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あんかけ、てりかつ…多様すぎる岐阜カツ丼の謎

集英社オンライン / 2022年7月20日 15時1分

「カツ丼」の起源はどこにある? その起源には諸説あり、カツ丼といっても日本全国でいろんな種類のカツ丼が存在する。なかでも岐阜のカツ丼は一風変わったカツ丼が多いという。一体どんなカツ丼があるのか…。魅惑の岐阜カツ丼ツアーへようこそ。

岐阜の老舗が生んだ「金のカツ丼」

カツ丼の歴史は謎に包まれている。大正時代に東京・早稲田近辺で生まれたという説が一般的だが、同時期に大阪で生まれたという説もあるし、山梨では「明治時代からカツ丼がある」と主張する蕎麦店もあり、諸説粉々なのだ。

最もよく知られている卵とじのカツ丼は、東京・早稲田が発祥といわれる。同じく早稲田発祥でもソースカツ丼は福井に移転した店を祖とする説が強い。ソースカツ丼なら群馬や長野などにも老舗が存在する。山陽地方のデミ(グラスソース)カツ丼ほか、“新潟タレカツ丼”“沖縄チャンプルー(野菜)カツ丼”など、それぞれの地方に各地域の特色が色濃く表現されたカツ丼がある。



ところが、岐阜のカツ丼は実に不思議なのだ。通うほどにカツ丼のイメージが混乱していく。

代表的な岐阜のカツ丼としては、瑞浪市の「加登屋食堂」の“あんかけかつ丼”がある。

白飯とカツの上からたっぷりの餡

1937年創業の老舗「加登屋食堂」

据わりのいい丼に褐色のカツ、その上から卵の散ったかきたま餡がかかっている。餡のきらめきも相まって「わ! 金箔みたい」と思ってしまう。それほどまでにこのカツ丼は美しい。

1937(昭和12)年(1935(昭和10)年説もあり)に創業した加登屋食堂では、当時希少で高価だった卵をひとつの丼にひとつの卵ではなく、丼ごとに少しずつ使った。「大切に使おう」という気持ちがかきたまのあんかけという形を生んだ。そんな店の心意気がかきたまを金箔に見せるのかもしれない。ちなみに当時の鶏卵の価格は公務員の初任給の約1/100。今の価格だと、1個200円くらい……今の10倍以上。卵はまぎれもなく高級食材だったのだ。

岐阜の東部(東濃地方)名物の”ころうどん”(冷やしうどん)などのセットが選べるのも、足を運んだ身としてはありがたい。

岐阜のカツ丼をひもとくヒントは「関ケ原」にあり!?

岐阜全域に目を向けると、他府県にはないカツ丼がほかにも数々ある。町中の食堂やうどん店でも、デミグラスソース、タレなど、駅ごと、店ごとに違うカツ丼が目につく。他の地域では類型化することが多いのに、なぜか多様なカツ丼が林立しながら混ざることなくひしめきあっている。

昨日今日、町おこしのために作ったB級グルメのような急ごしらえ感はない。それぞれに歴史があり、独特の風情を醸すカツ丼ばかり。さすが、天下分け目の関が原を擁する岐阜県だ。見事な群雄割拠ぶりである。

さて、カツ丼群雄割拠を体現する岐阜とはどんなところなのか。

地図をみると、東に長野、南に愛知、以降時計回りで7時の方向に三重、8時半から9時に滋賀、9時から10時の方向に福井、10時から11時半に石川県、12時あたりに富山という、甲信越、東海、近畿、北陸……という、それぞれ異なる文化圏に接する。それが岐阜県である。

岐阜は7つの県と隣接している

「天下分け目の戦い」が関ケ原で行われたことからもわかるように、「東」と「西」の分水嶺となる重要な交通の要衝だ。東海道と並走する中山道が県南部を東西に走り、そこから福井へとつながる美濃街道、富山へとつながる白川街道、関ケ原から伊勢へとつながる伊勢街道など様々な文化と交流するルートがある。「東の豚肉、西の牛肉」など食べ物においても東西の分水嶺となることが多い地域だ。

岐阜は南北に長く、3000メートル級の山が連なる県北の飛騨圏と、海抜ゼロメートル地帯も含まれる濃尾平野にある県南とでは地形も大きく異なる。県全体の面積は全国7位だが、82%以上が山林で農地は少ない。広大な上、地勢がさまざまあるせいで、県内の各都市間の食文化の往来はあまり多くない。

