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女子高校生が落語!? 週刊少年ジャンプで異彩を放つ『あかね噺』の魅力

集英社オンライン / 2022年6月23日 9時1分

『週刊少年ジャンプ』で人気急上昇中のマンガ『あかね噺』。落語を題材にした異色の作品の魅力を紹介する。

落語を題材にした文系スポ根マンガ

今も昔も人気の“スポ根”というマンガのジャンルがある。スポーツ根性マンガの略で、多くのマンガ好きが共通理解できるテーマだ。筆者はそんなスポ根マンガが大好物である。

競技や分野に努力と根性で向き合い、挫折、修行、ライバルとの勝負を繰り返し、頂(いただき)を目指す。読めばワクワクし、胸がアツくなる。近年ではこのスポ根フォーマットで、アート、文筆、学問といった非スポーツの“文系”ジャンルを描いた作品も多い。

本作『あかね噺』は落語を題材にした文系スポ根マンガである。

落語はその身ひとつで観客を楽しませるミニマムかつ究極のエンタメ。落語家たちがしのぎを削るその世界に、強い思いを抱いて飛び込んだ少女がいた。彼女の名は“あかね”こと桜咲 朱音(おうさき あかね)、まだ17歳の女子高校生である――。



集英社の漫画賞「ストキンPro」で準キングを受賞した末永裕樹氏が原作を、スポ根サッカーマンガ『オレゴラッソ』を連載した馬上鷹将氏が作画をそれぞれ担当。そしてマンガ好きを公言している落語家・林家けい木氏が監修している。このチームがつくりあげる本作の熱は着実に読者に伝わっており、単行本の1巻は発売後、即重版が決定した。本稿ではこの1巻を中心に、作品のアツさを未読の皆さんにも紹介したい。

落語の真打を目指した父と娘

主人公・あかねは、落語界をけん引する存在である阿良川一門のナンバー2、阿良川志ぐまに弟子入りする。彼女はこっそり11歳から6年に渡り、志ぐまに落語の稽古をつけてもらってきたのだ。秘密の稽古が露見した日、あかねはいきなり落語喫茶の寄席に出ることになる。

落語とは一人喋りではなく一人演劇である。演目の登場人物からナレーションまでのすべてを、表情、仕草、声色を駆使して一人で演じる。“その場にいない者たちの会話”を見せ、そのやりとりで笑いをとるのだ。

「初めっから何でもできるヤツなんていねぇ」そういわれた彼女だったが、見事に初高座を爆笑で飾る。実は彼女の落語のキャリアは6年ではなかった。子どものころのあかねは、父親である阿良川志ん太こと、徹(とおる)の落語が大好きで、いつも稽古をのぞいては真似をしていたのだ。

徹は落語家の階級でいうと「二ツ目」だ。阿良川志ぐまの一番弟子で、素質はあるのだが、落語家の最高位「真打」には手が届かなかった。

それでも「苦労をかけている妻子のために今度こそ」と意気込み、真打昇進試験に臨んだ。そこで徹は自身最高の一席を披露。会場の客や阿良川流の師匠たちは皆、徹の真打昇進を疑わなかったが、その日、昇進試験を受けた5人は誰一人真打になれなかった。

なぜなら一門のトップ、阿良川一生(いっしょう)が徹を含む全員を破門にしたからだ。破門とは単に試験不合格ではなく、阿良川流からの追放を意味していた。その理由は明かされていない。落語業界以外にも広く知られることになったこの「破門騒動」後、あかねはある決心をする。

阿良川一門の真打になる
真打になっておっ父の芸はスゴかったって事を
みんなに………あの男に
私が証明する。

こうして女性落語家・あかねによる仇討ちの物語が始まった。「花見の仇討ち」や「宿屋の仇討ち」のサゲになる作り言ではなく、文字通りの意味だ。阿良川一生の鼻を明かし、自分が好きだった父と父の落語の尊厳を取り戻すのだ。

真打への道で学ぶ、落語において大切なこと

阿良川志ぐまに「噺だけは」仕込まれたあかね。そこで彼女と私たち読者は、落語において大切なことを学ぶ。

あかねは落語の才能は明らか。しかし絶対的に知らないこと、足りていないことがあった。そこで志ぐまの弟子たちから「落語家」について学ぶことになる。まずは兄弟子のひとり、阿良川 享二(きょうじ)が教育係となった。

あかねは高校卒業前なので入門前ではあるが、意気揚々と前座修行をスタートさせた。しかし彼女は、雑用全般を行う前座修行に身が入らない。「落語には無関係だと思うか?」享二はあかねの思いを見透かしてこう言った。

落語家は相対するお客を喜ばせる商売だ。ならば目の前の師匠一人、兄弟子一人を喜ばせるために先へ先へと、気を回して動くのは当然である。この動きを落語家は“気働き”といい、大切にしているのだ。

この落語の神髄のひとつを聞いてもなお、あかねは落語で最も大事なのは芸の腕であるという考えを変えない。

ただ享二の出る寄席で特別に高座に上がることを許された彼女は、波立つような笑いを起こせなかった。子どものころから積み重ねて、身につけたものを出し切ったにもかかわらず。実はその寄席は高齢のお客さんが多かったが、あかねは客層に合わせた工夫ができなかったのだ。つまり気働きができなかったのだ。

「どうすれば相手の喜ぶ落語ができるのか考える」これが真打への道の第一関門だ。その先には圧倒的な天才、同世代の学生落語家との勝負が控えている。天井知らずのアツい展開の連続が待っている。

あかねの未来への期待感じが止まらない

『あかね噺』は落語を“魅せる”作品だ。ここでは作中で印象に残った落語の表現を、あかねの初高座から2点ピックアップした。

あかねの持ち味は父親ゆずりの人物描写だ。複数人の登場人物の芝居を表情で描き分け、それぞれのセリフだと分かるように“フキダシの形を変えて”書き分けている。

臨場感あふれる一席は、まるでマンガから声が聞こえてくるようである。噺はラストに向かい、やがてカタルシスが訪れる。

父の落語「芝浜」のテンポの良さや、あかねのライバルになりそうな阿良川 魁生(かいせい)の「稽古屋」に漂う色気、これらの表現もシビれた。今後もあかねの落語がマンガでどう表現されていくのか楽しみだ。

ただ落語が見事に表現されており、ストーリーがよくできているからこそ、気になることがある。父と父の落語が大好きだったあかねは、いま落語自体をどう思っているのだろうか。

自分が阿良川流の真打になって、阿良川一生を問い詰めて破門騒動の真相を聞く。ではその後は?

あかねが真打になる、つまり落語家として生きていくのであれば、純粋に落語を楽しむ心、落語への強い興味が必要なのではないだろうか。遠くない未来に、恩讐を超えて落語家であることの喜びが描かれると期待している。

あかねが父親の落語に魅せられたように、私はあかねの落語に心惹かれている。そこからさらに落語自体に興味を持ちはじめて、すでに落語の動画を見まくる毎日だ。

あかねが怖い。あかね噺が怖い。本作と落語の沼からは抜け出せそうにない。

文/古林恭 ©末永裕樹・馬上鷹将/集英社

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