江戸時代まで日本には「論理」という概念がなかった? 日本人が意識しないと「論理的に考える」ことが身につかない理由
集英社オンライン / 2025年1月31日 7時0分
仕事でも人生でも、私たちは日々さまざまな「選択」をしてる。「唯一の正解」がない「未知の問題」に対して、「答えをつくり出す」のが「考えること」。では、その考える力はどう養ったらいいのか? 司法試験をはじめとする法律資格受験指導校「伊藤塾」を主宰し、40年以上にわたって、法律家や公務員を目指す人たちや法律の世界で活躍する人たちと関わってきた伊藤真さんの著書『考える練習』より一部抜粋、再構成してお届けする。
【画像】日本では自然と人間は対立せず、人間は自然の一部だと考えられている
「論理的に考える」とはどういうことか
法律は、論理的に考えてつくられている。だから、法律の世界の考え方は「論理的に考える練習」を行う上で参考にできるものが多い。
まず、そもそも「論理的」とはどういうことだろうか。
簡単に言うと、「AだからBです」というとき、「Aだから」というその「だから」の部分がどれだけ納得できるものなのか、が論理である。
AだからCやDではなく、なぜBなのか。選択肢がたくさんある中で、なぜBがもっとも合理的なのか、ほかではなぜダメなのか。それを考えるのが「論理的」である。
「今日はお腹が減ったな。だからカレーを食べよう」と言ったとき、なぜ蕎麦ではなくカレーなのかを合理的に説明できれば、それは「論理的」ということになる。「カレーだからカレーなんだ」では論理にならない。
それを踏まえて、「論理的に考える」を私なりに定義してみると、論理的に考えるとは「〝目的〟を持って、一定の〝結論〟を〝根拠〟とともに導くこと」といえる。
だから、「目的」は必要だし、「結論」も明確にしなければならない。そして結論を明確にするためには、「根拠」が決定的に重要となる。
二元論的に「区別」してみる
もっと平たく「論理的に考える」とは、「根拠を持って説明できること」と言い換えてもいい。
それは結局、「他者が理解できるように考える」ということだ。ひとりよがりではなく、他人が理解できるように考え、伝えることが、論理的に考えることの意義であるし、目的である。
一生懸命考えても、それが支離滅裂だったり、説明できなかったりして、他者に理解してもらえなかったら悲しい。せっかく考えるのであれば、ある程度論理的に考えることが大切だろう。そうすることで、考える過程が整理されて、検証しやすくなり、考えの間違いを正したり、より深化させたりしていく足がかりとなるのだ。
よく、欧米人に比べて日本人は「論理的に考える」ことが苦手だと言われる。「空気を読む」とか「あうんの呼吸」、「腹のさぐりあい」という言葉にも象徴されるように、日本人は情や直感を大事にするということなのだろうか。
そもそも江戸時代まで日本には「論理」という概念がなかったようだ。明治時代になって「ロジック」という言葉が入ってきたが、日本にはこれに相当する言葉も概念もなかった。「自由」や「社会」や「権利」の概念がなかったのと同じである。
そこで「ロジック」の訳語として考えられたのが「論理」だった。だからロジカルシンキング、論理的に考えるという方法は西洋から輸入された概念である。
「ロジカルシンキング」とは何か。それは、物事を「二元論的に区別」して考える発想だ。
日本人はすべてを抱き止めて一体化
西洋というのは基本的にはキリスト教の影響を受けており、「神」と「人間」という二つの存在からスタートして、人間と動物、人間と自然、私とあなたというように、すべて二元論でわけて考えていく。
だから英語など西洋の言葉はみな主語を明確にして、自分と他者をはっきり区別するところからスタートする。それが私の専門でいえば、個の確立、個人の尊重という近代憲法、立憲主義につながっていくのである。
ところが、日本人の趣向なのかわからないが、日本では自分と他者を明確に区別することをあまりやらない。主語を使うときでも「私たち」「我々」というような形で自分を曖昧に埋没させようとするし、相手との違いを際立たせるよりは、相手と同じという同質性を強調して、つながっているという仲間意識を優先させようとする。
それは、「私とあなた」だけでなく、「人間と自然」の関わりにおいても同じである。日本では自然と人間は対立せず、人間は自然の一部だと考える。草や木や動物に命を感じて、同じ命として大切にする。そして山や岩や大木など自然の中に神を見いだし、自分の内なるものと一体化させようとする。
