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基本合意書が800ページ! ハリウッドは俳優の権利をこうして守る

集英社オンライン / 2022年7月14日 13時1分

ここ数年、日本の芸能界ではハラスメントや移籍問題などのトラブルが後を絶たない。しかもそのほとんどが責任を曖昧にしたまま、幕引きが行われている。ではエンタテインメントの本場、アメリカではどうだろうか。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に、エンタテインメント法を学ぶため留学していた長岡征斗弁護士の留学体験記を3回にわたってお届けする。

多岐にわたるエンタテインメント関連の法規制

私は2021年夏から1年間、主にエンタテインメントやスポーツ分野の法規制や法慣習を学ぶためにUCLAに留学していました。エンタテインメントに関連する法律や契約慣行は、総じて「エンタテインメント法(Entertainment Law)」と呼ばれることがあります。もっとも、日本でもアメリカでも、エンタテインメント法という名前の法令が制定されているわけではなく、あくまでエンタテインメント業界に関わる法規制や法慣習全般を指して、ざっくりとこのように言っています。



日本でもエンタテインメント法を専門に扱う弁護士の数は少しずつ増えてきましたが、アメリカでは、ニューヨーク州とカリフォルニア州を中心に、多数のエンタテインメント法専門の法律事務所があり、弁護士が扱う業務分野もかなり細分化されています。

UCLAのロースクール棟(撮影:筆者)

では、アメリカで学ぶエンタテインメント法とはどのようなものなのか。もちろん、簡単に説明できるものではないのですが、今回はイメージを掴んでいただくために、アメリカの芸能界で大きな存在になっている「ギルド」を例にとって概観してみましょう。

アメリカでは大多数のタレント(ここでは、日本のバラエティ番組などで目にする、いわゆる「テレビタレント」とは異なり、広く俳優、監督、脚本家らを指します)が、労働組合に似たギルドに加入しています。

俳優の場合はSAG-AFTRA(サグ・アフトラ。映画俳優組合=SAGと米国テレビ・ラジオ芸能人連合=AFTRAが合併した組織で、以下便宜的に「俳優組合」といいます)、監督の場合はDGA(Directors
Guild of America、全米監督協会)、脚本家の場合はWGA(Writers Guild of America、全米脚本家組合)といったギルドが全米規模で結成されており、これらのギルドがディズニー、ユニバーサル、ワーナー・ブラザース、ネットフリックスなど大手ハリウッドメジャー各社が加盟する映画テレビ制作者同盟(AMPTP=Alliance of Motion Picture and Television Producers、)と、包括的な団体協約を締結しています。

俳優組合と映画テレビ制作者同盟の関係(図表作成:筆者)

俳優が労働条件を実現するためにストライキ

俳優の場合でいえば、賃金、労働時間、休憩時間などの基本的な労働条件は俳優組合と映画テレビ制作者同盟の間で締結された基本合意書(Codified Basic Agreement)に従って細かく定められており、基本合意書よりも俳優に不利な契約を結ぶことはできません。アメリカでは、有力な俳優のほぼ全員が俳優組合に所属しています。

ロサンゼルスにある俳優組合本部(撮影:筆者)

俳優組合とハリウッドメジャーは、定期的にこの基本合意書の改定のための交渉を行います。ギルドの威力は、こうした交渉の場面で最も強く発揮されます。俳優たちは、自らの希望した労働条件が実現されなさそうだと、俳優組合のメンバー全員(すなわち、全米の俳優ほぼ全員)でストライキを断行することがあるのです。俳優だけでなく、全米監督協会、全米脚本家組合や、裏方のスタッフにより結成されたギルドまで、場合によってはストライキも辞さないという構えでハリウッドメジャーとの交渉に臨みます。万が一、1つのギルドでもストライキを実行すれば、ハリウッドのほぼ全ての映像制作が実際にストップしてしまい、業界全体が多大な経済的損失を被るので、労働条件に関する交渉は最も緊迫した場面といえます。ちなみに、日本にも日本俳優連合などの団体があり、NHKや民放各社との間で団体協約を締結していますが、同連合は法律上、個人事業主の集う事業協同組合であり、ストライキを行うことはできません。

俳優組合とハリウッドメジャー各社との間で締結されている基本合意書とはどんな内容のものなのか。1つの例として、世界的に大きな話題となっていた「#MeToo」運動を念頭に、セクハラ防止に関する規定をご紹介しましょう。

まず、オーディションは、原則として、ホテルの個室など、俳優がプロデューサーらと密室になる環境下で行うことはできません。

また、プロデューサーは、俳優に対して、基本的にはインタビューやオーディションの前に、性描写が含まれる場合は、そのことを通知しなければなりません。オーディションでは、性行為の演技を行わせることが禁止されており、ヌードシーンについても、

①最終オーディション以外でヌードを確認することは禁止
②俳優には希望する人物を同席させる権利がある
③俳優はニップレスやGストリングなど着用可能
④キャスティングに必要最低限のスタッフのみ同席可能
⑤携帯電話など個人の撮影機器を使用することは禁止

