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異例のヒット映画『教育と愛国』の監督が、参院選を前に伝えたいこと

集英社オンライン / 2022年7月7日 16時1分

5月に公開された、政治と教育の関係を問うドキュメンタリー『教育と愛国』が異例の大ヒットとなっている。大阪・毎日放送の(MBS)の名物ディレクターとしても知られる監督の斉加尚代氏は、この映画とともに全国を巡る中で何を感じたのか。そして参院選投開票を前に今、最も伝えたいこととは。

教員志望の学生さんとの出逢い

様々な人たちと取材を通じて出会ってきた私は、映画を介して「出逢う」という意味を当初は理解していませんでした。初めて監督を務めたドキュメンタリー映画『教育と愛国』は、これまでと次元の異なる瞬間の出逢いを生み出しています。

2022年5月13日の公開から2ヶ月近く、忘れられない出逢いの数々。振り返れば、教育に対する政治介入という忍び寄る巨大な“影”と小さな抵抗の“光”を描いた映画だからなのかもしれません。政治と一線を画してきた戦後教育と教科書がいま、危険な曲がり角を曲がってしまったのか。映画を観終わった後のお客さんの反応は、驚くほどに様々でした。



静岡シネ・ギャラリーへ行ったときのこと。舞台挨拶のあとパンフレットに次々とサインをしていると、可愛らしい女性が眼前に立ち、目が合うなり「悔しいです」と言ってはらはらと涙を流しました。教員志望の学生だと彼女は泣きながら言うのです。

教育への不当な政治介入に耐えられないと言ったその表情に、思わず私は立ち上がって肩に手を伸ばし、抱いて励ましたのでした。きっと純粋に教員を目指して学んでいるのでしょう。

「大丈夫、がんばって先生になって。踏ん張る先生たちと子どもたちが待っています」

そう伝えると少し落ち着きを取り戻し、サインを入れたパンフレットを手に持って離れていかれました。子どもが大好きな感受性豊かな学生さんなのでしょう。「不当な支配に服することなく」という戦後の教育基本法の理念をすでに学んでいたのかもしれません。

許せない、悔しい、抑えきれない感情が沸き起こって涙があふれた真っ直ぐな気持ちに私は心打たれたのでした。こんな出逢いがあるなんて想像もしていませんでした。

霞が関の職員たちもー

本作には教科書に関して熱く語る政治家や学者らが次々と登場します。その語り口は極めてエネルギッシュなのですが、観終わった印象として背筋が凍る「政治ホラー」と評する方が少なくなく、これぞ納涼にピッタリと冗談めかしてSNSで発信する人もいます。

公開前から現役教員や教員OBたちが劇場へ足を運んでくれるだろうと思っていましたが、社会科の教師だと名乗って自身の苦い体験を語ってくれる人も多くおられ、期待した通りだったと思います。意外だったのは、文科省や内閣府の職員たちもサイン会に並んで私に身分を明かしてくれることでした。

菅義偉前総理のお膝元、神奈川県の横浜シネマリンは、舞台挨拶があったその日、当日券も完売してお客さんが溢れました。10人ほどが入場できず帰られたそうです。劇場支配人は久しぶりの満員御礼だと顔をほころばせて報告してくださり、私は誇らしい気持ちとがっかりして帰ったお客さんへの申し訳なさとで心中が揺れ動きます。

その会場での上映後、ひとりの女性が、わざわざ身分証のカードを示して「文科省に勤務しています。映画とてもよかったです」と話してくれたのです。

「えっ? 身分を明かして大丈夫なんですか?」と私が聞くと、にっこり笑顔を浮かべてパンフレットにサインを求めてくださったので、これには驚きました。確かに政治圧力は文科省をも覆っています。政治家の顔色をうかがう文科省上層部によって職員が被害を被っている側面があるのです。

教科書への政治介入とヒットの裏側で

2021年4月、学術的根拠にも依らない一方的な閣議決定によって、教科書の中の歴史用語である「従軍慰安婦」と朝鮮半島からの「強制連行」を用いるのは不適切だとされました。

検定合格後の教科書記述をも書き換えるよう文科省が、教科書会社を対象に説明会を開いて訂正申請の手続きへと促す――そんな前代未聞の事態を迎えたとき、職員たちは内心「余計なことしやがったせいで業務がさらに多忙になったじゃないか」と思う人もいたでしょう。

