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稲川淳二「怪談ナイト」30年。“元祖リアクション芸人”はなぜ怪談をはじめたのか?

集英社オンライン / 2022年8月29日 17時1分

8月19日、タレントの稲川淳二が、新型コロナウイルス感染により休演していた「MYSTERY NIGHT TOUR 2022稲川淳二の怪談ナイト」を再開した。同イベントは今年で30年目を迎え、怪談界にまたひとつ金字塔を打ち立てた稲川だが、もとは“元祖リアクション芸人”と呼ばれる人気タレントだった。彼を怪異の世界に引き込んだものとは?

幽霊にも支えられて30年

――稲川さんが日本全国をめぐる怪談ライブ〝稲川淳二の怪談ナイト〟が今年で30年目を迎え、現在、全国公演の真っ最中ですね。

今年は途中で私がコロナになっちゃったりして、いくつか公演を中止してしまい、楽しみにして下さっていた皆様には、大変な迷惑とご心配をおかけしました。心よりお詫び申し上げます。



幸い軽症だったので、こうしてまた再開させていただいているわけですが、30年も続けられたのは、私が〝マブダチ〟と呼んでるファンのみなさん、スタッフや関係者たちのおかげ。

怪談って、スゴいですよ。30年間の怪談ツアーで911回公演をしたんだけど、音響さんも照明さんも、スタッフの失敗がたったの一度もないんだから。

――911回で1回のミスもなかったんですか?

そう。なんでか、っていうと、ミスがあっても幽霊のせいにしちゃうから。「霊が勝手に動かした」とか「私じゃない、幽霊がやらせたんだ」とか、すべて怪異のせいにする。

失敗しても「あぁ、ホントだ、霊の仕業だ。怖いね」で終わっちゃう。だから、幽霊もふくめたみんなに支えられて、30年も続けられたんですよ(笑)。

でも、改めて振り返ってみると30年って長いですよ。最初のころにお母さんに連れられてきていた女の子が、今度は自分がお母さんになって、小さな子どもを抱っこしてきてくれるんだ。

それに、私の怪談ナイトで出会って結婚したカップルが5組。怪談を聞くと、みんな自分でも話したくなるみたいでね。イベントが終わったあと、それぞれが会場近くの居酒屋に行くらしい。

そして同じチラシを持っている同士が、「今日のあの怪談がよかった」「あの話が怖かった」って話すうち、意気投合する。私は常々、言っているんですよ。怪談は、人と人とをつなぐ力があるって。

――どういうことでしょうか?

日本人なら誰でも一度は怪談を話したり、聞いたりした経験があるでしょう。どんなときに怪談をしたか思い出してみてくださいよ。時間を持て余した放課後に「実は、オレこんな不思議な体験したんだけど聞いてくれ」とか、修学旅行で寝る前に「怖い話でもしようか」って、車座になって怪談がはじまる。

プロの噺家が高座で話す落語や講談とは違って、怪談は素朴な娯楽。だから私にもできるんです。落語や講談はできないけどね。

――いつでも誰でも参加できる敷居の低さも怪談の魅力だと。

うん、私自身と怪談の出合いを振り返ってみてもそう。私のオフクロはとても話が上手な人でね。夏休みになると、私の家に遊びにきた近所の子どもたちに「カランコロン」「ギー」……って、擬音を交えた怪談を語ってくれた。みんな「きゃー」って大喜び。テレビもない時代だったから、オフクロの怪談が数少ない娯楽だったんです。

元祖リアクション芸人からの転身

それと、私が生まれ育った東京・渋谷の実家にはいろんな人が出入りしていた。行商のおばさんが、野菜を担いで茨城から上京すると、オフクロやおばあちゃんと少し話して、近所で野菜を売り歩いて、家に戻ってきてまたしゃべる。

思えば〝民話の里〟と呼ばれる岩手県の遠野も、昔は交通の要衝で、定期市には各地から人とモノが集まってきたそうです。人が集まれば、ウワサ話も怪談も自然に集まってくる。うちもそういう場だったんだね。

――なるほど。だから遠野は怪談の原点とも言われる『遠野物語』誕生の地になったわけですか。

そうです、そうです。昔は、冬になると、雪国ではお父さん、お母さんは出稼ぎに行ったり、町に働きにでたりした。家には子どもたちとおじいちゃん、おばあちゃんしかない。テレビはおろか暖房もない時代です。

囲炉裏端に集まって、子どもたちが「じいちゃん、怖い話して」ってねだる。何度も同じ話を聞いているんだけど、子どもたちは何度聞いても「おっかねえ」「おっかねえ」って飛び回る……。まさに怪談の原点。柳田国男先生の『遠野物語』の世界ですよ。

一度、柳田先生のふるさとの兵庫県福崎町にお呼ばれして話をさせてもらったんです。そこで、柳田先生は民俗学に専念するために、55歳で新聞社を辞めて、日本全国を旅したと教えてもらいました。実は、私がタレント業から足を洗って怪談に専念したのもちょうど20年前。55歳のときだったんです。

――稲川さんと言えば「元祖リアクション芸人」と呼ばれるほど人気のテレビタレントでした。怪談に専念するきっかけがあったんですか?