といった規制が定められています。これによって、少なくとも「オーディションだと思って現場に行ったら、いきなりその場でヌードになることを強要された」といったセクハラのトラブルは、(少なくとも仕組みとしては)今後は減っていくことが期待されます。

実際の撮影に際しても、プロデューサーは俳優から性描写を撮影することに関して、事前の書面による同意を得なければなりません。同意書には、撮影するシーンの内容に関する説明、及び当該シーンに対応する脚本のページと、プロデューサーに対する連絡先を含める必要があり、これにより俳優は撮影シーンの詳細を事前に知ることができるとともに、必要な場合にはその解釈等についてプロデューサーに問い合わせることができます。

英文で800ページ超の基本合意書

また、撮影前までは、いつでも当該シーンを撮影することに関する同意は撤回することができます(同意が撤回された場合、プロダクション側には代替措置として、デジタル技術等により当該シーンを完成させることが認められます)。撮影に同席し、又は撮影の様子をモニターで見ることのできるスタッフの数も必要最低限に絞ることとされており、現場においては俳優にバスローブが提供されなくてはなりません。

日本の感覚だと、そんなことまで基本合意書のなかで規定されているのか、ということに面食らってしまいそうですが、これがまさに「契約書は詳細に定める」というアメリカ流なのです。この、様々な労働条件を定める基本合意書だけで、英文で800ページ以上の分量になりますから、日本の一般的な法令よりもかなり長いことになります。基本合意書の内容を全て把握することは現地の弁護士ですらひと苦労で、ハリウッドのメジャー各社は、自社内に労使関係専門(ギルド専門)の弁護士を抱えていることが一般的です。

実際に使用されている基本合意書の一部

日本にはない解決制度

このようにエンタテインメント業界内部でも、権利関係が複雑に入り組んでいるため、エンタテインメント法を扱う弁護士の仕事も細分化されています。前述のとおり労使関係・ギルドを専門に扱う弁護士もいれば、音楽分野のみを扱う弁護士もいて、ざっくりとした「エンタメ・ロイヤー」という言葉を使うことに躊躇いを感じるほどです。また、紛争が起きた場合には、JAMS(Judicial Arbitration and Mediation Services, Inc.司法仲裁調停サービス)と呼ばれる仲裁機関で、エンタテインメントを専門とする仲裁人により解決されることも多くあります。

ちなみに日本の場合、そもそも紛争まで至るケースが少ないものの、紛争に至った場合でも、多くのケースが裁判所で、通常の訴訟と同様に民事部又は知的財産部に係属することになります。

ここまで読んで、「アメリカのショービジネスって、権利権利って面倒くさい世界だなあ」と、うんざりされた方もいらっしゃるかもしれません。たしかに私も、弁護士としての立場を離れた一人のファンとしては、細かい権利義務のせめぎ合いについて何百ページもテキストで勉強することに、若干幻想を砕かれたような気持ちになったこともありました。

留学中に使用したテキストの一部(撮影:筆者)

「ザッツ エンタテインメント!」

しかし、UCLAで私が受講した「Entertainment Law」の授業の初回、講師からこんな言葉が出て、自分がエンタテインメントの本場で学んでいることを改めて実感しました。

講師は学生たちにこんな質問を投げかけました。

「このように、多大なコストと労力を注ぎ込んで映画を製作しても、配給会社がこれだけの取り分を持っていき、さらに宣伝にこれだけの費用がかかりますから、黒字を生み出す例はむしろ少ない方です。にもかかわらず、なぜ製作会社はこのようなビジネスを続けるのでしょうか」

さすがアメリカ、大教室の授業にもかかわらず、生徒たちは我先にと挙手します。

「劇場公開後に、配信などの二次利用で儲けが出るからではないですか」

「映画の著作権を持っていれば、商品化などのビジネスが可能だからでしょう」

ひと通りそのような意見を聞いた後に、講師は少し笑みを浮かべて、こう言いました。

「どれも間違いとは言えませんが、私の求めていた答えではないですね。答えは、”That’s Entertainment!”です」

“That’s Entertainment!”(ザッツ エンタテインメント!)とは、1974年にMGMが製作したミュージカル映画の題名です。この題名をさり気なく引用した講師の回答は、エンタテインメントビジネスとは、お金ではなく、観るものに一時の感動を与えることを目指すものであるという本質を突いていたような気がします。

私は、一瞬のパフォーマンスのために一生をかけるエンタテインメント、スポーツ、アートといった分野が好きで、法律面からそれをサポートすることにやり甲斐を感じています。また非常に僭越ですが、法律家の存在が、エンタテインメントの健全な発展に必要だと信じていますし、法律を勉強するロースクール・法学部の学生がこの分野を目指してくれればと思っています。この連載を通じて、ぜひ多くの方にエンタテインメント・スポーツ法に興味を持ってもらえれば幸いです。

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