・リトビネンコ)は私と同じ組織にいた同志です。私にはエージェントとしての活動を打ち明けました。おそらくマリーナにも語っていなかったと思います。私が妻に二重スパイであることを隠し続けたようにね。それはマリーナを信頼していないのではない。彼女に危険が及ばないようにするための配慮。プロのエージェントの生き方です」
リトビネンコはゴルジエフスキーにはすべての活動を打ち明けていたのだろうか。
「いえいえ。そんなことはありません。彼が暗殺された後、私が調査をしてわかった事実もありました。彼はロンドンに来た当初、ファイブ(英国の国内秘密情報機関MI5)に誘われて仕事をしています。その仕事ぶりを評価されシックス(英国の対外秘密情報機関MI6)に移った。ファイブからの推薦です」
気持ちが乗ってきたのだろうか、ゴルジエフスキーは途中から、「ファイブ」「シックス」と略して語るようになった。
MI6の協力者として活動する中、リトビネンコはFSBに関連する情報を入手したらしい。
「スペインでの情報作戦に加わり、FSBに保護されているオリガルヒやマフィア関連の情報を得た。それについて彼が私にも語っていない内容がありました。私は暗殺事件後にそれを知り、彼が本物のエージェントだったとわかりました。FSBは彼が何を探り、どんな事実をつかみ、シックスに何を報告するかを把握していた。このままではスペインでのFSBの不法行為が英国に知られてしまう。サーシャを殺害する動機は十分あったはずです」
それに加え、リトビネンコは英国各地でロシアの内情を発表し始めていた。
「サーシャは本を書き、シンポジウムやラジオで話し、大学で講義するようにもなった。秘密情報の世界を知る者が表の活動をするとき、リスクは高まる。サーシャはそれがわかっていなかった。英国にいる限り、安全だと思ったんだろうね」
世界の色分けはそんなに単純か?
ゴルジエフスキーは世界を二つのブロックに分けて考えている。民主主義を信奉する文明国と、それに抵抗する野蛮な国である。
ソ連・ロシアの蛮行を許さないため、文明国・英国に協力したと強調する。しかし、世界はそう単純に色分けできるだろうか。実際、英国政府はマリーナが涙ながらに求めた、真相究明のための独立調査委員会設置を当初、拒否している(夫のリトビネンコが、2006年英国内でロシア政府によって毒殺されたことは明らかだったが、ロシア政府への忖度から調査を渋っていた)。
国益のために、「民主主義」や「人権」を外交の手段に使っているとは言えないだろうか。その点についてゴルジエフスキーはこう述べた。
「サーシャの暗殺にはロシア政府が関与しています。英国はそれをよく認識している。調査結果を明らかにすればロシアとの関係は悪化する。暗殺事件後、両国の関係は冷え切っていました。キャメロン(ディヴィッド=キャメロン 第75代英国首相)は関係を改善する決断をした。政府の独立調査委員会設置反対は、ロシア政府が暗殺を命じたという暗示です。ロシアの関与がなければ、積極的に設置したでしょう。
ロシアの機嫌を損ねないため設置を避けようとしている。間違ったやり方です。正義のため、真実のため、野蛮への抵抗のためにも設置すべきだ。それが文明国らしい対応です」
彼が「文明国」と考える国もビジネスを前にすれば、民主主義や「法の支配」といった価値をないがしろにする。キャメロンの対ロ接近はその証左ではないか。
「カネではなく、イデオロギーのために動いた」。これを誇りにする彼は、信じたはずの英国がビジネスを優先させ、ロシアに接近する状況に戸惑っているようだった。
マリーナについて聞いた。
「ずば抜けて優秀です。治安機関に勤務せず、政治に関わった経験もない。それなのに国際政治が絡む複雑な問題に、勇気を持って的確に行動しています。ロシアはそこを見誤っていたのかもしれない。連中は彼女に強い正義感があるとは考えなかった。それに彼女があれほどサーシャを愛していたとは想定外だったろうね。愛を信じない組織だから」
ゴルジエフスキーは本棚から書物を持ち出し、机の上に置いた。1995年に出版した自伝『ネクスト・ストップ・エクスキューション』だった。
「来年、再版されるんです」
ページをめくると、家族の写真が数多く掲載されている。
「これがご家族ですか」
「そうです。私が2度目の結婚をしたのは1979年です。すでにMI6のために活動していました。妻はKGBの情報提供者でした。私が亡命した際、モスクワに残された妻はKGBから厳しく尋問されたようです」
人類の幸福のために活動した
1985年の亡命以来、サッチャーとレーガンはゴルバチョフに繰り返し依頼している。ゴルジエフスキーの家族を出国させるようにと。ただ、そのたびに拒否された。ゴルバチョフがどれほど英米との関係を重視しようとも、国内秘密情報機関からの抵抗が大きかった。KGBを裏切り、死刑判決まで受けた者への配慮は不可能だった。
ソ連崩壊直前の1991年9月、家族は解放されロンドンで合流した。
「2人の娘はとても優秀で、オックスフォード大学に通っていたんだよ」
ゴルジエフスキーの表情が緩んだ。
「しかし、彼女たちとはうまくいきませんでした。その後、姿を消してしまった」
「ロシアに帰ったんですか」
「うーん、どこに行ったんだろう?」
「火星」で活動した(※ロシア国内のKGBで外国人のスパイが活動する難しさを、火星にスパイを派遣する難しさのようだと例えている)伝説のスパイは悲しそうな表情になった。スパイとて人間である。
「ロシアに帰りたいと思いませんか」
「民主的な政権が誕生し、指導者を恐れなくても生きていけるようになれば、帰るかもしれません。生まれた国だからね。ただ、現時点ではその見込みはゼロです。ロシアは民主化とは逆方向に進んでいる。かつてのファシズムのようだ」
家族を失っても、亡命への後悔はないのだろうか。
「なぜ、後悔する必要があるのですか。個人的利益ではなく、人類の幸福のために活動したんですよ」
きっと後悔はできなかったのだろう。人生を自ら否定するわけにはいかない。
ゴルジエフスキーは2007年、「英国の安全への貢献」が認められ、エリザベス女王から聖マイケル・聖ジョージ勲章(CMG)を授与された。
KGBに反逆したゴルジエフスキーはその結果、家族を失った。そして、同じくFSBに逆らったリトビネンコは命を落とした。残されたマリーナはゴルジエフスキーらの協力を得て、「人類の幸福」のために闘いを挑んでいる。
樹木に覆われた家を出ると、日はすっかり傾いていた。鳥が騒がしかった。ロンドンへの道すがら、国家権力と個人の関係を考えずにいられなかった。
写真/shutterstock
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