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木目の見え方にまで想いを込めて… Appleが認めた名作チェア「HIROSHIMA」が生まれるまで

集英社オンライン / 2022年8月26日 15時1分

いま、日本の「モノづくり」が世界で評価されるためには何が足りないのだろうか。本稿では、日本の老舗木工家具メーカー「マルニ木工」の山中洋社長にインタビューを実施。同社が欧米市場に臨んできた姿勢から、その成功の秘訣を探った。

世界に挑み続ける国産家具メーカー

あのApple社を魅了した“日本製の椅子”があることをご存じだろうか。ITやデザインの分野に興味を持っている人ならば、「HIROSHIMA(ひろしま)」という名の高級木製アームチェアについて、一度は耳にしたことがあるかもしれない。

ミニマルながらも、繊細かつ滑らかな曲線を描いたそのフォルムは、一度目にし、腰掛けた人に、強烈な印象を残すものだ。この世界的に有名な椅子を作ったのが、広島の老舗家具メーカー「マルニ木工」である。


米・クパチーノにあるApple本社「Apple Park」にも納品されているマルニ木工のアームチェア「HIROSHIMA」

Appleの本社「Apple Park」にHIROSHIMAアームチェアが採用されたことが話題になったのは、2017年のこと。あれから5年を経た2022年現在、同社には新しい風が吹いている。

最近の大きなトピックは、2022年にデンマークの著名デザイナーであるセシリエ・マンツ氏とのコラボレーションを開始したことだ。同年5月には、同氏デザインによる新プロダクト「EN」シリーズをラインナップに追加。さらに6月上旬には、その新製品を引き連れ、世界的なパンデミックを乗り越えながら開催された「ミラノサローネ国際家具見本市」へ3年ぶりに出展。木製家具のラインナップ「マルニコレクション」の新たな姿をグローバルに向けてお披露目した。

今年5月に公開された「EN」シリーズ。デンマークの著名デザイナーであるセシリエ・マンツ氏とのコラボレーション商品

マルニコレクションについては、これまでも深澤直人氏やジャスパー・モリソン氏といった世界的なプロダクトデザイナーと協働で行われてきた。先述のHIROSHIMAアームチェアも、深澤直人氏によってデザインされたもの。ここに、セシリエ・マンツ氏による柔らかい色使いが加わったことで、マルニ木工としても、新時代への舵を切ったことがわかる。

HIROSHIMAアームチェアが世界的に長く評価され、確かな成功を収める一方、マルニ木工はこうした新しい挑戦を続けている。同社が世界を相手に挑めているのは何故なのか。そして、日本のモノづくりの課題とは何なのか。株式会社マルニ木工の代表取締役社長である山中洋(やまなか・ひろし)氏に話を伺った。

椅子だけでなく家具全般を生産

椅子に関するキャッチーな話題が多いマルニ木工だが、同社は決して椅子だけを作ってきた企業というわけではない。1928年に創業したのち、洋家具の知識を学びながら、広く木工家具を作り続けてきた老舗だ。山中社長は、同社の成り立ちについて、次のように話す。

「広島は土地柄として、厳島神社のように有名な木造建築も多く、宮島木工細工のような木彫りの名産もあります。創業者も、やはり幼少期に木に触れる機会が多く、自然と木工に興味を持ち、弊社の前身である『昭和曲木工場』創業に至ったと聞いています。

創業当時は、第二次世界大戦前のまだ洋家具が普及していないような時代でしたが、創業者はその頃から『日本の住宅文化を高めたい』『座る人が美しく見える椅子を作りたい』といった思いを抱いていました。

その後、戦後の高度経済成長期に入り、日本の住宅文化が洋風化していくなかで、彫刻をあしらったような富裕層向けのヨーロッパ調クラシック家具を中心に製作するメーカーになりました」

株式会社マルニ木工の代表取締役社長・山中洋氏。1994年明治大学商学部を卒業後に渡米。1998年米国オールドドミニオン大学経営大学院を卒業後に帰国し、1999年株式会社マルニ(現 株式会社マルニ木工)に入社。入社後まもなく英国の提携工場にて家具製造の基礎を学ぶ。帰国後は営業職を経て社内の様々な機能改革に従事し、「MARUNI COLLECTION」、「MARUNI60」等、外部デザイナーとの企画を積極的に推進。ブランド戦略や商品企画、セールスプロモーションの構築に携わり現在に至る。2021年株式会社マルニ木工代表取締役社長に就任

