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2800種の昆虫を生きたまま撮り下ろし! 「昆虫図鑑」製作者の執念

集英社オンライン / 2022年7月8日 13時1分

全ての昆虫を捕まえて生きたまま撮影し、それを掲載するという前代未聞の昆虫図鑑が発売された。収録された昆虫の数は約2800種。1年半かけて全て撮り下ろされた。なぜ「生きたまま」の姿が必要なのか、その苦労はどうだったのか。関係者に取材した。

生きたままの撮影にこだわった理由

その図鑑は『学研の図鑑LIVE 昆虫 新版』。全316ページ・2420円(税込み)で、今年6月23日に学研プラス社より発売された。図鑑・辞典編集室図鑑チームの統括編集長を務める牧野嘉文さんは、「最初の撮り下ろしが2021年1月で、最後の1枚が今年の4月。間に合うか心配で胃が痛くなりましたよ」と、笑う。

そもそも全ての昆虫を生きたまま撮り下ろすというのは、図鑑の総監修を務める九州大学総合研究博物館准教授の丸山宗利さんのアイデアだった。その理由をこう語る。



「今までの昆虫図鑑というのは、標本を撮影したものがほとんどでした。でもやっぱり生きたままの姿の方が綺麗だよね、というのが一つ。二つ目は子どもが採った昆虫を図鑑で調べるとき、標本にしたりせずそのままの状態で見るわけです。だから図鑑にも生きたままの状態で載っているべきではないかと考えました」

生きたままの写真と標本写真がどれくらい違うのか、実物を比較しよう。マルタンヤンマの写真である。

両方とも同社の「昆虫図鑑」からで、左が「新版」の生きたままの写真、右が「旧版」の標本写真(撮影:菊池健志)

左の生きたままのマルタンヤンマの方が胴体や複眼の色が鮮やかで、右の標本写真は全体的に色がくすんでいる。昆虫にもよるが、標本写真の昆虫の色の劣化は避けられない。

だから「生きたままの写真が絶対に良い」という丸山さんの主張はわかる。とはいうものの、実際そんなことは可能なのか、製作の現場でためらいはなかったのか。牧野さんが振り返る。

「まずお金がべらぼうにかかる、とは考えましたね(笑)。しかも学習用図鑑の価格帯は低いですから、専門書のような価格にはできない。でも図鑑は何年もかけて売ってコストを償却していくものですから、その点で勝負できると考えました」

成虫になり数時間しか生きられない昆虫も

撮影メンバーは当初15人くらいで始まったが、すぐ人手が足りないことに気づき、最終的に4、50人くらいまでに膨れあがったという。メンバーを集めるときに気を配ったのが、「写真撮影が趣味な人」ではなく、「とにかく虫が好きな人」だという。この図鑑の副監修者で、写真関係の担当をした伊丹市昆虫館の学芸員・長島聖大(せいだい)さんが説明する。

「撮影する前に、まず昆虫を捕まえないといけません。だから『ウスバカゲロウ採りの名人』みたいな人にお願いするんです。ネジレバネなんて、採れる人は日本に数人しかいませんから」

ネジレバネは幼虫時代にスズメバチのお腹に寄生し、羽化すると、数時間だけ飛び回って死んでしまうのだという。

「だからネジレバネを採るためには、まず大量にスズメバチを捕獲するところから始まります。また井戸水の中にだけ棲んでいるゲンゴロウを採るために、井戸をもっている民家の方のご協力を得て、井戸水をひたすらくみ出して探しました」(長島さん)

できたばかりの図鑑を手に、楽しそうに話をする牧野さん(右)と長島さん(撮影:菊池健志)

SNSで呼びかけ

そうやってもまだ見つからない昆虫がいる。どうするか。長島さんが「奥の手」を明かしてくれた。

「SNSを活用しました。特にTwitterには、虫を見つけるのがうまい人がたくさんいます。目的の虫を捕まえられそうな人にお願いしました。快く協力してくださる方が多くて、とても助かりました」

関わった人たちの溢れ出る昆虫愛に頭がクラクラする。

監修者の丸山さんも昆虫の採集と撮影に参加した(ご本人からの写真提供)

眠らせてからポージング

撮影もただ撮るだけではない。これは昆虫「写真集」ではなくて「図鑑」なので、子どもが採集した昆虫がなんなのかわからないといけない。そのため全ての昆虫の輪郭がはっきりするように背景を「白」にして、たとえば蝶なら羽根の形が、ナナホシテントウなら背中の7つの星が見えるように、それぞれ「統一ルール」が設定された。実際の撮り方を編集部にキマダラカメムシを持参(!)した長島さんが実演して見せてくれた。

まず二酸化炭素でキマダラカメムシを一時的に眠らせる。そのあとピンセットで脚や触角を伸ばして「ポージング」する(撮影:菊池健志)

眠ったままだと躍動感がないので、起きるまでまって、素早く撮影する。白バックに使っているのは、写真印刷用のプリント用紙。普通のコピー用紙より白の具合が良いのだとか(撮影:菊池健志)

このとき撮影した写真。虫の影が抑えられて輪郭がはっきりし、脚や触角の様子もよくわかる(長島さんからの写真提供)

子どもへの愛情がたっぷり詰まった本

そうやって採集したなかには、丸山さんや長島さんのような昆虫のプロでさえ「初めて生きている姿を見た」と、息を呑んだ虫もいる。たとえば絶滅危惧種に指定されているベッコウトンボ。

「採集するには環境省の特別な許可が必要になります」(牧野さん)

動物や魚に関しては「絶滅危惧種」の保存がメディアで取り上げられることは多い。だが昆虫の絶滅危惧種が同じだけ注目を集めているだろうか。ひょっとして、知られぬうちに絶滅してしまっている昆虫もいるかもしれない。実際に採集にも関わった丸山さんは「いまの日本は本当に虫が採れなくなった」と嘆く。

「20年前ならなんの変哲もない山で採れていた虫が、今回は相当奥深い山に入っても採れないことが多かった。これは他の人に聞いてもそう。日本は昆虫が採れなくなってきているというのが実感です」

だからこそ、今のうちに生きている昆虫の姿を子どもたちに届けることが大切なのだ。丸山さんによると、専門書ではない子ども用の学習図鑑で、これだけ手間暇を掛けたものは世界でも類がないそうだ。

「子ども向けの図鑑でこんな大きな判型で、内容もしっかりしたものは世界にないと思います。昆虫図鑑に限らないのですが、それだけ日本の普及書の教育水準の高さを物語っていると思います」

中味以外にも図鑑の体裁で、この本に関わった人たちの気持ちが表れている部分がある。本体の角の部分で指を切らないように丸くカットされているのだ。

子どものことを考えて、丸くカットされた部分(撮影:菊池健志)

「子どもがページを繰ったときに、指を切らないようにした配慮です。製本過程でこの工程を入れると締切が一週間早まるので編集としては辛いんですが、必要なことですので」(牧野さん)

今回の「新版」は「旧版」から8年ぶりの改訂。今回の本に盛り込めなかった積み残しがまだあるという。「次回版」の構想を尋ねると、

「いや、やっと終わったばかりで、次のことなんてまだ考えられないですよ。勘弁してくださいよ」

牧野さんがまた笑いながら手を振った。

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