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「19歳の時に交通事故に遭い、炎上する車の中で3人の友人を亡くした」パリ2024パラで初優勝・車いすラグビー日本代表主将・池透暢が語る、怪我や病気を支えてくれた人の絆

集英社オンライン / 2025年2月5日 11時0分

国内外の競技会や大会で優れた成績を残した選手やチームを表彰する第8回パラスポーツ賞の表彰式が1月16日、都内のホテルで開催され、パリ2024パラリンピックで金メダルを獲得した車いすラグビー日本代表チームに、大賞と奨励金200万円が贈られた。2016年のリオ大会、2021年の東京大会で2大会連続銅メダルだったチームが、悲願の初優勝を遂げた裏側には何があったのか。主将の池透暢(いけ ゆきのぶ、44歳、日興アセットマネジメント)が振り返る。

【画像】敗退寸前まで追い込まれたオーストラリアとの準決勝

パリの準決勝、2点差から奇跡の逆転の理由

2024年9月1日、準決勝オーストラリア戦。残り3分53秒で「世界ナンバーワンプレーヤー」と呼ばれるライリー・バットにトライを決められて42-44の2点差になった瞬間、多くの人がこう思ったはずだ。

「準決勝の壁は、果てしなく高い」

車いすラグビーは、ボールを持ったオフェンス側のチームが得点を決める確率が高い競技だ。世界トップクラスである日本とオーストラリアの実力であれば、オフェンス側が90%程度の確率でゴールを決めることを前提にして、作戦を立てる。

「2点差」はわずかに見えるが、2大会連続で準決勝で敗退した日本代表にとって、世界ランキング1位(当時)のオーストラリアは、まごうことなき目の前に立ちはだかる「高い壁」だった。

池はこの時の心境をこう話す。「やっぱり、オーストラリアは強いと思い知らされた瞬間でした。でも、その中でも自分たちのベストプレーを相手に当て続けることしか、勝利の道はなかった。相手に『もうダメだ』という感情を見せずに、『勝ち切る』という気迫をぶつけることに徹底した」

日本代表の12人の選手のうち、11人が東京大会の悔しさを経験している。パラという大舞台では、一つのミスが命取りになる。そのことを身をもって知っている11人だ。だからこそ、どんな窮地に追い込まれても、「変わらないこと」にこだわってきた。

「東京大会の悔しさを知っている僕たちは、『金メダルを獲る』という覚悟は、どの国にも負けない。それまでの努力、戦略、スタッフの方々の尽力も含めて、僕たちは世界一の準備をしてきたとみんなが思っていました。パラは特別な大会だからといって、特別なことをしていたら良い結果が出るわけではない。そのことをチームみんながイメージできていた」

危機的な状況の中での「平常心」が、相手チームの焦りを誘った。2点差になった直後に橋本がトライを決めると、残り3分6秒で草場が同点トライ。試合を振り出しに戻した。それでも、オーストラリアはバットにボールを集め、食い下がる。だが、これが狙いだった。

一進一退の攻防が続き、残り43秒で日本は47-47の同点に追いついた。しかし、オーストラリアにボールが渡る。

「この時点で、僕らは10%しか勝つ確率はなかった。でも、そこでも何の感情も変えることなく、残り時間もこれまでやってきたことを愚直にやるだけでした」

バットは高い能力を持つが、手に障害があり、パスの精度が低いのが弱点だった。事前の分析通り、オーストラリアにプレッシャーをかけ続けた残り5秒、池がスチールに成功。同点のまま第4ピリオドを終えた。延長に入った日本は、その勢いで延長第1ピリオドを制し、52-51で勝利して悲願の準決勝突破を達成した。

何も変わらないこと──。そのために、あらゆることを想定して準備をしてきた。実際の対戦はなかったが、パリ大会では開催国のフランスと戦うことを想定して、練習のときに大歓声の音をスピーカーで流し、何も聞こえない状況で試合をする練習もした。もちろん、延長戦を想定した紅白戦も何度も繰り返した。

