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ルーツは太平洋戦争。栃木県益子町に伝わる郷土料理「ビルマ汁」がつなぐもの

集英社オンライン / 2022年8月15日 9時1分

太平洋戦争が終わり、戦地から帰還した復員兵たちによってさまざまな文化が日本に持ち込まれた。焼き物の街・栃木県益子町に伝わる「ビルマ汁」もそのひとつ。義父から伝えられた味を守り続けてきた主婦の料理は、珍しさと美味しさで今や地元の名物料理となった。

どっさり夏野菜&ピリ辛カレースープ

ごろごろのじゃがいも、おおぶりに切ったナス、甘酸っぱいトマト、それにいんげん。カレースープの中には、野菜がたっぷりだ。

「豚バラもだいぶ入れたけど、溶けていいお出汁になってるよ」

飯塚フミさん(75)が笑う。

51年間ずっとビルマ汁を作り続けているという飯塚フミさん

スープをすすってみると、ほんのりとピリ辛で、なんだかほっとする味わいだ。そのまま食べてもおいしいし、ごはんにかけるとまたいける。



「さらさら食べられるって感じでしょ」

鷹の爪とカレーのほのかな辛みで、食欲が湧いてくる。汁ものだから、暑さでへばっているときでも食べやすい。なるほどこれは、夏にぴったりだ。

「自慢じゃないけど、おいしいでしょ。ほらあんた、おかわりは? ごはんもまだあるから」

これが栃木県益子町に70年以上も伝わる「ビルマ汁」だ。

「私が作り続けているだけでも51年。この家にお嫁に来てからだからね」

ビルマ戦線から生きて帰った義父の、思い出の味

ビルマ汁が生まれたきっかけは、太平洋戦争だった。フミさんの義父、潤一さんは兵隊に取られ、ビルマ戦線に送られた。現在のミャンマーだ。インパール作戦をはじめ、過酷な戦闘の舞台となった場所である。潤一さんもずいぶんと苦労をしたらしい。しかも戦後は捕虜となって、日本に帰国できたのは終戦から1年経った1946年のことだった。

「ガリガリに痩せて、栄養失調になって帰ってきたってお義母さんから聞いた」

そんな潤一さんが懐かしがったのは、戦地で食べたあの味だ。たっぷりの野菜と、辛いスープ、それにぶつ切りのナマズやウナギを煮込んだもの……。

「きっと戦時中か捕虜になっているときか、ミャンマーの人に食べさせてもらったんじゃないかなって思う」

だからフミさんの義母は、魚の代わりに潤一さんの好物だった豚肉を入れ、当時の日本で手に入る食材で、ミャンマーの味を再現した。それを「ビルマ汁」と呼び、ずっと大切に食べ続けてきた。

これがフミさん特製、夏にぴったりビルマ汁。器はもちろん益子焼

そんなところに、フミさんが嫁いできたというわけだ。そして義母からレシピを教わり、受け継いだ。

「はじめはビルマ汁ってなんだ、なんでトマトを煮るんだって思ったけど」

フミさん自身もすっかりその味が好きになった。潤一さんは復員当時から体調が悪く、フミさんが結婚してからわずか2年半で亡くなってしまったが、ビルマ汁は作り続けた。

これが近所にも伝わった。益子町の中でも、飯塚家のある田町の一角の家で食べられるようになっていく。

「ナスでもトマトでも、夏になるとみんな近くの農家さんからたくさんもらうから。ちょうどいいんだ」

いつしかビルマ汁は、ささやかな郷土料理として定着したのだ。

作り方のコツは「なあんにもない」

ビルマ汁が広く知られるようになったのは「7年くらい前からかなあ」とフミさんは言う。

「夫が商工会長やっていたんだけど『俺んちのビルマ汁、うめえぞ』ってまわりに言ってたみたいでね」

これを聞きつけた益子町のほうからアプローチがあり、ビルマ汁を町のソウルフードとして盛り上げていくことになった。田町の自治会のご婦人たちで結成された「なでしこ会」が中心となり、町内で講習会を開いて作り方を教えたり、イベントなどがあるたびにふるまったりしてきた。地元紙などでもたびたび話題になったが、フミさんは義母から学んだ半世紀前からのレシピをずっと守り続けている。