今回取材に伺ったのは、東京都中央区の東日本橋にあるマルニ木工の直営店「maruni tokyo」。同店の1階はHIROSHIMAアームチェアをはじめとするマルニコレクションが並んだ美術館のようなミニマルな空間になっている。一方、同店の3階には、歴史の積み重ねを感じさせるクラシカルな洋家具が数多く展示されている。

「当時の百貨店では家具売り場が全盛期を迎えていました。伊勢丹や、三越、高島屋、西武などで、ワンフロア全部が家具という時代があったんです。家具メーカーは、家の中を同じテイストの家具で、周辺インテリアを含めてトータルコーディネートできますよ、という売り方をしていて。こうした家具を揃えられることが成功の象徴でもあったわけです。マルニもこうした戦略で大成功を収めていました」

その頃、マルニ木工は「マルニ」と名前を変え、メーカーでありながらラグや照明も販売する家具・インテリアの総合商社のような側面を強めていた。しかし、バブル崩壊を経て、日本経済が下火になっていき、売上ダウンが続くなか、その方針も転換せざるを得なくなっていく。社名も「マルニ木工」に戻し、再びメーカーとしての姿に戻っていった。

「世代によってマルニ木工に抱かれるイメージは異なるようですね。ご年配の方にとっては、クラシックな洋家具メーカーというイメージがある一方で、若い方にはシンプルなデザインの家具が好まれています。それぞれ商品のテイストは全然違うのですが、世代を超えてご愛用いただけているケースが多く、嬉しい限りです。今でもマルニ木工は、木製家具と言われるものならば、基本的に何でも手がけています」

東京・日本橋にある直営店「maruni tokyo」の1階

「maruni tokyo」の3階にはクラシック家具も展示されている。こちらもマルニ木工を代表する商品だ

世界を見据えたモノづくりへ

そして、マルニ木工は世界で評価される椅子を作ることになる。これは、決して何となく作った椅子がたまたま評価されたわけではない。山中社長は当時の戦略について、次のように話す。

「実は、何度も社内で新製品を考えて売り出してみたこともあったのですが、正直鳴かず飛ばずで。思いつくことは全てやったのですが、何をやっても駄目で、八方塞がりでした。

そんなときに、建築家でありプロダクトデザイナーでもある黒川雅之さんと知り合いまして、彼に相談したんです。そうしたら彼は『僕の知っている世界中のクリエイターを12人集めて、日本の美意識を木製の椅子に込めて世界へ発信しよう』と企画を練ってくださった。私と現会長である私の従兄弟は、この提案に飛びつきました。これが『nextmaruni(ネクストマルニ)』プロジェクトです」

世界中のクリエイターを12人集めて展開された「nextmaruniプロジェクト」(写真提供/マルニ木工)

ただし、会社としての体力が十分ではないなかでこのプロジェクトを進めるのは大変だった、と山中社長は振り返る。しかし、売上が爆発的に伸びることはなかったものの、評判の面で、確かな手応えを掴んだ。

「営業からは『こんな道楽みたいなことをやってないで、ニーズのある商品を作ってください』って言われましたよ。工場からも嫌がる声はたくさんありました。これまでやってきたモノづくりを否定して、デザイナーさんの言う通りに作るわけですから当然です。

それでも、何とか形にして、黒川さんのディレクションに導かれるまま、ミラノサローネ(イタリア・ミラノで開催される世界的な家具見本市)の時期にギャラリーを借りて、12脚の椅子を展示するに至りました。

そうしたら反響が凄かった。インテリア雑誌の取材も来るし、接点のなかったショップから電話が来るようになったので驚きましたね。実は、僕は当時参加してくださったデザイナーさんのことを半分も存じていませんでしたが、深澤さんやジャスパーさんをはじめとするスターデザイナーだらけのオールスターズだったんです。ただし、それでも12脚の椅子は全然売れませんでしたが(笑)」

そして、このnextmaruniプロジェクトは3年間続けられたのち、方向性を微調整していくことになる。「世界」を意識し、デザインやプロモーションの重要性を理解したうえで、マルニ木工の新たな挑戦が始まった。

