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開智日本橋学園中学が取り組む、子供にとって本当に必要な「先進的授業」

集英社オンライン / 2022年9月2日 10時1分

美術や歴史の時間に学んだことを人前で上演する「創作朗読劇」。答えのない問いが他者への想像力を鍛える「哲学対話」など、私立中学校で始まっている「国語力」を鍛える最先端の授業とは…。

流行の教育も国語力がなければ意味がない

日本の子供たちの国語力が脆弱なものになっているという声は、いくつもの教育現場で上がっています。現在の学校教育では、小学生の早い段階から外国語やプログラミングの授業などが行われています。SDGs教育も盛んです。もう少し上になると金融教育、起業家精神教育なども入ってきます。

しかし、それらの教育は、国語力という基礎がついてからはじめて行うべきものではないでしょうか。

国語力とは読解力だけを意味するものではありません。語彙をベースにして、情緒力、想像力、論理的思考力、表現力を結合させた総合的な力です。数学者の藤原正彦さんが「一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下」と語っているように、すべては国語の力があってこそです。



多くの教育者が懸念しているのは、家庭格差、ライフスタイルの変化、ネット社会への移行などで、こうした国語力がきちんと育めていないのに、新しい教育を次々とやらせていることなのです。

家庭での積み重ねが大切

私は『ルポ 誰が国語力を殺したか』(文藝春秋)というノンフィクションで、子供たちの国語力を取り巻く危機的な状況と、回復への道筋を示しました。取材の中で感じたのは、子供たちと真摯に向き合っている教員や学校は、何よりこの国語力を重要視しているということでした。

国語力の基本的な部分は、小学4年生くらいまでにでき上がります。特に有効とされているのが次のような働きかけです。

・子供が主体となった自由な遊びをさせる(親の目的ありきではない遊び)。
・親が「どうしてだと思う?」など問いかけの形で会話をする。
・絵本を含めて身の回りに活字のある本をたくさん置いておく。
・社会で起きている出来事について家族みんなで話をする。
・博物館や外国文化の体験を通して、新しい価値観を学ばせる。


細かなことは本に書きましたのでここでは割愛しますが、親がお金をかけて学習塾などで勉強をさせるより、上記のようなことを家庭で積み重ねる方が、結果的に子供の学力は向上するという研究結果もあります。

家庭や学校でのこうした体験のくり返しの中で、子供たちは抽象的な概念を的確に想像できるようになったり、物事の因果関係を論理的に考えられるようになったりするのです。それが人との円滑なコミュニケーションにつながっていくし、小学校高学年以降の難しい学習についていく基礎力になるのです。

教科をまたいで国語力を底上げ

たとえば、ある私立中学校では、美術や歴史の時間に学んだことを「創作朗読劇」にさせます。一つの絵や一つの戦争から、みんなで資料を調べ、話し合い、脚本をつくり、照明やBGMを用意し、人前で上演するのです。

そうすることで、情報の丸暗記ではなく、様々な知識を横につなげたり、人との話し合いで新しい視点を発見したり、不特定多数の人に適切に伝える技術を磨くのです。似たようなことであれば、英語で絵本をつくらせる学校もあります。

高いレベルの学校でも、中学の授業で行う英会話の内容は、日本語にしてみれば小学校低学年くらいのものです。英会話は流暢になるかもしれませんが、大切なのは会話の中身です。

そこで、クラスの生徒たちに日本で起きた社会問題を題材に英語で絵本をつくらせるのです。そして、完成した作品を外国の姉妹校の生徒に見せ、オンラインでそれについて意見を述べ合う。

子供たちは社会問題を絵本化する過程で多くのことを自分で勉強するし、友達と深い議論をする。さらに外国の同年代の子供たちと話し合うことで、まったく異なる視点や意見をもらえる。ペラペラと表層的な会話だけをする英会話では得られない力を育むことができるのです。

まさに教科をまたいで学校全体で国語力の底上げを目指しているのです。

哲学対話で評価の多様性が生まれる

このような例をみると、表現が得意な子だけが国語力を伸ばしていくようなイメージを抱くかもしれません。しかしまったく逆のこともあるのです。

たとえば開智日本橋学園中学で行われている「哲学対話」の授業がそれです。

2015年 日本橋女学館中学校から開智日本橋学園中学校に校名を変更(開智日本橋学園中学HPより)

まずクラスで哲学テーマを出し合います。「なぜ人は人を差別するのか」とか「魚に感情はあるのか」「争いは正義となりえるのか」など答えのない問いですね。

これをある手法を使ってクラスの生徒みんなで話し合います。これは誰かを論破するとか、正解を出すということとは正反対で、個々がそれぞれの意見を出し、それを聞きながら、どんどん意見を深めていくことが目的です。答えのない問いに対して、他者の意見を聞きながら思考を深める力を養うのです。

現在のような多様化した社会では、個別の主張の正しさを争うより、お互いの意見に耳を傾け、思考を深め、建設的に社会のあり方を考えていく力を育む方が重要です。哲学という、ともすれば古臭い手法を用いながら、未来の社会で生きていくのに必要な力を中学生の段階からつけさせていくのです。

興味深いのは、哲学対話の授業で目立つのは、普段の授業で目立つ生徒とは限らないことです。むしろ、悩みの多い物静かな生徒の方が活発で良い意見を言う傾向にあるのです。

普段の授業では、学力やスポーツなど点数化できるものが評価されますし、そういう生徒が注目される傾向にあります。しかし、哲学対話という答えのない問いを考える授業では、それとはまったく違う力を持った子供の方が目立つのです。

そういう意味では、哲学対話は評価の多様性を生むともいえるでしょう。

教育の中心に「国語力育成」が絶対に必要

開智日本橋学園中学の哲学対話など、国語力を上げるための先進的な取り組みは『ルポ 誰が国語力を殺すのか』に記しましたので、詳しくはそちらを参照していただけると嬉しいです。

他にも自分の性格や得意なことを言語化する研究も行っている(開智日本橋学園中学HPより)

今後、社会はグローバリゼーションの中でより多様化することが必至です。そこでは、人とつながる力、論理的な思考をする力、未知の世界を想像で補う力、自分を表現する力、異なる意見を受け入れる力が昔以上に必要とされます。

この時に重要なのが、それらのベースとなる国語力をどれだけ身につけているかということなのです。いくら英会話ができても、いくら高度なプログラミングができても、いくら金融の知識があっても、国語力なくしてはあらゆることが形骸化してしまいます。

だからこそ、子育てや教育の中心に「国語力の育成」を置くべきだと思うのです。

そのためには、次々と出てくる新しい教育に飛びつくだけでなく、前提となる国語力とは何か、それをつけさせるには何をすればいいのかということを、大人たち一人ひとりがしっかりと考えることが大切だといえるでしょう。

文/石井光太

『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)

石井光太

2022年7月27日

1760円(税込)

単行本 336ページ

ISBN:

978-416391575-3

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