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【終戦記念日】戦時下で20歳の女性アナウンサーが体験した玉音放送前夜の真実

集英社オンライン / 2022年8月14日 19時1分

1945年8月14日、当時アナウンサーだった武井照子さん(20歳)は、ラジオアナウンス室に集められてこう言われた。「明日、日本は負けます。もし何かあってもあなたたちは自分の身を守りなさい」。"NHKで働く母親第一号"として、ラジオの歩みとともに、日本の歴史を見続けた武井さんの手記『あの日を刻むマイク ラジオと歩んだ九十年』(集英社)から「玉音放送前夜」の項を一部抜粋・再構成してお届けする。

終戦の2日前に言われた言葉

八月十三日の夜、私は宿直勤務なので、夜中の短波放送を担当した後、少し休んで朝、アナウンス室に行った。すると、浅沼アナウンス室長が、「女子アナウンサーだけ集まるように」と言う。何かしらと思いながら、居合わせた何人かで部屋に行った。



浅沼室長は茶目っ気のある人で、いつも江戸っ子らしいユーモアでみんなを笑わせている方だった。その浅沼室長が、いつになく真顔でみんなを見回すと、ぼそりと言った。「日本は、負けたよ」と。

私は頭が真っ白になった。いろいろな思いが頭を駆け巡り、何を考えたらいいか判らなかった。

「そのためのご詔勅が、明日くだる。私の考えでは、こうした時には必ず反乱軍が起こる。そうなった時に、あなたたちはどうするか、どうしたらいいのかを、考えておきなさい」

反乱軍? そんなことは頭にもなかった。返事も出来ない私たちに、浅沼室長は続けて言われた。

「いいか、蹶起した反乱軍が放送局に来て、この原稿を読めと言ったら、あなたたちはどうする? ピストルを突き付けられて、彼らの書いた原稿を読めと言われたらどうするのだ?」

一瞬、私は思った、読んではいけないのかもしれないと。兄の教科書に、「死んでも、ラッパを口から離しませんでした」という、木口小平の話が載っていたのを思い出したからだ。そのことは、ずっと頭に焼き付いている。しかし、浅沼室長は、はっきり言った。

「いいかい。あなたたちは自分の身を守りなさい。ピストルを突き付けられて、この原稿を読めと言われたら、読みなさい。自分の身を守ることだよ」

自分も人も、守れない日々だった

……自分を守る、守っていいんだ。私には、浅沼室長の言葉が重く響いた。それまで、自分も人も、守れない日々だった。そのことを思い返していた。

戦後、だいぶ経ってから、私は浅沼さんに聞いた。

「日本は負けたということを、あの微妙な時期に、よく言ってくださったと思って……。そんな話が外に聞こえたら、浅沼さん自身、危険な目に遭うかもしれなかったでしょうに」

浅沼さんは、一瞬照れくさそうな目をしたが、それから真剣な顔になって答えられた。

「そりゃあねえ、君たちを助けたかったからだよ」と。

そうなんだ。浅沼さんが教えてくれなければ、軍国少女の私たちは、反乱軍のピストルの前に出たかもしれない。実際には、反乱軍が放送会館を急襲してきた時に対決したのは、館野アナウンサーらだったが、一歩間違えば女性たちも巻き込まれていたかも知れないのだから。浅沼さんが救ってくださったのだと、私は思っている。

このことを書いた毎日新聞社の「世界史の中の一億人の昭和史 6東西対立と 朝鮮戦争」のコピーを送ったところ、浅沼さんは次のようなはがきをくださった。

「あのような事を知っている人がいま何人いるでしょうか。それだけに、あの原稿の歴史的価値はいずれNHKでも評価されるでしょう。切にご自愛を祈る」

終戦は決まっていても空襲が…

八月十四日、羽生の家に戻った私は、父に敗戦のことを話したが、父は「そうか」と一言、言ったきりだった。父は、口には出さなかったが、そのことを予想していたのだと思った。

でも、もうひとつ、思いがけないことが起こった。その夜の熊谷の空襲だ。私の町、羽生の上をB29爆撃機の大編隊が通っていったのだ。

「何故、今夜、空襲をするの? 終戦と判っているのに、何故なの? 何故こんなことをするの?」

私は怒りで一睡もできなかった。熊谷には、私の学校時代の友達もたくさん住んでいる。私はそのことが気がかりで、自分の膝小僧を抱え、震えていた。

八月十五日の朝、あの日は空が真っ青で、ギラギラと照りつける太陽が暑かった。人声が聞こえず、蝉の声だけが聞こえた。そして私は、心も体も全く空っぽだった。

『あの日を刻むマイク ラジオと歩んだ九十年』(集英社)

武井 照子

2022年7月20日発売

770円(税込)

文庫 352ページ

ISBN:

978-4-08- 744412-4

大正から令和へ──。97歳が自身の手で綴ったラジオと日本の歴史。
ラジオ番組の制作者として、長年日本語の「声」を追求してきた武井さんの自分史が、公の歴史に埋もれずに、生き生きと描かれています。谷川俊太郎

一九四五年八月十四日、当時二十歳のアナウンサーだった著者は、ラジオアナウンス室に集められてこう言われた。「明日、日本は負けます。もし何かあってもあなたたちは自分の身を守りなさい」。大正時代に生まれ、豊かだった幼少期から戦争を経て、高度経済成長期、東日本大震災、平成から令和へ。"NHKで働く母親第一号"として、ラジオの歩みとともに、日本の歴史を見続けた女性の人生。

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