そうした地理を頭に入れつつ、あらためて岐阜のカツ丼の類例を見てみたい。先に紹介したあんかけかつ丼は県南東部にあり、名古屋駅から中央本線快速で中津川・塩尻方面へ55分の瑞浪駅にある。

ご当地ファミレスで60年以上愛されるカツ丼

分厚いカツの上には、丼つゆではなく粘度のある餡がかかっているから、サクサクした衣の食感も長続きする。濃すぎず、滋味深く、丸くやさしい味わいで食べ飽きない。カツに飽きたらあんかけご飯としても楽しむことができて、がっつり盛りなのに、するする入ってしまう。まさに長く愛される庶民食の見本のような丼だ。

瑞浪市には他にもいくつかの食堂や、中には鮨店でさえもあんかけスタイルのカツ丼を出す店がある。雑誌で特集が組めるほど、このスタイルのカツ丼が定着している。瑞浪で降りたらあんかけカツ丼を……というより、あんかけカツ丼のために瑞浪に行きたくなるほどだ(実際、僕は加登屋食堂の”あんかけかつ丼”を食べるためだけに、瑞浪に行ったことがある)。

瑞浪駅の隣にある土岐市駅にも、名物かつ丼がある。

「ん? 1駅しか変わらないじゃないか」と思われそうだが、1駅変われば風情も変わる。もちろん丼上に乗っている"アタマ"の表情も様変わり。土岐市駅徒歩7分「ファミリーレストラン ちちや」の"てりかつ丼"というメニュー。

創業70年目。土岐市民に愛される伝統の“てりかつ丼”

「ちゝや」という看板の文字が風情を感じさせる(写真/公式HPより)

瑞浪の「加登屋食堂」は定食店、もしくはうどん店といった風情だが、1953(昭和28)年創業の「ちちや」は"ファミレス"だけあって店内も洋食店のような風情だ。この店にはカツ丼が2種類ある。「てり」と「とじ」だ。「とじ」はおなじみ卵とじのカツ丼。そしてもう一方の「てり」こそがこの店のオリジナルであり、土岐市のカツ丼なのだ。

岐阜のカツ丼はミクスチャー食文化から生まれた!?

粘度の高い茶色のソースがかかったてりかつ丼は一見デミグラス風のソースかと思いきや、親しみやすいケチャップベースの甘酸っぱいソースで、まさしく地域のファミリーに愛されてきたであろう味わいそのもの。カツの下に敷かれたキャベツの千切りからは「野菜も食べなさいよ」という母の声が聞こえる気がする。脇の汁麺から聞こえてくるのは「がっつり食べたい!」という父の声だろうか。

セットで付けられるラーメンも郷愁を感じる味

"ファミレス"だから、すべての客にやさしい。全メニューに+370円でミニラーメンを追加できる(単品は420円)。しかもラーメンといっても、スープは誰もがノスタルジーを覚える魚介の節から取られた、出汁風味うどん……じゃなくて、ラーメンだ。透き通った出汁に具はわかめとかまぼこ、思わずうどんと間違えてしまうほどのうどん出汁感……。ともあれ、名古屋から東方にある岐阜のカツ丼の名店には麺がつきものなのだ。

それにしても、東濃という岐阜の東側に、なぜこれほど多様なカツ丼が存在感を示しているのだろうか。

実は県境の中津川を抜け、木曽山脈を越えたところにある長野県の駒ヶ根市や伊那市もソースカツ丼で知られている。長野側から見ると、中山道から岐阜の中津川に抜けるルートは大きく2つある。

まずは中山道。中央アルプスとしても知られる木曽山脈を先に越えて山の西側を南下するルートだ。

そしてもうひとつは三州街道だ。長野の塩尻で中山道から南へ分岐して、木曽山脈の東側を南下し、伊那や駒ヶ根を通るルートだ。こちらは飯田を抜けたところから中津川の中山道へと合流するルートがある。

そういえば土岐市の「ちちや」のカツの下には、伊那・駒ヶ根と同様にキャベツが敷かれていた。もしかすると、岐阜の東濃エリアの変化球カツ丼は駒ヶ根のソースカツ丼との文化交流の結果、様々な形に分派していった可能性もある。だが、だが、それだけでは解決しない謎が、中山道の先にある西濃エリアのカツ丼にはある。

文・撮影/松浦達也

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