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打倒・大阪桐蔭! 元履正社の名伯楽が描く「古豪復活への道」

集英社オンライン / 2022年7月10日 16時43分

高校野球の古豪が生まれ変わろうとしている。77年夏の甲子園優勝校の東洋大姫路(兵庫)は4月から、履正社(大阪)を19年夏の甲子園優勝に導き、東京ヤクルトスワローズ・山田哲人をはじめ数多くの教え子をプロに送り出した岡田龍生氏(61)が新監督に就任した。春季兵庫大会でいきなり準優勝。岡田イズムを現す「教員監督」などをもとに、強い組織を作る秘訣をひもといていく。

顔に刻まれた深いしわは、グラウンドに立ち続けてきた男の年輪だ。5月7日の春季兵庫大会決勝。東洋大姫路はライバルの報徳学園に0-2で負けた。岡田は4月に就任後、わずか1カ月で決勝に進んだが、敗戦を苦々しく振り返った。

「1カ月、いろいろやってきたけど、僕が思っていることの10%も伝わってない。もっと振っていく姿勢を出さないと」



35年間指揮を執り、19年夏の甲子園優勝に導いた履正社から母校に復帰した。還暦を超えてなお、野心は消えない。ベテラン監督が新天地で繰り出すマネジメントは、組織づくりの要諦を示している。

監督就任のために提示した「ある条件」

昨年5月に、母校から新監督就任の打診を受けた。夏の甲子園は2011年を最後に遠ざかっているチーム再建の重責を、悩み抜いた末に”ある条件”と引き換えに引き受けた。

「私は履正社でずっと教員をやってきた。学校に入れてもらわないと履正社で培ってきたことが発揮できないので、教員として入れてほしいとお願いした」

「教員監督」こそ指導者としての岡田の本質を示す。東洋大姫路では保健体育教諭として週6時間、教壇に立ち、野球部員がいないクラスの授業も受け持っている。高校野球では監督専任の指導者も目立つなか、岡田ほどの実績を持つ指導者が教員を兼務するのは異例だ。

チーム再建の重責を担う岡田監督

しかし、岡田には確固たる信念がある。

「監督だけだと、グラウンドしか子どもの姿を見られない。グラウンドで子どもはハイハイとしか言わない。学校でどんな姿なんやろ、と。教員だったら見られますよね。いろんな情報があればあるほど、生徒と話しやすい」

かつて、こんなことがあった。ある野球部員の担任から聞いた話だ。
「あの子、いつも黒板をキレイに消してくれるんです」
岡田はその生徒に伝えた。
「担任の先生が褒めとったわ。必ず、野球にも生きるわ」
グラウンドでは見えない、生徒の心に触れた気がした。そうやって、生徒の素顔を知ろうと努めてきた。

「組織づくりをする上で、生徒とコミュニケーションをどうやって取るか。最近はできるだけ、しゃべらせるようにしています。担任の先生の情報で、こんなことを注意されているとかも、すぐに分かる。その子のことを知る上ではグラウンドだけでは分かりません」

生徒との面談を重視し、履正社では11、12月に実施。人を動かすためには、まず人を知ることだ。名将は頭ごなしに押しつけず、生徒と意思疎通を図ろうとしていた。

打力向上のために伝えたメッセージ

岡田は就任前の3月21日、東洋大姫路ナインが出場したセンバツの高知戦を見た。6安打にとどまり、劣勢を跳ね返せなかった。2ー4で初戦敗退。非力な打線がウイークポイントなのは明らかだった。

「打つ以前に、そもそも振ることがなかなかできなかった。打てなかったらどうしようという不安を払拭しないといけないと」

だからこそ、ナインには就任当初こう伝えた。

「27球で終わってもいい」

岡田にその真意を聞いた。

「基本は1球目から振っていくことです。3球で3アウトチェンジになっても私は何も言わないようにしている」

打力アップの初期段階として、すべて初球打ちを容認した。そこから、打順に応じて初球を見送る大切さなど、考え方のレベルを上げて説明していく。

ヤクルト・山田哲人などを育てたバッティングの指導に期待がかかる

またチームには三振を恐れる雰囲気があった。だから、こうも言った。

「空振り三振も、ピッチャーゴロやレフトフライと同じアウトやろ」

攻めた結果の失敗ならとがめない。とにかくミスを恐れる気持ちをなくそうとした。6月、学校は6カ所で打撃練習ができる室内練習場を新設した。弱点の克服に向け、練習環境も整えた。


