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4年前にファンの男性と豪快婚。“女大魔神”髙山樹里が目指す、車椅子ソフトボールの「パラ競技化」

集英社オンライン / 2022年8月16日 12時1分

女子ソフトボール・日本代表のエースとして、五輪3大会連続出場をはたし、「女大魔神」の異名をとった髙山樹里(45)。今もナチュラルリュージュの現役選手として五輪を目指す彼女だが、さらに車椅子ソフトボールの普及にも力を入れている。4年前にはファンの男性と結婚。「来るもの拒まず」を地でいく、彼女のアスリート人生を追う。

車椅子ソフトとの出会い

今もリュージュの普及活動に忙しく動き回っている髙山だが、10年ほど前、もうひとつの「聞いたこともなかった」競技と出会った。車椅子ソフトボールだ。

ボブスレーの北海道合宿の時に、北翔大学のゼミのカリキュラムとして研究や普及活動を行っているグループを紹介され、関係者から協力を依頼された。



「ソフトボールと名の付くものなら、お手伝い出来ることがあればやりますよ」と快諾。それが始まりだった。軽い気持ちで試合を見に行き、プレーしてみたら、「これは面白い。見るのとやるのとでは全然違う」とすぐにハマった。

同じソフトボールと名前が付いても、中身はサッカーとラグビーくらいの違いがあった。というか、難しさに圧倒された。車椅子ソフトは、もともとは障がい者のリハビリの一環として始まったもので、米国では半世紀近い歴史がある。それを車椅子バスケットの選手が渡米した際に見て、日本に持ち帰ったことが始まりだと言われている。

初めてプレーした時、「これ、絶対無理!」と思ったという。

まずは〝走る〟(車椅子を走行させる)ことから練習を始めた。「もともと車椅子を漕ぐスキルがないですから」と言う。ただ走るだけでなく、止まること、曲がること(方向変換)。そこからボールを使うことに取り組む。

投げることに加えて、バットを使って「打つ」ことがある。ピッチャーがスローピッチで投じた山なりのボールを、脊髄損傷などで体幹が使えない人は、片手で勢いを付けて打ったりする。

今、日本では障がい者も健常者もバリアフリーで競技に参加し、試合も行っているのだが、それが相乗効果となり、技術レベルが上がっているという。車椅子を使っていた障がい者が車いすのスキルをみんなに教え、健常者がバッティングの技術を教える。それが噛み合って、どんどんレベルが上がっていく。

DeNAなどで活躍した元プロ野球選手の古木克明もチームに所属しプレーしているのだが、あれほどのスラッガーでも、最初は思うようにプレーすることが出来ず、周りから「ほんとにプロ野球選手?」と冷やかされていたという。

とはいえ、もともとトップに行くような選手は負けず嫌いだから、「上手くなりたい」と思ってやっているうちに、どんどん夢中になっていく。髙山もそうだった。そして競技にのめり込んでいくうちに、一つの夢が生まれた。

「これを世界で普及させて、パラリンピックの競技になったら面白いな」

日本車椅子ソフトボール協会長に

しかし、問題は山積だ。まず、車椅子を走行させるため、フィールドはアスファルト(コンクリート)の上でなくてはならない。なので、もっぱら試合会場はアウトレットモールのような広い駐車場に、路面にビニールテープを貼ってダイヤモンドを作り、外野にフェンスを張って手作りで試合場を作る。

アメリカではメジャーリーグのヤンキースやレッドソックスがフランチャイズ地域のチームをバックアップしていて、選手たちは、ヤンキースやレッドソックスと同じユニフォームを着てプレーしている。さすがに日本では、まだそこまでのバックアップはない。

それでも埼玉西武ライオンズが大会を主催したり、北海道日本ハムも協力的だ。髙山が創設し、今も所属するチーム(東海ユナイテッドドラゴンズ)は愛知にあるため、中日ドラゴンズがユニフォームを提供してくれている。阪神の糸井嘉男のように、大会に足を運んで普及活動を行ったり、個人で応援してくれる選手もいる。

2013年には日本でも協会が発足。現在は国内14都道府県で22チームが活動している。当面の目標は、47都道府県全部にチームが出来るよう、髙山も地方に行っては体験会を開くなどして、各自治体に働きかけている。昨年は沖縄に初めてチームが立ち上がり、大会に参加した。

「そうやって国内で動いていって、見てもらって、知ってもらって、根付いていったらいいと思っています。それを後ろから支えていくのが私の仕事ですね」

2028年パラリンピックはロサンゼルスでの大会だけに、ここが採用のチャンスでもある。とはいえ、まだ世界的に普及していないので、パラリンピックの正式種目になるには、もう少し時間が必要なようだ。コロナ禍がなければ、普及のためにヨーロッパにも行くつもりもある。

古巣のソフトボールとの縁は少しずつ薄くなっているが、オリンピックを共に戦った宇津木妙子元監督とのパイプは太い。大阪のコートのオープンの際には、宇津木がオリンピアンを何人も引き連れてイベントに参加してくれた。