「弊社内で『1人のデザイナーとじっくりモノづくりがしたい』という声が増えてました。そこで、改めて関係を深めていったのが深澤さんとジャスパーさんでした」

そして、再興のための出資を得ながら、深澤氏と二人三脚で作り上げた椅子が、HIROSHIMAアームチェアだったわけだ。

「正直言えば、広島人からすると『HIROSHIMA』という名前は非常に重いものです。原爆が投下された街であり、平和の象徴と解釈を変えても、その名を背負った商品を売るのは畏れ多かったですね。でも、深澤さんは『世界の定番商品を作るには、誰もが知っているようなインパクトのある名前が必要だ』と背中を押してくれました。あとは、ヨーロッパと北米のディーラーと取引をすることを目標に、ブランドの確立を目指すだけでした」

今では欧米人の体型に合わせ、「HIROSHIMA」にも幅の広い製品がラインナップされている

その後、ミラノサローネをきっかけに繋がったアメリカのディーラーを通じ、マルニ木工は大きな発注を請けることになる。そのクライアントがAppleであったと判明するのは、それからしばらく後のことだ。

「そりゃ嬉しかったですよ。何より、黙々と工場で製品を作っている職人が、『あのAppleの椅子を自分が作っているんだ』って家族や知人に自慢できるじゃないですか。そういう“誇り”を持てたことも、とても嬉しかったですね」

日本のモノづくりについて思うこと

経営が苦しいなかでも、しっかりと戦略を描き、着実に挑戦しつ続けたマルニ木工は、こうして大きなチャンスを掴み取った。そんな経験をした山中社長に、日本のモノづくりについて尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。

「当然私が見聞きしてきたことは限られていますが、日本が世界と比べて技術的に劣っている訳ではないと感じています。でも、そもそも多くのメーカーが本気で海外にアプローチしていない。単純に“知られていない”のです。これは日本のマーケットが少し特殊ということも原因でしょうね」

おもむろに椅子から立ち上がり、山中社長はこう続けた。

「ここを見てください。実は左右のアームで、木目がなるべく線対象になるようにしているのがわかりますか? 椅子の裏の、きっと誰も見ないであろうところも、滑らかに仕上げています。海外のメーカーでこういう作り方をするところはほとんど見かけません。海外で評価される“日本人らしいモノづくり”というのは、こういうところなんじゃないかなと僕は思っています。決して、和紙を使ってみたとか、着物の柄を真似たとか、そういう表面的な部分ではないはずです。いまやHIROSHIMAのコピー商品も山ほど出てきています。でも、こうした本質的な部分は真似されることがありません」

HIROSHIMAのアームの木目は、左右で線対称になっている。同じ部材から切り出せるよう工夫をしているという

もちろん、創業から「工芸の工業化」を掲げてきた同社において、大部分の工程は機械化・量産化が進んでいる。しかし、こうした細部にこだわれるのは、木工家具の老舗として培ってきた加工のノウハウを持っているからだ。

例えば、デザイナーが書き上げるデザインからプロトタイプを作るときに、立体の曲線を描きだすのは職人の勘に頼る部分である。また、ソフトウェアプログラミングをどうこだわるかによって量産化の効率も変わってくる。

「木工家具については、いまや工業化されていることは当たり前だと思います。多くの会社が機械を導入して量産体制を築いていることでしょう。この部分についても、重要なのは、特別な機械を使ってるかどうかではありません。効率化するためのプログラミングのノウハウがあるかどうか、そして作った製品をグローバルでブランディングできるかどうか、そういったところが重要だと思います」

マルニ木工の工場。「工芸の工業化」を実現するために、機械生産を駆使した独自の木工加工技術が使われている(写真提供/マルニ木工)

こうして話を聞いてみると、マルニ木工製のチェアが木製の椅子であっても、決して“単なる木の椅子”ではないことがよくわかる。老舗としての技術・ノウハウを持ちながら、デザインやブランディングの価値を理解し、“良き脇役”に徹する。こうした姿勢が参考になる企業は、きっと少なくないことだろう。

インタビューの最後に、山中社長はこんな話もしてくれた。

「実は、古くなってボロボロになったマルニ木工の家具を修理するようなサービスもやっています。30年~40年使っていただいた家具も、直せばまた20年~30年使えますから、新品を買うより安いです。こちらは職人の手作業になるので、機械化ができなくて大変なんですけれど、お客さまにはすごく喜んでもらえるんですよ」

嗚呼、いつかこんな家具を揃えてみたいものだ––––––。結局、取材後にそう思わされたところにこそ、マルニ木工の躍進の秘訣が詰まっていそうな気がした。


文/井上晃 写真/山田秀隆

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