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「戦争を体験した人の前に、人殺しの道具を置かないで欲しい」沖縄ローカル芸人の魂の叫び

集英社オンライン / 2022年8月6日 11時1分

「基地問題でいつも映し出されるのは、沖縄の人の怒りの部分ばっかり。やり方、逆なんですよ。自分たちをさらけ出して、笑ってもらった方がいい」沖縄を代表するローカル芸人、小波津正光はそう話す。沖縄県民の「おもしろさ」と「悲しさ」を、コントという形で笑いに変えてきた彼が、本土復帰50周年を迎えた今、一番伝えたいこととは。

そのコントこそ、沖縄県民の「本音」だった

沖縄の芸能プロダクション・FECの社長である山城智二は警戒心を解き、思わず吹き出していた。

「これはいけるな、と直感しましたね」

沖縄を代表するローカル芸人、小波津正光はお笑い米軍基地の構想を山城に話した後、沖縄の凱旋ライブで、ネタのうちの1つを試しに披露した。それは「人の鎖」というコントだった。



人の鎖とは、手をつないで米軍施設などを取り囲むデモ活動のことである。コントの中では、人の鎖がつながりそうでつながらない。そこでテニスラケットや脱いだズボンを使ってなんとか輪を完成させようとする。そして、ようやくつながったタイミングで、1人がこう言うのだ。

「もう、帰らなきゃ。このあと、カデナカーニバルに遊びに行く」

沖縄の人なら、ここで必ずウケる。

カデナカーニバルとは年1回、嘉手納基地内で行われる大々的なお祭りのことだ。基地内でロックライブを開催したり、花火を打ち上げたりする。沖縄県内のそれぞれの米軍基地は、こうしてときどき基地解放イベントを開催し、それは県民の大きな娯楽の一つとして定着している。山城は話す。

「僕らは選挙とかになったら明確に基地反対の意志を示す。でもカーニバルは、また別の話。それって僕らの中では普通なんですよ。でも、確かに、端からみたら、めっちゃ矛盾してますよね。あのコントを見て、それに気づかされました」

沖縄の芸能プロダクション・FECの山城智二は芸人と、社長の二足のわらじをはく。「まーちゃん(小波津)は、沖縄を背負ってるという意味では、沖縄でいちばんの芸人ですよ」

そのコントこそ、沖縄県民の「本音」だった。そして、その本音に沖縄県民は思わず笑ってしまったのだ。

笑いとは共感だとよく言う。その言説に従えば「人の鎖」は究極の共感の笑いだった。小波津には、沖縄から離れたことで見えるようになったものがある。

「沖縄の人って、自分のことなのに他人事にしちゃうところがあるんですよ。基地なんてない方がいいに決まってると言いつつ、基地内で働くことに憧れていたり、カーニバルになると渋滞に巻き込まれてでも出かけて行く。そうした生活スタイルが染み込み過ぎちゃって、その矛盾を矛盾と思っていない。そこがおもしろさであり、悲しさでもある」

小波津正光。1974年、那覇市生まれ。2004年、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故の、県外メディアにおける扱われ方が沖縄と大きく違うことに怒りを感じ、舞台「基地を笑え! お笑い米軍基地」企画・脚本・演出し注目を浴びる。現在は沖縄県内で舞台や、ラジオ、テレビなど多方面で活動中

小波津は沖縄県民の「おもしろさ」と「悲しさ」をコントにするという、芸人としての確かな武器を生まれて初めて身につけた。

自分たちをさらけ出して、笑ってもらったほうがいい

記念すべき初回公演は、大盛況のうちに幕を閉じた。山城は感慨深げに思い返す。

「何人かには怒られるかなとも思っていたんですけど、怒られるどころか『よくやってくれたねー』って握手を求められましたね。いくら反対運動をやっても何も変わらなかったというあきらめムードもあったのかな。怒ってるだけじゃダメだ、こういう表現の仕方もあるって感じてくれたんじゃないですかね」