「安定したメンタルで最後までやり抜くこと。それがたとえ、圧倒的に負けていたとしても、選手たちはやるべきことをやる。選手、監督、コーチみんなが、仲間たちのハードワークを『Blieve(信じる)』して、信頼関係の上で成り立っているチームになったこと。個々の選手の成長はもちろんありますが、そういったことが東京大会に比べるとチームとしてかなりレベルアップできたのかなと思っています。だから僕は、キャプテンとしてはパリ大会では何もすることがなかったぐらいでした」

「一つの悔しさもない、人生で一番美しい時間」

決勝も「いつものメンタル」で挑んで米国に48-41で勝利した日本は、表彰台の頂点に立った。金メダルを獲得して、見えた風景はどのようなものだったのか。

「一つの悔しさもないことですね。他の国際大会で優勝しても、パラに向けての課題が見つかって、気になることがの方が多かった。それが、最大の目標にしていた金メダルを獲ると、すごく新鮮な気持ちになりました。チームメイト、応援に駆けつけてくれたファン、そして決勝を戦った米国チームからもらった言葉。すべてが人生で一番美しく感じた時間でした」

帰国後はイベントやメディア出演、表彰式に忙殺されながらも、2028年のロサンゼルス大会に向けての準備も始まっている。車いすラグビーは選手寿命が長い。44歳の池には2連覇の原動力になってほしいとの期待もある。

「島川慎一さんは、日本代表で僕より年上で選手をしていましたが、やはり、自分自身としてはケガをしやすい体に変わってきているなと感じています。もちろん、今はロサンゼルスを目指すつもりです。ただ、競技をいつまでできるかわからない中で、次の誰かに受け渡す形になるかもしれない。それはまだわかりません」

先述したように、代表選手12人のうち11人が東京大会の経験者だった。その意味では、ロサンゼルス大会に向けての最大の課題は、新しい世代を育成し、選手層の厚みをつくっていくことになる。では、若手の選手には、どんなアスリートになってほしいと考えているのだろうか。

車いすラグビーとの本当の価値とは

「車いすラグビーが上手になって、日本代表になった。それだけでは、なんというのかな……自分のことだけ考える選手では難しいと思います。自分の身近で応援してくれている人、支えてくれる人、そういった人たちに何かを返していく。そこに、車いすラグビーというスポーツの本当の価値があるということを伝えていきたい」

車いすラグビーは、障害の重い0.5から軽い3.5までポイント制にしてクラス分けし、コート上の4人は合計8点以内(女性が1人入ると0.5点プラス)で編成する。

車いす同士がぶつかる時には火花が散るほどの激しさがある一方、多様な障害の人が参加できる。そのため、他の競技よりも重い障害の選手が多く、男女混合チームもある。

池自身は、19歳の時に交通事故に遭い、炎上する車の中で3人の友人を亡くした。全身の70%に火傷を負い、左脚を切断。今も左腕はほとんど感覚がない。車いす生活になってからは車いすバスケをしていたが限界を感じ、2012年に車いすラグビーに転向した。その中で、たくさんの人に支えられて、金メダルまでたどり着いた。

「自分のために頑張るよりも、他人のために頑張った方が良い結果が出やすいという研究結果もあるように、『何かのために』『誰かのために』という思いを持って感謝をし続けていれば、いろんな経験ができる。結果が出た時の喜びも大きくなると思うんです」

そこに、池が考えるパラスポーツの価値がある。

「パラスポーツの場合、選手は過去に病気やケガなどで大きな挫折を味わっていて、それを支えてきた人との絆は、本当にいろんな形があります。選手一人ひとりに『出汁』がいっぱい出ている。競技で使う道具一つにしても、その選手が持つ障害の特性に合わせた工夫がたくさんあるんです。聞いたら何でも答えを出してくれるAI時代だからこそ、人間の限界を超える創造的なところに、パラスポーツの面白さと喜びがあるのではと思います」

今後は、代表選手の育成だけではなく、次世代の発掘にも力を入れていくつもりだという。地方都市での車いすラグビーの普及も重要だと考えている。高知で育ち、高知で事故に遭い、高知で競技人生を歩んできた池らしい「次の夢」だった。

写真/越智貴雄 文/西岡千史

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