――女性アナウンサーという存在を、最初に意識したのはいつ頃ですか?
小学生のころだったと記憶しています。 母と一緒にテレビを見ていたとき、「女性アナウンサーというのは、場も和ませられるし、空気も読めて、機転も効くし、素敵な職業よね」と母が言ったのを聞いていて、“あぁ、この職業に就いたら、母が喜んでくれるのかも”と思ったのが、最初だったような気がします。
――そのあと職業として、アナウンサーを意識したのはいつでしょう。
なんとなく憧れとしては、ずっと心のどこかにあって。そこから、自分が将来なりたい職業として本気で考えたのは、高校3年のときです。
志望した早稲田大学に、“将来やりたいこと”というテーマのエッセイと、高校の内申点で判定される、大学独自の奨学金制度があって。そのときですね。
――将来の夢として、アナウンサーを挙げた?
う〜ん、なんだろう? と、結構悩みながらでしたけどね(苦笑)。
アナウンサーになるために東京に行きたい。そのためには、早稲田大学でこういう勉強をすることが、自分の人生にとって大切なことなんです…ということを書いて。書きながら、あぁ、私はこう思っていたのかと、アナウンサーになりたいと思っていたんだと、あらためて気がついた感じです。
――そこからは、一直線?
と、思いますよね。私自身の予定でもそうなるはずだったんですけど…。
早稲田大学に入学してすぐ、部員400人を超える、まるでテレビ局のような本格的なサークル「放送研究会」に入部したんです。照明部、カメラ部、舞台美術部、進行部といったような部署があって、「アナウンス部」に籍を置いたのですが…一年で辞めてしまったんですよ(苦笑)。
――え〜っ!? どうして、また?
発声練習や原稿読み、フリートークの練習などがあって。合宿にも参加したのですが、どうしてもうまく話せなくて。
あれ!? もしかしたら…向いていないのかも?と、思いはじめて。半年で行かなくなって、一年後には退部届を出して、そこからは並行してやっていたファッション系のフリーペーパーサークルで、ずっと編集作業をしていました。
――そうなると、当然、就活は、出版社系になると思うんですが…それが、なぜ、フジテレビでアナウンサーをすることに?
そこですよね、大事なポイントは(笑)。
出版社も、当然、志望はしていたんです。でも……情けないことにES(エントリーシート)が大変で、途中で、心が折れちゃって(苦笑)。
自分に何ができるのかもわからなかったし、ご縁というものもあるだろうしと思って全業種幅広く…商社、通信、メーカーなど、いろいろと受けて。その中でそういえば、アナウンサーになりたかったと思っていたことを、ふと思い出して。キー局だけですが、テレビ局にもESを出したんです。