リアクション芸人の元祖とかってよく言われるけど、私はもともとテレビのワイドショーやニュースのレポーターの仕事が多かった。それで、事件現場にもよく取材に行きました。あの頃はテレビの本当にいい時代で楽しかった。

当時から怪談はよく話していましたが、商売になるとは思っていなくて趣味みたいなものと割り切っていた。単なるシャレ、というかな。そんなとき、日本ではじめて怪談のカセットテープを発売するという話が出た。これが、なんと32万本も売れたんですよ。

――32万本!?

スゴいでしょう。でも、オチがある。仲良くしていた3人のテレビやラジオのディレクターが「稲川さん、カセット買ったから」と知らせてくれた。よく聞くと3人とも買ったのが海賊版(苦笑)。みんなで大笑いでした。海賊版を笑える、おおらかな時代だったんですね。

怪談の世界に引き込んだ1通の手紙

もうひとつの大きなきっかけが、次男の存在。大きな障害を持って産まれてきたんです。次男を見た瞬間、これは大変なことになったと思いました。

その後、生後4カ月で大手術をして生きながらえたんですが、どうしても家庭が暗くなってしまって……。私は芸能の世界に逃げるように、どんな仕事でも引き受けるようになっていました。

そんなある日、1通の手紙が届きました。差出人は私の怪談を聞いたという84歳のおじいちゃん。自分が経験した不思議な体験を200字詰め原稿用紙にびっしり書いてくれていた。
40歳も年下の若造に、ですよ。

切実な思いがひしひしと伝わってきて、誰にも言えず、理解もしてもらえなかった体験を託された責任を感じました。それまでテレビの仕事で、そんな真剣な手紙をもらった経験なんてなかったですから、なおさら感激しました。

家族から目を背けるように働いていた私にとって、自分の生き方、働き方を見つめ直す機会になりました。

「MYSTERY NIGHT TOUR 2022稲川淳二の怪談ナイト」より

――のちに「怪談ナイト」が誕生するのにはそんな背景があったんですね。

私のあとにリアクション芸人は大勢出てきた。私の代わりになるタレントも、たくさんいた。一方で怪談は当時、私しかやっていなかった。手紙をくれたおじいちゃんも自分の体験を託せたのが、私だけだったのでしょう。

怪談は、素朴な娯楽であり、日本人の心の原風景でもある。恨みや怒り、亡くなった人への思い……。怪談には、日本人の繊細な感情が表現されていると思ったんだ。だからこそ、大切にしていかなければならない。怪談と真摯に向き合おうと考えたのは、それからですね。

――もしも稲川さんがいなければ、怪談はまた違った形になっていたか、場合によっては廃れていたかもしれませんね。

「怪談ナイト」は、今年で30周年なんだけど、最近はあまり怖さや恐怖をウリにしていません。怪談は怖いだけじゃなくて、優しさや切なさもある。私もスタッフも「懐かしいふるさとに帰っていらっしゃい」って話している。

私にとっては「怪談ナイト」は、ふるさとの夏祭りみたいなもの。〝マブダチ〟のみなさんにも、久しぶりのふるさとを楽しんでいただけたらな、と思っているんです。


取材・文/山川徹 撮影/村上庄吾

稲川怪談~昭和・平成・令和 長編集~

稲川 淳二

2022/4/21

1300円

224ページ

ISBN:

978-4065275542

怪談語って50年、語った怪談500以上。1970年代から現在に至るまで、ひたすらトップを走り続けるカリスマ怪談家。心霊、オカルト、超常現象、都市伝説、事故物件、鬼……
現代のあらゆる怪異ブームの礎であり、怪談文化の創造主でもあるスーパーレジェンド、稲川淳二が思いを込めて贈る、怪談ベスト本第二弾

30年連続公演‼ 今年もあいつがやってくる…
「MYSTERY NIGHT TOUR 2022稲川淳二の怪談ナイト」


11月まで全国公演中。詳細はhttp://www.inagawa-kaidan.com/

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