「私も宇津木さんがソフトボールのイベントで『やるから来い』と言われたものはお手伝いします。宇津木さんはソフトボールだけじゃなく、障がい者スポーツにも理解を持って支援してくださっているので」

いつの間にか押し上げられ、役職が付き、日本車椅子ソフトボール協会会長となった。「大変ですよ、責任だけ背負わされて。面倒臭いだけです」と言う。

4年前にファンの男性と“豪快婚”

そう言いながらも、現在は車椅子ソフトボール、ナチュラルリュージュの他、アーチェリー連盟の外部理事、プロ野球OBクラブの理事。女性スポーツの普及や地位向上を目的に発足したトータル・オリンピック・レディス(TOL)でも会長を務め、イベントを開催したり、年に一度発行する機関誌のために女性オリンピアンを取材し原稿を書いている。

「他の人とは違う生き方をしていて、それはそれですごく張り合いもある毎日です。でも女性としての幸せみたいな部分では、子どもを産んで育ててというところが出来ずにこの歳になってしまって、それはちょっと残念だったなと思うこともあるんですけど……。私、自分の子どもをアスリートに育てるのが夢だったんで」

そんな殊勝なこともポロッと言う。

髙山樹里/1976年、神奈川県生まれ。アトランタ、シドニー、アテネと3大会連続で五輪に出場。通算8勝は五輪記録。現在は、女性スポーツの普及や地位向上を目的に発足したトータル・オリンピック・レディス(TOL)会長、車椅子ソフトボール協会長、アーチェリー連盟の外部理事などを務める

プライベートでは、4年前に結婚した。友人と飲んでいた際、たまたま同じ店で飲んでいた男性に「ファンなんです」と声を掛けられたのが縁で、しばらくしてプロポーズされたという。ここでも豪快なエピソード。

旦那様は関西に単身赴任。一緒にいる時は、二人でお酒を嗜んでいる。もちろん、「嗜み」程度では済まないことが多い。

忙しすぎて、まだ結婚式はしていない。今の夢は「バンテリンドーム(名古屋)を借り切って結婚式をすること」と壮大だ。

「みんなで大運動会をやって、車椅子ソフトボールの選手や、子どもたちと一緒に走ったり、私が始球式をやって、宇津木さんにノックを打ってもらったり、いろいろやりたいことがあって」



それは結婚式と言えるのだろうか……

「だって、みんなで楽しみたいじゃないですか」と子どものように言う。

ゴリラハウスでの寮母生活

以前、アメフト選手を対象としたシェアハウスの寮母さんをやっていることがテレビで取り上げられ、話題になったことがあるのだが、これにも裏話がある。

髙山は東京五輪に備えて、東京に拠点を持ちたいと考えていた。もしコロナ禍がなく順調に開催されていたら、ホテルは満杯で取るのが難しかったはず。そこで早い時期から1~2年の短期のつもりでマンションを抑えようと物件を探していた。その際、知人のボブスレーにも挑戦していたアメフト選手がシェアハウスの案内を出していたので、そこに乗っかることにした。

海外ではシェアハウスは男女共同もスタンダードなので、女子もいるものだと思っていたら、集まってきたのはマッチョなアメフト選手のみ。なかには、母親が「あの髙山さんがやるなら間違いない」と送り出した選手もいた。

髙山曰く「ゴリラハウス」。選手たちからは「姐さん」と呼ばれ、「毎日、筋肉に囲まれて幸せでした」と笑う。料理は好きで得意だった。彼らに食事を作り、自分自身が選手時代に得た知識で食育的な指導も行った。選手たちの恋愛相談にも付き合った。

「いろんな世界を見たいじゃないですか。みんながチャンスを落としていくから、私はそれを拾い上げて自分でやる。それが楽しいです。ソフトボールにこだわってずっとやっていたら、ソフトボールの仲間しかいなかったはずです。冬の競技に行った時、それはつまんないと思ったんです。

冬の競技の友達が増えて、それが枝分かれして、友達の友達みたいにまた違う競技に繋がっていく。その広がっていくのが楽しんですよ」

尽きることのない好奇心と、様々な競技や活動への情熱。その原動力はどこにあるのだろう?

「今も車椅子ソフトで選手と関わっていて、『選手っていいなぁ』って思っちゃうんですよね。頑張っている選手たちのそばにいると、『この人たちがこんなに頑張ってるのに、私は何やってんだろうな』って思ってやりたくなっちゃう。だから突き詰められなくても、なにも得なことはなくても、とにかく選手でやっていたい。

私がやることで、ナチュラルリュージュも車椅子ソフトも、こういう種目があるんだな、女子でもやれるんだな、障がい者でも出来るのか、って思ってくれたらいいのかなと思っています」

〝女大魔神〟は、今も「現役」であり「トップランナー」だ。

取材・文/矢崎良一 写真提供/髙山樹里 樫本ゆき 矢崎良一

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