政治圧力に公務員たちも追い込まれていると言えるのです。「教科書検定は忖度の世界」と出版編集者は語っています。

文科省だけでなく内閣府の職員にサイン会で声をかけられたときはさらに驚愕しました。「批判的思考が弱まっている中で非常に良かった」との感想をいただきました。

これには、なにか夢を見ているような気分でした。というのも映画が完成する直前、ある教育関係者はこう心配していたのです。「この映画、学校の職員室で話題にもできないんじゃないかな」と。

東京都内の劇場のブッキングが非常に難航していたときだったので、観客が誰もいないガランとした劇場で舞台挨拶をしている自分の姿を悪夢のように思い描いていたのです。

しかし、その予想は外れました。爆発的に話題になって公開からわずか1カ月で来場者数が2万人を超えました。ドキュメンタリーとしては大ヒットだそうです。地味でカタルシスも正解も得られない映画なのに一体なぜだろう……。

本作が歴史教科書における戦争加害の記述について、子どもたちにどう伝えてゆくべきかをテーマの柱にしていたことが大きかったように思います。2月24日、ロシア政府軍がウクライナに侵略戦争を起こしたことで戦争が身近に感じられ、国家権力の歴史改ざんが語られるようになったことも注目された理由かもしれません。

参議院選挙も追い風に⁉

さらに参議院選挙が近づいているという社会的事情も影響しているようです。そう感じたのもお客さんたちの反応からでした。

全国各地の上映館を巡ってゆく舞台挨拶ですが、たっぷり時間があるときは後半に質疑応答があり、お客さんから質問を受けます。どの会場でもほぼ必ず聞かれるのが、大阪で誕生した政党「日本維新の会」について。

「なぜ維新は大阪で強いのか」「なぜ在阪メディアは維新をヨイショするのか」と繰り返し聞かれました。維新旋風が吹き荒れて、私が所属するMBS(毎日放送)でも維新に忖度する空気が漂っている中でよくぞこの映画が生まれたと褒めてくださる方もいます。同業者からも「原動力は何ですか?」と聞かれると困惑します。

ぱっと思いつくとしたら、本作の公開初日に応援に駆けつけてくださった作詞家の湯川れい子さんの言葉です。

「あなた空気を読めない女でしょう。そうじゃなきゃ、この映画は作れないわ!」

確かに私は空気が読めません。さらに言えば、読まないことにしています。それは、もっと自分が大事にしたいと信じることのために取材したいと思うからです。

「問い」から見えてくる政治の劣化

教育は誰のためにあるのか――。この問いは私にとって言葉の深い意味をきちんと言語化できていなかった当時から、大阪の先生たちと子どもたちにずっと教えられてきました。

20年以上にわたって教育行政における小さな変化を映画の中で数珠つなぎにし、現在までに大きな変化に至っている危機的状況を提示できたのも、この「問い」があったからこそで、現在進行形の問題に光を当てたにすぎません。

その過程で自民党の安倍晋三元首相と同調する維新の政治家たちが直接的な政治圧力や介入に走る姿が浮き上がってきたのです。

監督として繰り返し語ってきたことは、本作はイデオロギーの対立を描いたのではないということです。教育の自由や学問の自由に対し越えてはいけない一線を越えてしまった政治の劣化を問うものなのだと訴えているのです。

劇場の観客たちが一斉に大きなため息に沈む瞬間も何度か経験しました。それは私が質問に答えて今回の参院選挙の行方に触れ、「戦後、見たこともない政治風景になるかもしれない」と語ったときです。

これは、私の言葉ではありません。今回の国政選挙を分析する共同通信政治部デスクが加盟社の記者たちとの会議の場で選挙公示日前に発言したものです。

情勢分析から今選挙では野党第一党が入れ替わる可能性が高く、もし仮にそうなれば、保守政権より右に振れた政党が野党第一党に躍り出て、戦後初の政治状況になると言うのです。与党と野党のバランスが一気に崩れ、国政がブレーキなく走る車になってしまうかもしれません。

保守政治を研究してきた70代の政治学者は「もう先が読めない」と嘆いて、こう述べました。

「どん底に堕ちるとこまで堕ちないと日本人は気がつかないのでしょうか。前の戦争から70年以上経過し、戦争を経験した人たちも僅かしか残っていない中、大日本帝国による大東亜戦争を賛美したがる無知な人々が増えた結果がこの現在の状況です」

