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RCの「スローバラード」こそ車中泊讃歌だ。みちのく犬連れひとり車中泊の旅は続く

集英社オンライン / 2022年8月28日 14時1分

愛犬とともに車中泊の旅に出たいと、中古のエブリイを自力でカスタム。いざ、九州目指して走り出したのだが、いつのまにか行先は変わり、「みちのく犬連れひとり車中泊の旅」がスタート。ルールは「僕」の車中泊の旅、相棒は愛犬とRCのあのナンバーだ。

車中泊の旅第一弾は、国道1号・2号・3号踏破計画?

RCサクセションの『スローバラード』は、確実に僕の“心のベスト10”に入る大好きな曲だ。
中学生の頃から繰り返し繰り返し聴いてきたこの曲を、ここのところまたよく聴いている。
なにしろ歌い出しのフレーズから「昨日は車の中で寝た」である。
『スローバラード』は、車中泊讃歌なのだ。

2022年8月16日、僕はオンボロのスズキエブリイに乗り、東京の家を出た。


かねてから計画し、着々と準備を進めていた車中泊の旅を、いよいよ実行に移すときがきたのだ。
予定は約10日間。
行き先は、九州である。
“車中泊で旅をする”ということ自体が目的なので、別にどこへ行こうと構わなかったのだが、日本地図を見ていてふと思いついたのだ。
最初の旅だから、国道1号・2号・3号を踏破するのはどうだろうかと。

高速道路は使わないつもりだ。
誰に頼まれたわけでもない旅なのだから、急ぐ必要はない。
それに最近の高速道路は、防音壁を設置している区間が多すぎる。
ずっとあのグレーの壁を眺めながら走って、いったい何になるというのだろう。
さらに(実はこれが最大の理由だが)、ベーシックグレードの貨物バンである我がスズキエブリイは、3速ATの非力なエンジンを積んでいるので、時速90km以上で走ると、壊れるのではないかと心配になるくらいの唸りをあげるのだ。

非力だけどかわいい僕のスズキエブリイ車中泊仕様

そうしたわけで、“下道で行く”というのを、僕の車中泊旅のルールに加えた。

区間の多くが旧東海道の国道1号は、東京の日本橋を起点にして大阪府大阪市まで続いている。
旧山陽道の国道2号は、大阪府大阪市を起点に福岡県北九州市まで。そして九州山地を西回りに迂回する国道3号は、福岡県北九州市を起点に鹿児島県鹿児島市まで続いている。

国道1号〜3号ルートは、呼び名こそ変遷しているが、明治前期に整備された初期近代日本の動脈のような道路だ。
明治新政府といえば、維新の立役者となった薩長土肥の四藩出身者が主要官職に就いた政権。
土佐藩のあった高知県は四国なので外れているものの、東京を出発して主要都市である名古屋・大阪を通過し、長州藩の山口県、肥後藩の熊本県、そして薩摩藩の鹿児島県へと至るルートがまず整備されたのは、歴史的必然だったのだろう。
車中泊最初の旅は、この初期三国道をひたすら行き、近代日本の成立に思いを馳せることに決めた。

それにこのルートを行けば、旅の途中でいろいろな人たちに会うことができる。
まず大阪には、兄の家族が暮らしている。
父の出身が北九州市なので、福岡に行けば叔父や叔母、いとこにも会える。
みんなコロナ禍がはじまってから顔を合わせていない(もっとずっと会っていない親戚もいるが)ので、こんな僕がマヌケ面をぶら下げてノコノコ訪ねて行ったとしても、きっと喜んで迎えてくれるだろう。

そして最終地点である鹿児島県の鹿児島市には、高校からの友達が単身赴任している。さらに霧島市には、後輩の編集者・ライターが移住して家を構えている。
そういう人たちを訪ね、点を結んでいくような旅ができたら、きっと楽しいだろう。

いい歳こいたおっさんがこんなこと言っても気持ち悪いだけかもしれないが、僕はやや人見知りの気があり、見知らぬ土地を一人旅しても人とうまく交われず、旅の最初から最後までずっと無言を貫くことになる可能性が大いにある。
それも虚しいので、無理矢理にでも知り合いを訪ねたかったのだ。

スタート地点の日本橋で、急遽予定変更。反転して北を目指す

僕は世田谷に住んでいるので、環八を南下して国道1号に出ればいいのだが、せっかくなので起点である日本橋からちゃんとスタートしようと考え、まずは首都高速で日本橋に向かった。
言ったそばから高速道路だが、これはまだスタート前なのでセーフである。旅のルールブックは、僕自身だ。

スタート地点の日本橋に到着

日本橋に到着すると、一旦車を駐めて記念の写真など撮影した。
そして車に戻り、相棒として連れてきた犬に水とおやつをあげてから、運転席でスマホを操り天気を調べてみた。

そこで重大なことに気づいてしまったのだ。

これから行く予定の大阪、広島、福岡などは、少なくとも向こう一週間、ずっと最低気温が25℃以上の予報。つまり、連日の熱帯夜だ。

西日本は連日熱帯夜の予報(YAHOO! 天気予報より)

