この依頼を受けたとき、ちょうどぼくは「自分のことなど誰にも理解されていない」と感じて落ち込んでいて、在宅ワーク中の妻がオンラインミーティングでハキハキ発言するリビングから襖一枚隔てた和室で寝転び涙と鼻水で顔面をベッチョベチョにしながら天井を凝視するクソザコ成人男性だった。シンクロニシティの極みである。実はこういうときに読む本はここ十年ほど変わっていない──最果タヒの第二詩集『空が分裂する』だ。いつも仕事机に置いている。
とりあえず一冊紹介したので少し愚痴らせて欲しい。主に仕事でぼくの理解されなさを頻繁に感じる。数学や物理の話題や用語を積極的に使った小説や批評を書くと、そのたびに「理系じゃないんで」とか「大滝さんは文学に明るくないでしょうから教えてあげますが」とか「頭の良さをひけらかしている」とでも言いたげな返答を頂戴するのだが、文学は〈自由〉じゃなかったのか? チクショウめ。文学畑で文学じゃない言葉を持ち出すと文学扱いされないこんな世の中じゃポイズンである。オレはこれから「文学」を「POISON」と呼ぶことにしよう。オレは反町隆史だ。
さて最果タヒの素晴らしさだが、それは言葉が意味に縛られていないところにある。「POISON」がまだ「文学」だった時代のことを思い出させてくれる輝きが最果タヒの言葉にはあって、紹介した『空が分裂する』のあとがきには何度も救われた。最果タヒを読んでいるとき、オレは最果タヒである。