スペインの北に位置するバスク自治州、ギプスコア県の都、サン・セバスチャン。そこは「世界一の美食の街」と言われる。
町中に連なるバールが出すピンチョス(もともとは串や楊枝で刺した料理に使われたが、一口サイズのつまみ)を食べ歩くことで、その意味を十分に感じられるだろう。
旧市街での個人的イチオシは、”お化けマッシュルーム”。ガーリックバター、生ハム、マッシュルームのハーモニー。その味がしみ込んだパンも舌が唸るほどうまい。いくらでも食べられるが、はしごが基本なので次の店へ。
「世界一の美食の街」サン・セバスチャンの“秘密の社交場”に潜入
集英社オンライン / 2022年6月29日 16時1分
「ミシュランの星密度世界一」ともいわれ、世界屈指の美食の街として知られるスペインのサン・セバスチャン。ここには男のみが厨房に立つことを許される、秘密の美食倶楽部があるという。そこで潜入した著者が見たものとは……
どれも一皿、日本円で約300円
近くに「Mari Juri」のうまいバールがある。ピーマン、サーモン、アンチョビをパンの上にのせたもので、絶妙な味わい。赤ワインが進む逸品で、魚介は他にもバカラオ(タラの塩漬け)やイカの鉄板焼きなど、海沿いの町だけにレベルが高い。
季節が秋なら、「Setas」もおすすめだろう。採れたてキノコをオリーブオイルで炒め、卵黄をちょこんと乗せる。食べる直前に黄身をとろりとさせ、キノコと一緒に口に運ぶと天国だ。
季節に関係ない一品としては、「Gilda」がいい。青唐辛子酢漬け、アンチョビ、オリーブを串に刺した伝統料理。酒量が増すはずだ。
日本人女性も多数、訪れていた人気店
お店同士の競争は激しい。どれも一皿、一串、日本円で300円程度。安く、うまく、楽しい。美食の町の神髄だ。
しかし美食の原点は、さらに奥にあった――。
女人禁制の厨房
厨房に立った男たちは、ボウルの中の卵黄を解きほぐし、フライパンをリズム良く振り、ナイフを器用に使っていた。棚から調味料を出し、少量を振ると、慣れた手つきで味見をし、意を得た顔つきになった。エプロン姿がやけに様になっていた。
そこは基本的に男のみが料理をすることを許され(女性は食べる専門)、ワインやシャンパンやシードルと共にたしなむ社交場である。
「Sociedad Gastronomica(ソシエダ・ガストロノミカ)」
スペイン語でそう呼ばれ、「美食倶楽部」のように訳される。家族や仲間単位で厨房と食堂のある建物を使用する会員となって、美食を楽しむ。信頼できる者同士しか会員になれず、その意味で「秘密結社」のようにも言われる。
男子厨房に入るの図
ちなみに入会費は約10~20万円、年会費は3~4万円程度。材料はみんなで持ち寄り、ワインや調味料などは使った分だけ支払う。会員になるには、現メンバー全員の同意が必要だ。
はじまりの由来は様々ある。
「バスクは男女の格差が非常に少ない地域で、家で料理ができない男性のために生まれた」
「高尚な精神ではなく、男同士で集まる場所が欲しかった」
「家族だけでなく、友人同士が結び付き、レストランではできない内緒の会話を交わし、存分に(安く)料理と酒を楽しむため」
「単純に、男たちが週末に大好きなサッカーをゆっくり見る場所の確保」
おそらく、どれも少しずつ正しい。すでに100年以上にわたって続く、美食文化だ。
スペインの中の「小さな国」
筆者はサッカーのバスク代表監督なども歴任した地元の名士、ミケル・エチャリが友人で、4、5回、美食倶楽部に招待されたことがある。お金では買えない機会だけに、なんとも誇らしい気分だった。
筆者を招待してくれた元サッカーバスク代表監督のエチャリ
初めて訪れたのは2016年で、スペインの名門サッカークラブ、レアル・ソシエダの練習場があるスビエタ(サンセバスチャン郊外)にある1956年創立の倶楽部だった。
看板はすべてバスク語だし、料理も多くはバスク風。会話も基本的にはバスク語で交わされる。スペインの中にある小さな国に招かれたかのような気分になる。
まずは、バスク伝統の食前酒チャコリ(微発泡のワイン)をたしなむ。ほのかな香りと舌への刺激で、五感が冴え渡る。これから始まる宴の準備といったところか。
野太い腕で料理した荒々しく、野性的な品々がテーブルの上に並んでいった。生ハムやチーズやオリーブをワインで楽しみながら、トルティージャ(スペイン風オムレツ)がやたらとうまい。牡蠣と、とろとろのスクランブルエッグで早くも至高へ近づく。
「今日は市場でいいのが見つかったから」
そこで一人の男性が振る舞ってくれたのは(複数の男性が料理)、魚のかま(えらの裏にあるわずかな肉を削ぎ落したもの)だけをにんにくとオリーブオイルで炒めたものだった。昇天もののおいしさだ。
難しくないレシピのはずだが、目利きが素材を選んでいるのだろう。誰もが魚や肉や野菜や果物を見る目を養い、どの魚屋にいい品が揃い、どの八百屋が新鮮なものを扱っているのか、そもそもの知識量が豊富だった。ウェイターいらずで、料理ができたらフライパンごと持ってきてくれるので、出来立てを厨房で味見している感覚か。
何より、レストランの火力で炒めることができるので、どの料理もワンランク、おいしさが弾むのだ。
鶏肉の煮込み。こまめに汁を吸わせ、こう見えて繊細
こんな“贅沢”をしている人たちを楽しませるのだから、当地店の料理人の腕も上がる。ミシュランの星付き料理人が多いのも必然だろう。バスクの三ツ星レストラン「アルサック」では父娘二代で、世界的な料理人だ。
<料理のおいしさや工夫をわかってもらえる>
そこに料理人も幸せを感じるはずで、自然と技術も上がる。また、人々が店に集まる。
「世界一の美食の町」
それは決して大げさな表現ではない。
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