「キッチンカー」ならぬ「基っ地んカー」。内地の人に米軍基地を売りつけるというコント

武器を身につけたのは小波津だけではない。それは沖縄県民も同じだった。小波津は言う。

「基地問題でいつも映し出されるのは沖縄の人の怒りの部分ばっかり。握りこぶしだったり、座り込みだったり。県外の人は『沖縄の人はいつも怒ってるよね』って思ったと思う。やり方、逆なんですよ。自分たちをさらけ出して、笑ってもらった方がいい。沖縄の人って、こんなバカなんですよ、って。さらけ出せば、人は話を聞いてくれますから」

近年、沖縄の離島に次々と開設される自衛隊の基地。観光にやってきた女の子がカレシに「買って〜」とねだる

お笑い米軍基地は、回を重ねれば重ねるほど話題となり、県外からも公演依頼が舞い込むほどの人気コントライブとなった。ただ、扱うテーマがテーマなだけに、危険な思いをしたことも一度や二度ではない。山城が回想する。

「まーちゃん(小波津)のネタ作りが日本政府の方にぐっと向かっていったことがあった。東日本大震災のときは、原発のことについて触れたり。そうしたら、公演の日、右翼の人たちの街宣車が来るようになってね。電話で『ステージ、ぶっ潰してやるからな』って言われたり。警察に相談して、当日、会場を警備してもらったこともありました。

まーちゃんは良くも悪くもまっすぐなんで、今、これを伝えなきゃって思うと、そっちに突っ走っていってしまう。でも僕は立場上、他の芸人も守らないといけないんでね。そこの葛藤はありましたね」

小波津を除き、第1回公演から唯一、お笑い米軍基地に出演し続けているヨーガリーまさきは小波津の変化をこう感じ取っていた。

「本人の中で、思いが強くなり過ぎていた時期があったんですよね。やいやい言ってくる人に対して、不満もあったんだと思う。批判的なことを言ってくる人って大抵、舞台を観てないんですよ。だから事務所に街宣車が来た時も、窓を開けて『おまえ、見てないだろ!』って」

こんなこともあった。糸満市の小さな劇場で公演していたときのことだ。若手の富川盛光は苦笑まじりに思い出す。

「外を街宣車に囲まれて、会場のいちばん後ろに、いかにもという人が入ってきていて。真っ黒な服で、怖い顔をして、腕を組んで壁にもたれかかっていた。ビビりましたね。でも、まーちゃんさんは、そういうときでも逆手にとって、笑える方向に持っていってくれる。

『みなさん、こんな体験、なかなかできませんよー! 窓を開けて、外の方にも聞かせてあげましょうね!』って。ああいうとき、芸人スイッチがクッと入るんですよね」

「芸人としては(基地に)賛成です」

今年も恒例の新作コントライブは幕を閉じたが、もう一つ、大きな仕事が残っている。本土復帰50周年を祝して、小波津の運命を変えた日、8月13日に「那覇文化芸術劇場なはーと」で記念ライブを行うのだ。約1600名収容の大ホールだ。通常のコントに加え、喜劇を行う予定だという。

「復帰50年だからって、沖縄の人が盛り上がっているかというと、そんなことはないですよ。盛り上がってるのはマスコミと、右の翼の人だけでしょう。何が変わるわけでもない。今でも復帰後の形について『聞いていた話とは違う』ってモヤモヤしていた人もいる。

ただ、お祝いじゃないかもしれないけど、節目ではありますよね。いろんなものを振り返ったり、確認したりするにはいい機会だと思うんです。なので、現時点で、おれたちができることをめいっぱいぶつけるつもりです」

あえて聞いてみた。小波津は米軍基地に対して、賛成なのか反対なのか、と。

「芸人としては賛成です。ずっとあったら最高なのになー、って思います。こうして、いくらでもネタができますから」

小波津は年間を通じて、100個くらいのアイディアを頭の中で転がし、そのうち30本くらいを脚本に起こす。そして、最終的に10本ぐらいに絞る。その作業において、初演から18年間、行き詰まりを覚えたことはほとんどないという。