そういうすべてのものを抱きとめて、一体化させていこうという日本人だから、自分を際立たせるのではなく、自分を他者の間に埋没させて空気になじませてしまうことを好む。「空気を読む」という言葉があるが、まさに空気を読んで、全体の雰囲気をこわさないのが日本の文化である。
一説によると「私」という言葉は「わつくし」、つまり「我をつくす」に由来するらしい。我をつくすとはすべて捨てつくして、私自身はもうなくなっています、私は無です、という意味だという。だから「私」の語源は私は何者でもありませんという意味らしい。
西洋と日本の根本的な違い
それに対して、西洋には「エゴ」という言葉がある。「エゴ」とは自我という意味でギリシャ語の「エゴーゲ」からきているそうだ。「エゴーゲ」は「少なくとも私は」という意味で、一単語として使ったようだ。
おそらくソクラテスやプラトンが広場で議論をやりとりしていた時代は、「少なくとも私は」という「エゴーゲ」という言葉が飛び交っていたのではないだろうか。
相手と議論をして他者との違いを際立たせることによって、自分の存在意義を確認していく発想の西洋と、私はもう何もありませんから、あなたと同じですと共同体の和を保っていこうとする文化や言語体系の日本とでは根本的に違っている。
日本では「今日の月はきれいだね」という言い方で、私ではなく「月」を主役にするが、西洋では「私は今日の月をきれいな月として見た」というように「私」からスタートする。
それくらい文化や言語体系が異なっているのだから、二元論的にものを発想したり、主語を明確にして、自分と他者の違いを際立たせたりする論理的な考え方を日本人がするのは、もともとハンデがあるといえるのかもしれない。
だからこそ、日本人にとって、そのような思考は意識しないと身につかないと思うのだ。
文/伊藤真
1958年、東京生まれ。伊藤塾塾長。81年、東京大学在学中に司法試験合格。その後、受験指導を始めたところ、たちまち人気講師となり、95年、「伊藤真の司法試験塾(現、伊藤塾)」を開設する。「伊藤メソッド」と呼ばれる革新的な勉強法を導入し、司法試験短期合格者の輩出数全国トップクラスの実績を不動のものとする。「合格後を考える」という独自の指導理念が評判を呼び、「カリスマ塾長」としてその名を知られている。現在、弁護士として、「1人1票」の実現のために奮闘中。
外部リンク
この記事に関連するニュース
-
硬直するコンプライアンス、本来は「自律」のための道具だった 成蹊大教授、伊藤昌亮氏 世界線の歩き方
産経ニュース / 2025年1月31日 8時0分
-
「意見が通りやすい人」は自然とやっている…周囲に「頭がいいな」と思わせる発言後に付け足す「4文字の言葉」
プレジデントオンライン / 2025年1月30日 8時15分
-
カテリーナ・バルビエリが語る、灰野敬二とモジュラーシンセから学んだ「西洋的アーティスト像の限界」
Rolling Stone Japan / 2025年1月21日 17時30分
-
「酒の販売」が社会的権利を侵害する? …19世紀を代表する経済思想家が語る、禁酒法が持つ“危険性”【165年前の教訓】
THE GOLD ONLINE(ゴールドオンライン) / 2025年1月14日 11時15分
-
【上智大学 教育学科】公募推薦特化 上智大学教育学科専門コース リリース!上智大学教育学科目指すなら、上智大学との繋がりが強いEQAO一択!業界にトップクラスに上智大学の推薦入試に強い塾EQAO
PR TIMES / 2025年1月8日 16時45分
ランキング
-
1「負け犬」から22年、酒井順子氏語る「子の無い人生」 令和は「負け犬」にとって生きやすい社会なのか
東洋経済オンライン / 2025年1月31日 7時40分
-
2ブレーキランプが「謎の点滅」! 突然“チカチカ”光る意味はナニ? まばゆい「赤ライト」の“素早い点滅”に隠されたメッセージとは!
くるまのニュース / 2025年1月30日 18時30分
-
3「走行中にドアをパカパカ」原付バイクを“あおり運転”した高級車が迎えた末路
日刊SPA! / 2025年1月31日 8時53分
-
4「卵の食べ過ぎで“がん発症リスク”3倍に」大学教授が警告、蔓延した誤解と食べていい“本当の個数”
週刊女性PRIME / 2025年1月31日 7時0分
-
5「あさイチ脳梗塞」の基礎を知る…寝たきりや認知症の主因
日刊ゲンダイDIGITAL / 2025年1月31日 9時26分
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
記事ミッション中・・・
記事にリアクションする
エラーが発生しました
ページを再読み込みして
ください