この国は明らかに右傾化している。政治学者として事態を深刻に受け止めているのです。

私が住んでいる地域では、選挙ポスターの掲示板で一番上に貼られていたのが参政党の候補者のものです。これも初めて目にした時は度肝を抜かれました。

SNSを武器に既存政党を否定し「ゼロからつくる」と訴える新しい政党ですが、代表者は元吹田市議会議員だった人物で、「イシキカイカク」という会社を運営しています。なぜこの人物を私が知ったかと言えば、インターネット上で沖縄の新聞社や県民に対し「反日史観」「左翼活動家が反基地運動をしている」とさかんに拡散する人物として注目したからです。

「イシキカイカク」セミナーでは、日本を賛美する独自の歴史観を掲げて学習会を繰り返していました。この政党も自民党よりはるか右へ振れていると言ってよいでしょう。ウクライナで戦争が続く中にあって、分かりやすいカルト的な言説で人びとの人気を呼び込む傾向は世界の潮流のようです。

「戦争は教室から始まる」

MBSは、投開票日の翌日、夕方の情報ワイド番組「よんチャンTV」のコメンテーターに橋下徹氏を起用し、選挙結果の解説をすることが決まっています。

新春の政治的公平性が問われたバラエティー番組の放送がありながら、どのような議論を重ねてこうなったのか。視聴者からはどう見えるだろうかと今からとても危惧します。

「既存政党を否定し、大衆を引きつける」、これが2010年誕生当初からの維新の会の手法でした。今も改革保守を掲げ、敵とみなした相手をひっぱたくような振る舞いもその特徴です。

人びとを引きつける手段のひとつとして教育改革に手をつけていったと言っても過言ではありません。既存政党を否定して支持を得ようとする参政党も同じ政治手法の道を歩もうとしているかのようです。

最近、政治や権力の怖さを感じられない人がテレビメディアに増えているのではないか。MBS報道に育てられた私はそうは思いたくないのですが、視聴率競争やネットのPV競争に現を抜かしている場合ではないのです。

人びとの政治不信の渦の中、扇動や挑発を繰り返す政治に流されて報道の軸を失ったら、それは政党政治や社会全体の破壊に繋がり、自殺行為であることを意識しなくてはいけないと感じます。平穏な暮らしが殺されかけているのではないかと疑いの目を向けることも。

教育への政治介入に異議申し立てを続けた大阪府教育委員長の故・生野照子さんの言葉――相手が政治でやってきたら政治でないと返せないんですー-が頭の中でリフレインします。

「戦争は教室から始まる」、こう語り続ける97歳の元教員が『教育と愛国』を観てくれました。戦前のあの時代と重なると感想が届きました。

「鬼畜米英、敵はアメリカとイギリスだ」と教わり、国策のしもべとなった公教育を受けて20歳で敗戦を迎えた先生が生涯をかけて訴えること、それは教室から戦争を始めることができるということです。

教育に政治が忍び寄る深刻な状況に対し、政治と対峙した生野さんは「周囲が本気で怒らなかった。それが怖い」と繰り返しました。怒りや批判は、政治の劣化へのブレーキ役です。

悔しいと涙してくれた教員志望の女性の純粋さを、私は忘れられません。『教育と愛国』を語り、行動する方たちの存在が一筋の希望になっています。今、はっきりこう言いたい。教育と子どもたちを道具にする恐れのある政治家と政党には1票たりとも投じません。一票を投じるべきは、権力を決して暴走させないと過去の歴史と真摯に向き合う政治です。


2017年度ギャラクシー賞を・大賞を受賞した話題作
追加取材を加えついに映画化!

「教育と愛国」
監督斉加尚代
プロデューサー澤田隆三、奥田信幸
語り 井浦新

公式サイトhttps://www.mbs.jp/kyoiku-aikoku/

全国で絶賛公開中!

何が記者を殺すのか
大阪発ドキュメンタリーの現場から

斉加 尚代

2022年4月15日発売

1,034円(税込)

新書判/304ページ

ISBN:

978-4-08-721210-5

久米宏氏、推薦!
いま地方発のドキュメンタリー番組が熱い。
中でも、沖縄の基地問題、教科書問題、ネット上でのバッシングなどのテーマに正面から取り組み、維新旋風吹き荒れる大阪の地で孤軍奮闘しているテレビドキュメンタリストの存在が注目を集めている。
本書は、毎日放送の制作番組『なぜペンをとるのか』『沖縄 さまよう木霊』『教育と愛国』『バッシング』などの問題作の取材舞台裏を明かし、ヘイトやデマが飛び交う日本社会に警鐘を鳴らしつつ、深刻な危機に陥っている報道の在り方を問う。
企画編集協力はノンフィクションライターの木村元彦。

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