「お義父さんは男っぷりも良くてね。一目置かれるような人だった」とフミさん。ビルマ汁を紹介した地元紙を見ながら振り返る

まずはナスとじゃがいも、玉ねぎといんげん、人参、それに豚バラを鍋で煮込んでいく。鷹の爪はお好みで。基本の味つけは塩と、それに「ほんだし」だけだ。

「ここでね、タンメンのスープの味になってればおいしくできるの」

そして野菜に火が通ったところでちぎったトマトと、カレー粉を投入し、ひと煮立ちさせたら完成だ。

「カレー粉はね、コレ」

S&Bのいたってふつうの缶のもの。簡単にそろう材料ばかりなのだ。フミさんに作り方のコツを聞いてみると、

「なあんにもない」

と大笑いする。「アクをしっかり取るくらいかな」。あくまで手軽でシンプルな、家庭料理なのだ。

町内でもビルマ汁を提供する飲食店が

ビルマ汁はごはんと一緒に食べるのもいいが、

「私はうどんがいちばん好きかな」

とフミさん。そこで、益子町でもビルマ汁を使ったうどんやそばを出している「手打ちそば うえの」さんにお邪魔した。益子にはビルマ汁を扱う飲食店が10軒以上あるのだ。

「夏限定で、ビルマ汁の温かいそばとうどん、それにつけ麺を出しています」

とは店主の上野一己さん(55)。とくに人気だという、つけ麺のそばをいただいてみると、さわやかな辛さのカレースープにそばがよく合う。

ビルマ汁のつけそば1000円。具沢山でさっぱりしたカレーそばといった感じ

「ベースはフミさんのレシピですが、蕎麦屋ですから出汁は変えてあるんです。さば節やかつお節などをミックスして作っている和風出汁を使っています」

それに、少し辛めの味つけだ。醤油も加えてある。家庭料理をプロがアレンジして、実においしく仕上がっている。

「タッパーを持ってきた人もいるんですよ」

と、一己さんとともに店を切り盛りする妻の由里子さん(46)が教えてくれた。ビルマ汁を知らずに入ってきたお客が注文してその味に喜び、また次の週にやってきて「家族にも食べさせたいから」とタッパーでお持ち帰りしたのだという。

「手打ちそば うえの」の店主、一己さんと由里子さん。ご自宅ではビルマ汁に素麺を合わせて食べているとか

「手打ちそば うえの」さんは1966年創業の老舗で、けんちんそばの名店でもある。2代目の一己さんは、ビルマ汁自体は昔から知っていたのだそうだ。

「同じ益子町内でも、田町とは違ってうちの地区では食べないんですよ。でもお祭りの打ち上げで田町の人たちがビルマ汁を作ってきたことがあって。20年くらい前ですかね」

その味が印象的だったこと、町を挙げてビルマ汁を普及させようという動きが広がったこと、それにビルマ汁はきっとそばやうどんに合うと思ったこともあって、2014年から夏限定のメニューに加えた。いまではすっかり夏の風物詩で、

「今年はもうビルマ汁はじまりましたか、って問い合わせも多かったね」

と由里子さん。益子といえば焼き物の町だが、近所の益子焼の店の人たちも次々にやってきて、ビルマ汁で夏を楽しむ。

給食の人気メニューにもなった

フミさん自慢のビルマ汁はいまや、地域の学校給食にもなっている。

「子どもたちにも食べてもらうことが、私の夢だったんです」

16年から年2回、益子町の小中学校でうどんと一緒に出されている。子どもたちには人気メニューのようで、

「みんなおかわりするから、ぜんぜん残らないんだって」

とフミさんは嬉しそうに話す。夏の暑い盛りに、たくさん野菜を摂れるビルマ汁は、子どもの栄養を考えたら給食にはちょうどいいのだろう。

とはいえフミさんも51年間に渡ってビルマ汁を作り続け、近年では広報大使となって普及に努めてきた。

「最近じゃトシで、疲れてきちゃった」

なんて言うのだが、声がかかれば張り切って腕を振るう。今度は10月に行われる栃木国体に提供するという話も持ち上がっているそうだ。まだまだビルマ汁を作ってもらわないといけない。

戦時中ミャンマーでは、インパール作戦をはじめ連合軍との激しい戦闘によって、およそ18万人の日本兵が命を落とした。一方で、日本占領下のミャンマーでは 17~25万人の民間人が戦争に巻き込まれて犠牲になったといわれる。それでもミャンマー人は、落ち延びた日本兵に飯を食わせてくれたのだ。その気持ちが、戦後77年経ったいまも、栃木のこの町に生きている。


取材・文/室橋裕和 撮影/泉田真人

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