一瞬、目の前が暗くなった。
駐車中にはアイドリングを止めるのが最低限のマナーである車中泊では、車のエアコンが使えないので、夜の暑さが大敵なのだ。

もしも本当に寝られないような暑さでも、一人だったらホテルに逃げ込むという手があるのだが、犬を連れてきてしまった。
『スローバラード』は“あの子”と手をつないで車中泊する歌だが、僕は毛がモッサモサの愛犬と抱き合って、この車で寝るしかない。
だから、連日の熱帯夜は非常に大きな問題だ。

困った僕は、スマホで別の地域の天気も調べてみた。
すると、仙台や新潟の最低気温は25℃以下。
他の東北各地もやはり夜は20℃代前半の予報で、西日本と比べたらずっと過ごしやすそうだ。

「よし決めた。予定変更! 北へ!」

東日本は過ごしやすそうな気温(YAHOO! 天気予報より)

僕はたった一人の旅仲間である犬にそう宣言すると、国道1号ではなく、やはり日本橋を起点としつつ北へ向かう国道6号に乗った。
旅のルールブックは僕自身だから、気ままなものである。

北関東や東北地方には知り合いがいない。
だからずっと無言の旅になるかもしれないが、暑さにうなされ、10日間も寝られない夜を過ごすよりはずっとマシだろう。
行き当たりばったりも甚だしいが、これもまた、この旅の良さということで。

行き先を大胆に180度変更できたのは、訪ねようと目論んでいた西日本の知り合いに、事前告知はしていなかったということもある。
「何月何日の何時頃に着く」と宣言できない旅なので、出発後、たどり着く前日か前々日に突然連絡を入れ、もしダメだったらそれはそれで仕方がないと考えていたのだが、この適当さが幸いした。

震災の爪痕が残る福島の道を、夜明け前にひた走る

新たな目標地点は、本州最北端の下北半島・大間崎と定めた。
青森に行けば、前から訪ねてみたいと思っていた三内丸山遺跡も見ることができるだろう。
その他はほとんどノープランでの出発だったが、北には北のいいところがいろいろとあるはずだ。

まず目指すのは、国道6号の終点である宮城県・仙台市。
僕は深刻な方向音痴だが、ひたすら6号を行けばいいので迷いようがなかった。
途中、激しい雷雨などに見舞われつつも順調に北上していき、夜には福島県に入る。
そして、とある道の駅で寝支度を整えた。

就寝前には娘&妻とLINEのビデオ通話をした。
福島県にいることを告げると、かなり驚いている。
そりゃそうだ。「西に向かって九州へ行く」と宣言していたのに、お父ちゃん、福島にいるんだから。
いくら方向音痴でも、そりゃないだろう。

しかし、みちのく犬連れひとり車中泊の旅の記念すべき第一泊目は散々だった。

日付は変わって8月17日の午前1時半頃。
僕はあまりの暑さで目覚めた。顔にも体にも、じっとりと汗をかいている。
そしてその後はいくら頑張っても、まったく眠れなくなってしまった。
車内の温度計は28〜29℃を示していた。
東京から少しばかり北上したとはいえ、福島程度では熱帯夜から逃れられなかったのだ。

でも、車のエンジンをかけてエアコンをつけるのはやはり気が引ける。
そうなったら方法は一つしかない。
寝るのをあきらめて出発、駒を先に進めるのだ。
これもまた、一人旅の気楽なところである。

午前2時、僕は道の駅を後にした。

その先は、震災の爪痕がいまだ生々しく残る地域だった。
ニュースで見たことのある地名が連続するようになると、「東日本大震災津波浸水区域ここから」「(同)ここまで」といった看板があちこちに掲げられていた。

「帰還困難区域」や「バイクや自転車、歩行者は通行できません 」という看板が見え、ハッとしてナビを見ると、福島第一・第二原発のすぐ近くを走っていた。
真夜中にそうした地域を通るといろいろなことを思い、正直なところ気分は沈みがちになった。

放射線量を示す表示もあった

救いになったのはラジオだ。
夜から朝にかけて、NHK-FMは1950〜60年代のモダンジャズや、昭和初期・中期に活躍した作詞家・西条八十特集として古い流行歌を放送していた。
他の局でも70年代のAORなど、深夜の気分に寄り添うメロウな曲を流している。

夜明け前の一瞬、息を呑むような美しい景色も見られた

普段は聴かないそうしたラジオ放送を楽しみつつ、夜明け前には国道6号の終点である仙台を通過して松島へ到達した。
まだ朝の6時台だから涼しく清々しい空気に満ちている。

松島や〜

海の横の駐車場に車を入れて少し休憩したのち、見事な松島の景色を楽しみながら犬とたっぷり散歩した。
我が愛犬は、最高に嬉しそうだ。
アスファルトが焼けるような暑さになる真夏、犬はどうしても散歩不足になりがちなのだが、この旅では涼しい場所で、たっぷり歩かせてやることができそうだ。
そういう意味でも、北を目指したのは正解だったかもしれない。
そう思うことにしよう。

文・画像/佐藤誠二朗

嬉しそうな相棒

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