桜宮(大阪)でのコーチを経て、87年に履正社で監督人生が始まった。長い教員生活で育んだ教育観がある。「無理やりさせてもあかん。自分で楽しくなって、どんどん、やっていかないとあかん」。

だから、履正社時代、選手に問いかけてきた言葉がある。

「試合して楽しいか?」

岡田が紆余曲折を経て、たどり着いた境地だ。東洋大姫路の現役時、スパルタ式でしごかれ、3年春はセンバツ4強に進出した。ド根性が美徳とされた昭和だった。履正社での青年期、岡田はモーレツ路線で突き進んだ末、挫折した。02年に行き過ぎた指導で半年間の謹慎となった。自らを見つめ直す時間になったという。

「もう同じことはできない」

ふと、日体大4年時にアメリカ西海岸でキャンプを張ったことを思い出した。
「アメリカは個人主義、日本は集団主義と言われます。私は個人主義って、それぞれが勝手気ままにしている先入観があった。でもそうではなかった」

ウオーミングアップの考え方が象徴していた。体が温まる速さは個人差がある。個々で動いて仕上げてくればいい。集団で動く日本と逆の考え方だった。

また彼らは大リーグが目標だった。試合に出場できない選手は「僕はなぜダメなのか」とコーチに問いただす。日本では考えられない光景だった。コーチもまた、普通に受け答えしていた。自主性を尊重し、一方通行にならないコミュニケーションを取るという現在の指導の原点に出会った。

「高校の時、120%上からやらされている野球で勝てた。だから、厳しくすればするほど強くなるという錯覚に陥っていました。でも、それでどれほど野球が上手くなったのか。結局、自発的にやれていなかったら、楽しさも生まれてこないし、上達もしません」

功成り名を遂げても、指導法を磨き続けている。ビジネス書を読めば、野球に結びつけようとする。プロに羽ばたいた卒業生と話せば、会話から練習方法が正しいか省みる。

時代は平成から令和へ。岡田がいまなお、高校野球の指導者として、ひときわ光彩を放つのは、過去にとらわれることなく、柔軟に考え方を変えていけたからだろう。

旧態依然の慣習も撤廃。全ては全国制覇のために

近年、姫路近郊の有力な中学生が大阪などに流出してしまうケースは珍しくなくなった。岡田は首をかしげる。「なぜ人気がないのか」。指導方法か、組織のあり方か。目を向けた1つは意外にも「保護者」だった。

「『当番』をなくしました。履正社なら生徒がしている簡単な仕事です。保護者がすることを全部なくしました」

お茶出しなど保護者の負担が大きく、小・中学生の野球でも悪弊として指摘されている。保護者の大変さが周囲に伝わっていけば、中学生にも敬遠されかねない。旧態依然の慣習を撤廃した。

永続的に強い組織をつくるため、良い人材を取り込むことは欠かせない。魅力のあるチームにだけ、人は集まってくる。そのために指導体制も整えた。LINEやTimeTreeなどのアプリも活用してコーチやトレーナーと情報共有するようになった。そして、コーチやトレーナーを信頼する。

ナインを前に就任時の挨拶をする岡田監督。スタッフたちと共に、選手の力を伸ばし続ける

「トレーナーから『この選手を3日間休ませてください』と言われたら、そうします。ここまで私1人でやってきたわけではありません。履正社では周りのコーチ陣に助けていただいて、日本一になれたので」

全体を俯瞰する立場の指揮官が細かい仕事を抱え込めば、周りが見えなくなる。理想的なリーダーの姿を体現しようとしている。

桜が咲き誇る4月2日、岡田は初めてナインと顔を合わせた。円陣の前で「強い東洋大姫路復活のために、プレーするのは君ら。そのつもりでグラウンドに出てきてほしい。もう1度、優勝して優勝旗を持って帰る」と誓った。しなやかに、力強く。岡田流の改革で、若者たちと新しい夢を描き、復活への道を歩む。

画像提供:八海 耕

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