桜金造、デビュー秘話を明かしながら話す、障がい者になって思ったこと「嘆くべきなのか、生きているって喜ぶべきなのか」
集英社オンライン / 2025年2月2日 14時0分
「小山ゆうえんち〜」という鉄板ギャグや、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)でのワニとの死闘といった、昭和生まれの脳裏にこびりついたお笑いエピソードの持ち主である、コメディアンの桜金造さん(68)。今年で芸能活動50周年だという桜さんに、デビュー当時から近況、そして障がい者となった今、日々考えているということをうかがった。〈前後編の前編〉
ひょんなことから芸能人になった桜金造
関根勤や小堺一機など、お笑い界のレジェンドたちを排出した伝説のバラエティ番組『ぎんざNOW!』(TBS系)に素人として出演したのが芸能界のキャリアの始まりだ。
同番組で結成されたグループ「ハンダース」や、アゴ勇とのコンビ「アゴ&キンゾー」でお笑いキャリアを重ねた後、俳優としても活躍。
2007年には東京都知事選挙に出馬したこともあった。
また、稲川淳二と並ぶ「最恐の怪談師」としても、不動の地位を築いている。
杖をつき、ヘルパーの女性に歩行の介助をされながら、待ち合わせの場所に現れた桜さん。
「生きてますよ。ええ、なんとかそれなりに生きています。
1級障害者なんですよ。柔道だったら、もうすぐ初段、黒帯です。すごいですよね。黒帯に限りなく近い障害者ですから、ヘルパーさんがいないと移動ができないんです」(桜さん、以下同)
確かに動きはぎこちないが、語り口はなめらかだ。
「今日は、私の芸能デビューのきっかけを聞きたいんですよね?
1975年ですね。高校3年生、18歳のときにね、受験が近いということで、両親が腕時計を買ってくれたんですよ。
で、その腕時計をなくしてしまいましてね。しかも親父が“受験がんばれよ”と、張り切って買ってくれた、いい物だったんですよ。
これは困った…と。親父にも申し訳ないし、試験なんかで不便ですからね。代わりに目覚まし時計を持ち歩いていたんですけど、やはり不便で。
今は腕時計なんて1000円位で買えますけれども、当時は高価ですから高校生には簡単に買うことができない。
さあどうしたものかと思っていたら、当時やっていた『ぎんざNOW!』(TBS系)という番組に、『しろうとコメディアン道場』という素人参加型のコーナーがあって。そこに出るだけでね、参加賞として高級腕時計がペアでもらえる…と知ったんです。
これはいい、ということで、自分ではがきを書いて応募しました。そうしたら、ちょうど出る人があんまりいなかったようで、すんなり出ることができたんです。
私としては参加賞の腕時計をもらえたらそれで終わり、のつもりですから、まともにおもしろいこと、ネタなんか考えていなかったんですよね。
それが、私が出たときのチャンピオンのネタが、これがまたつまらなかったんです。
どっちが面白いかじゃなくて、どっちがよりつまんないかという戦いになって、私が勝ったわけですね。
じゃあこれでいいやと思ったんですけど、一応私が勝ったから、『チャンピオンになったんだから、次も来てくれなきゃ困るよ』っていわれまして。
とはいえやっぱりあの当時、テレビに出られたのって嬉しいじゃないですか。受験生っていったって、実際はまともに勉強をしていなかったし、大学なんて親に行けって言われただけで、入れなきゃそれでいいって思ってましたから、出続けちゃったんですよね。
結果、5週連続で勝ち抜いてしまいまして。5週勝ち抜くと、その番組のレギュラーになれるっていうシステムでね。嬉しくって、ますます受験なんてどうでもよくなってしまいました」
なお、参加賞は毎回授与されたため、桜さんは合計10個の腕時計を手に入れた。
自身を振り返り「もうほんと、生意気だった」
「1個でよかった腕時計は10個になるし、当時の渡辺プロダクション、今のワタナベエンターテインメントにスカウトもされたんです。
『渡辺プロってどんなところですか?』って聞いたらば、私が好きなタレントが全員所属していたんですよ。
当時だとクレイジー・キャッツ、ドリフターズね。アイドルならキャンディーズとか天地真理、沢田研二もいたし、アグネス・チャンもいたんです。おおー、アグネスか!って。
で、なんとなく『アグネス・チャンに会えますか?』って聞いたの。そうしたら『会わせます』って。じゃあ入ってもいいかな、って。
当時はアルバイト感覚ですよ。でもどうせタレントなんて自分に続かないだろうから、2次募集している大学にでも入ろうと。親はどこでもいいから大学に入って公務員にでもなってくれたら御の字だっていってたんで、流れにまかせて適当にやればいいやなんて思ってました。
そうしたら、グループを組まされて、やれレッスンだ、歌の練習だなんだって始まっちゃって。自分でやりたいわけじゃないから、ぜーんぶ、適当にやってました。
なのにね。事務所が『今度はレコードを出す』っていい出して。最初のころは売れなかったんですよ。
でも3枚目に出した『ハンダースの思い出の渚』っていうシングルがね、これがスマッシュヒットしたんですよ。で、みんなに知られるようになっちゃってね。
師匠や先輩がいるわけじゃなかったからね。もうほんと、生意気だったと思います。
街で『サインしてください』なんて言われても、『うるせえな』って無視したり。
“お前ら芸人なんてね、舌先だけで金儲けしやがって、 楽でいいな”とか言われたりもしてね。それがよかったんだか、悪かったんだか…。
で、それから38年経って、56歳のときですかね。
風呂で倒れて。で、今日に至るんですけども。私もこんな風になると思ってませんでしたね」
2013年2月、脳内出血を起こし自宅の浴室で倒れた。
病院で右側頭部血腫の除去手術を受け、なんとか死の淵からは這い上がったものの、今だに左半身には麻痺が残っている。
「先日、中山美穂さんがお亡くなりになりましたね。お風呂場で、54歳と聞きました。私もお風呂場で、56歳でした。
状況はよく似てますけれども、私はたまたま、まだ息があるところを発見されて、緊急搬送された。命は助かったけども、障害者一級になったと。
障がい者になったことを嘆くべきなのか、それでも生きているって喜ぶべきなのか…。出かけることはままならないけれども、日々、偉い人たちの言葉を勉強していますね」
不自由な身体になりつつも、日々学ぶことは続けたいという桜さん。
後編では、桜さんの話芸の真骨頂である怪談の真相、そして現在の境地をうかがった。
【プロフィール】
桜金造(さくら・きんぞう)1956年、広島県生まれ。'75年に『ぎんざNOW!』でデビュー後、コメディーグループ「ザ・ハンダース」を結成。その後、アゴ勇さんとのコンビ「アゴ&キンゾー」でも活動。俳優としても活躍し、伊丹十三監督の映画『タンポポ』『マルサの女』などでも存在感を発揮。芸名の名付け親は故・松田優作さん。
取材・文/木原みぎわ
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