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渡邊渚が語っていた苦悩「PTSDであることを発表できなくて苦しかった。SNSで心ないコメントをいただくこともありましたし、話せないこと、理解してもらえないということは苦しかったですね」

集英社オンライン / 2025年1月30日 16時30分

2023年に体調を崩し、同年7月から休養、8月31日付けでフジテレビを退社した元アナウンサー・渡邊渚さん(27)。1月29日に初のフォトエッセイを刊行するなど、個人での活動を徐々に再開している。PTSDに苦しんだという彼女が再び動けるようになるまではどのような葛藤と経緯があったのか。集英社オンラインでの本人インタビューなどを振り返る。

【写真多数】ときおり涙を浮かべて取材に応じる渡邊渚さん

病気の詳細を公表できなかった理由

「もしもツアーズ」「めざましテレビ」「ぽかぽか」など、多くの人気番組に出演していた人気アナウンサーの渡邊渚さんがフジテレビを退社したのは昨年の8月。現在は独立し、個人での活動を続けることを明らかにしている。

昨年10月1日には、自身のインスタグラムでPTSD(心的外傷後ストレス障害)だったことを公表し、「身も心もボロボロでした」という告白が話題となった。
当時の集英社オンラインのインタビューに彼女はこう答えている。

ーー先日フジテレビを退社された渡邊さんですが、現在(2024年10月)はどのような状況なのでしょうか?

渡邊渚(以下、同) 「8月31日付けで退職し、現在はフリーの立場です。アナウンサーの仕事に固執しているわけではないので、いろいろなことにチャレンジしていければと。

昨年6月に、PTSDを発症してしまったんです。PTSDは生命が脅かされるような出来事がきっかけで起こるものなので、原因については詳しくお話しできないのですが……。」

ーー髪の毛も短くされたりと、SNSでは重病なのではないかと憶測が飛び交っていましたが、そうではないと。

「はい、もちろん身体にも影響は現れていたのですが、どちらかというと精神面の疾患でした。

当時はいくつかの診療科に通っていたのですが、一番長く休む原因となったのはPTSDでした。

PTSDの治療のために飲んでいた薬の影響で、一時期髪の毛が抜けてしまい、どうせ抜けるならと思い切って短くしたんです。現在は毛が抜けたりはないんですけどね」

ーー自ら病名を告白するのも、勇気が要りますよね。

「はい。会社としても私を守るためだったと思うのですが、会社の方針として、自分の病気に関して、公の場で話してはいけない決まりだったんですよ。

だから、SNSなどで私の病名についていろいろと話されているのも知っていましたし、早く公表してラクになりたいという気持ちもありました。

黙っていると、みなさんに対して嘘をついているような気がして…。でも会社に所属している以上、方針には従わないとな、と。

SNSで心ないコメントをいただくこともありましたし、話せないこと、そして理解してもらえないということは苦しかったですね」

ーーでは、今はすごくホッとした気分もあるのでは?

「おっしゃるとおりで、自由に発言できるようになって、ホッとしています」

こうしたコメントからも渡邊さんがPTSDを発症したつらさ、さらには、勤務先だったフジテレビとの兼ね合いで思うように発言することもままならず、それがまた大きなストレスになっていたことがうかがえる。

実際、渡邊さんがPTSDと向き合い、活動を再開できるまでには、壮絶な日々を送っていた。

PTSDやパニック発作で、外出もろくにできない状態に

渡邊さんは今回、刊行されたフォトエッセイのなかでも、PTSD発症の引き金となった「雨の日」について言及し、入院するまでの経緯や療養生活について記している。
集英社オンラインのインタビューでもその当時の辛い状況をつぶさに語ってくれていた。

「2年前にメニエール病にかかってから、目が回ってしまったり、片耳が聞こえなくなったりといったことが頻繁に起きるようになってしまって。

仕事中は特に大変で、自分が話している音が正しいのか、わからなくなってしまった時期もありました」

「加えてPTSDによって食事が摂れなくなったことで、生放送中に体がフラフラと動いていたことがあったようで。
もう立っていられない、歩くのも精一杯な状態で、最終的に医師の方に「入院しましょう」と言われたので、長期で休むことになったんです」

「あと、PTSDの特徴的な症状の一つに「過覚醒」があるのですが、それによってささいな物音にも恐怖を感じて眠れなかったり、ストレッチャーを引きずる音が怖くなったり……。
とにかく常に気が張り続けていたので、まずはそうした覚醒状態を薬で抑えるところから治療を始めました」

「ただ退院してからも、しばらくは家の中でしか過ごせなくて。同時にパニック障害のような症状も現れていたので、外出するのがとにかく怖かったんですよ。

電車やバスに乗るにもひと苦労。タクシーなんて到底乗れなかった。エレベーターも、知らない人が同じ狭い空間にいるのが耐えられなくて、使えなかったです」

こうしたコメントの数々からも、彼女の辛かった日々を想像するに難くない。

そうして、その後、渡邊さんは2023年12月23日発売の雑誌「週刊プレイボーイ1・2合併号」のグラビアに登場、今回のフォトエッセイ刊行など、ようやく新たな活動を始めていった。

SNSでは基本的には自分のことについて書くだけ

療養中には、パリ五輪を現地観戦していたことが物議をかもし、ネットで炎上したこともあった。
SNSとのつきあい方について、渡邊さんはこう話している。

「もちろん民放に勤めていたということもあるので、“言っていい・言ってはいけない”の分別については理解しているつもりです。
それに、“人を傷つけないことが一番”だと思って生きてきたというのもあるので。

あと、人間性として、そもそも人に対してあまりイライラしない性格なんです。なので、SNSで何かを発信していくとしても、基本的には自分のことについて書くだけになるかと思います」

彼女のアカウントには「PTSDなのにグラビアができるはずない」といった心ないコメントも寄せられている。それに対しては1月17日に更新したインスタグラムで

〈時々、「PTSDの人間がグラビアをやれるわけがない」と言われますが、私は病気になるずっと前からグラビアページに出ていたので、こうして写真を撮られることに抵抗感がありません〉

と発信もした。

 今後についてもこう語っていた。

「“テレビに出たい”という気持ちは、いまのところないんですよ。それに“フリーアナウンサー”という肩書きもいらないと思っていて」

「一方で、私はこれまでアナウンサーとしてテレビの世界しか見てこなかったので、一度そこから船出をしてみて、自分でコントロールしながら、やれることをできる範囲で、少しずつ挑戦していきたいと思っています」

今回、刊行されたフォトエッセイの第1章「これまで」でも、ようやくそうした経緯を自らの言葉で記すことができたのであろう。 帯にある「病や逆境があったって、私は人生を諦めない」からも彼女が今、新たに人生を歩き出そうとしている決意が感じられる。

文/集英社オンラインニュース班
渡邊さん(撮影/松木宏祐 ヘア&メイク/東川綾子)

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