毎年、学生に授業で見せる映像のひとつに、ロシア革命20周年記念映画として製作されたセルゲイ・エイゼンシュテイン監督『戦艦ポチョムキン』(1925)の“オデッサの階段”シークエンスがある。
『アンタッチャブル』(1987)など、数多くの映画でオマージュを捧げられたこのシークエンス。艦長・士官たちの理不尽な扱いに憤慨して反乱を起こしたポチョムキン号の水兵たちを熱烈歓迎していた港町オデッサの住人たちが、帝政ロシアの軍隊によって無差別に発砲される様子をモンタージュ技法で描いている。
史実としてどの程度の数の住民たちが殺されたのかについては別として、帝政ロシア(の貴族階級と軍隊)がいかに自分たちの国民を無慈悲に扱ってきたかを描いたことで、ロシア革命の正当性を国内外に訴えるのにこれ以上ないくらいの効果を持った。
そのオデッサ(オデーサ)が、現在の国名で言えばウクライナに属する町であることを、恥ずかしながら今回のロシアによる侵攻まで、ほとんど気にかけたことすらなかった。だが、歴史的に見て、世界で最も広大な国土を持つロシアにとってバルト海、ウラジオストックとともに、黒海沿岸の港の確保が死活問題であることはよく知られる通り。
今回の侵攻で制圧したと伝えられるマリウポリも、その前のクリミア半島併合も、この先にもしかしてウクライナ全土を併合したいという野望がロシア側にあるのだとしたら、その場合のオデーサも、すべては同じ文脈でとらえられることになる。