「沖縄はそれくらいいろんなことを抱えている。こういうことをやろうとか考えなくても、その時々に向き合っているだけで、ありがたいことにネタができていく。今、国内では核シェアをするとかしないとか論じ合ってますけど、沖縄の視点で行くと、配備されていた歴史があるし、僕は今もどこかにあると思っています。今回、核ミサイルのコントをやりましたが、話題になってるからということ以前に、沖縄では日常の問題なんですよ」

「ネタに関しては忖度も自粛もしない。東京だったらアウトだということも沖縄ならできる。沖縄に来ないと観られないというプレミアム感がいいでしょ」

ただし、小波津は芸人であると同時に沖縄の人間でもある。

「うちなんちゅー(沖縄の人)としては、基地はなくなった方がいい。というのも、中国が攻めてきたら危ないとか言う前に、まず、戦争を体験してきた人たちの前に人殺しの道具を置かないで欲しいんですよね。見たくもないんだから。

僕は人間の性として、争いやケンカはなくならないと思う。でも、人殺しをする物を捨てることはできるんじゃないですか。もちろん僕も、矛盾したことを言ってるんですよ。芸人としてはあって欲しいと言ってるんだから。でもね、人間ってそもそも矛盾をはらんだ生き物じゃないですか」

人間をありのまま描く

新型コロナの蔓延下、お笑い米軍基地も翻弄され続けた。2000年は無観客ライブを行い、2001年は再三にわたる延期を乗り越えなんとか実施にこぎつけたものの、その間、精神的には深いダメージを負った。

「仕事がなくなって、僕も収入が5分の1ぐらいに落ちた。生活するだけでも大変になって、やめていった仲間たちもいる。そんな中で、この2年ぐらい、俺たちは世の中に必要とされてないんじゃないかと思い始めて。命をかけてとまで言ったら大げさかもしれないけど、生活のすべてをつぎ込んでやってきたことが何の役にも立ってないというのはこたえましたね。正直、芸人を辞めようと思ったぐらいで」

だが、そういうときだからこそ、芸人の本能が疼いた。

「葬式の時にちょっと笑いを取りたくなるのと似てるのかな。単純に、今の空気感が嫌だからガス抜きをしたいみたいな。僕は今の政治的なもの、コロナを取り巻く状況が、めちゃくちゃ嫌だった。だからこそ、今、やるんだ、と。

チャップリンがやっていたこともそうですよね。『独裁者』なんて、いろんな国からドイツを刺激するなと批判されながらも作った。喜劇人として、そういう空気感自体、許せなかったんだと思います」

小波津は、沖縄そのもののように映る。普段は、陽気で、親切で。だが、心の襞を一枚めくるとそこかしこに怒りのマグマが溜まっている。しかし、だからこそ、コントを作り続けてきたのだ。

「沖縄で起きてることって、そもそもコメディなんですよ。でも、世界中で起きていることのほとんどがそうなのかもしれない。みんな人間がやってることなんで。僕は特別なことをやってるわけではなくて、沖縄の人の日常を描いてるだけなんです」

人間をありのまま描く――。それこそ最上の喜劇である。

取材・文/中村計

小波津も小さい頃は米軍基地に憧れて育った。「米兵がきれいな芝生の上でサッカーをやっていてね。沖縄は赤土なんで、僕らはすぐに擦りむくんですよ。『あそこでサッカーさせろよ』というのが米軍基地への最初のツッコミでしたね」

本土復帰50 周年記念
お笑い米軍基地 なはーと編
制作総指揮・企画・脚本・演出 小波津 正光(まーちゃん)
2022年 8月13 日(土) 17:00 開場 18:00 開演
【会場 】 那覇 文化芸術劇場 なはーと 大劇場
【入場券】前売 2,000 円 当日 3,000 円
【取り扱い】イープラス、 ファミリーマート各店( Famiポート)
デパートリウボウ4階チケットカウンター
【主催】 お笑い米軍基地実行委員会 【共催】 那覇市
【お問い合わせ】
お笑い米軍基地実行委員会
TEL 098-869-9505 (平日 10:00 19:00)
WEB https://www.kohatsumasamitsu.com/

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