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音楽界の鬼・TOSHI-LOWが作る誰よりも優しい音楽フェス。「ニューアコ」が特別であり続ける理由

集英社オンライン / 2022年9月2日 17時1分

音楽、キャンプ、子どもが遊べるワークショップと、参加者が自由に楽しめるフェス『New Acoustic Camp』が、今年も開催される。フェス隆盛の時代に、キャンプ好きや子育て中の音楽ファンからも深く愛される「ニューアコ」が特別であり続ける理由を、オーガナイザーのTOSHI-LOW(OAU/BRAHMAN)に訊いた。

皆さん「来なくていいです」というフェス

――コロナ禍で動員を大きく絞って開催した2020年、3日間開催となった2021年を経て、少し規模を広げた上で今年も3日間で『New Acoustic Camp 2022』(以下、ニューアコ)を開催するに至った理由を教えてください。

3日間開催は、できるだけ長くテントを張っていてもらいたいっていう思想から。テントって、1回出すと片付けるの面倒くさいでしょ。テントを出して、その次の日に片付けるってすごくイヤだなと思って。



ニューアコは、1日にライブをいくつ観られるかっていう競争とは真逆のフェスだと思っていて。3日間キャンプしていれば、自分の居場所を確保して、ゆっくり快適に楽しめるからね。

――そうしたリラックスしたフェスだからか、ニューアコのお客さんは心が広いし、楽しみ方もリスクも自分で判断して行動できる人が多いので、すごく居心地がいいフェスだと感じています。

それは、参加する敷居を上げてるから。「このフェスがいい」「あのフェスは行かない」って参加する側が言うのと同じように、悪いけど、こちらもふるいにかけていて。誰でも来れると思うなよっていうか(笑)。

俺はずっと、「来てください」っていうより「無理に来なくていいです」って言ってるから。ただ、来てくれた人たちには究極に居心地よく過ごしてもらいたいし、犯罪とかが起こる率も低くあってほしい。だから、自立心が求められる条件として、キャンプであるとか、ちょっと遠いところに来る必要があるとか、そういう敷居を作ってますね。

参加者と一緒に歳を重ねていくフェス

――敷居が高いということが結果的に子ども連れだったり、ロックフェスに行きづらい人にとっても優しいフェスになっていますよね。

若くて体力があれば、大型のロックフェスでガンガン遊んでりゃいいと思う。でも、そういう子どもたちとも、どうやったら共存できるかなっていうことを考えてきたから。

もともと自分たちも子どもがいたわけじゃなくて。参加者と同じ歳のとり方をしながら、楽しめる方法は何かっていう育て方をしてきたフェスなんですよね。ここはこうなってたほうが子どもには安全だよねとか、ライブを観ていない間に、子どもたちがどうやって遊んでいられるか、とか。

それはブラッシュアップとはまた違って、自分の家をリフォームしていくみたいな感覚。枠もやりたいことも決まっている中で、新しい何かを入れるのではなく、どういうふうに変えていったらいいかな、みたいな。

だから、この先もあると思ってる。たとえば、子どもたちが出て行ったら子ども部屋はいらないじゃん。そうなったら、また違うリフォームが入るのかもしれない。最終的に老人しか来なくなったら、デイサービス付きで観られるフェスにしたっていいし。そしたら、サニーデイ・サービスに出てもらって(笑)。

――(笑)。自分の家っていう感覚だから、居心地がどんどん良くなっていくんですね。

その感覚って、ほかのフェスも一緒で。たとえばフェスのゴミ問題ってあるけど、自分の家とか庭に、ゴミ、捨てないでしょ? 人んちだから平気で捨てるわけであって。家に泥だらけで上がらないだろうし。そんなことしたら、結局は自分がイヤになっちゃうわけだから。そういう話にもつながってくると思いますね。

どこで何をしていてもリスクはあるから…

――2020年のコロナ元年は多くのフェスが中止になりましたけど、その期間も開催し続けられたのは、ニューアコくらいでしたね。

そうね。もう1個ぐらい、あった気がしたけど。RUSH BALLかな。

――ニューアコは、どんな状況でも自分を律することのできる人が多くて、参加者のモラルがコロナ禍でも継続できた理由の1つなのかなと思っています。TOSHI-LOWさん自身、震災やコロナ禍以前から、「いつ死んでもおかしくない」という意識があったと話していました。そういうTOSHI-LOWさんの生き方とニューアコのあり方は通じていて、そこに危機を生き延びる強さの理由があるのかなと。

どこにでもリスクはあるし、イベント中の天災とか、来る途中で交通事故に遭う人もいるかもしれないわけだから。コロナで亡くなるっていうことだけが、亡くなる理由じゃないし。だとしたら、「じゃあ今年、何がしたいですか?」っていう問いかけになりますよね。死ぬまでに、何をするか。もっと音楽を聴きたかった、フェスに行きたかった、楽しみたかったっていうことがあるとしたら、ニューアコはその選択肢の1つなんですよね。

だから、コロナ禍でやれるフェスを作ったというより、選択肢の1つとしてオープンしておきたかったっていういう気持ちがあった。あとは、どうするかを選んでくれればいい。この店は入りたくないと思えば、入らなきゃいいわけだから。

ただ、大型フェスよりも柔軟な状態を作りやすかったっていうのはありますね。参加人数も少ないし、自然の中で開催しているし。それに大型フェスみたいに企業化していないので、いろんなことがすべてにおいて減らしやすい。企業が関わってくると、その動員数では収益が上がらないから無理に人を入れなきゃとか、やめないといけないっていうことになるわけで。収益の縛りで後戻りできない巨大なフェスではないから、できたことだと思う。

10年後、20年後を見据えて…

――TOSHI-LOWさんはフェスの運営において、なぜ収益や集客面の縛りから自由でいられるのでしょうか。

俺も郷に入れば郷に従うし、大きなフェスに出たときにわざと違うことをしようとは思わないけど、自分が作るのなら、できるだけ自由でありたいから。

困っている人がいたら、「こっちから通りなよ」って手を出してあげられるフェスを作りたかったのに、人数が多くなって統制がとれなくなったら、手をさしのべることができなくなって。それが初心と違う何かを生み出してしまうんだろうなと。

どちらかというと、次の世代に場をつないであげなきゃという思いでやってますね。その場から何かをむしりとるようなことではなく、10年後、20年後の自分のいない森のために木を植えるようなイメージでフェスをやっていかないと、何も育たないんじゃないかと思う。

ニューアコが理想とするフェスの原風景

――10年後、20年後のために木を植えるという発想に至ったのはなぜだったのでしょうか。

やっぱり、子どもたちでしょ。子どもたちにとって、遊べるフィールドがあって、そこに音楽がある、その豊かさを感じられる場所になればいいんだけど、ロックフェスってどうしても大人が観たくて無理やり子どもを連れてくるから、「ロックフェス虐待」みたいな言葉が出てきちゃうわけじゃん。そういうものではなくて、子どもたちが大人になったときに、自分でもそういうところに行ってみたいと思ったり、それ以上に自分で面白い場を作ったりするきっかけになればいいなって思っていて。

自分たちにとってのフェスの理想は、MARTIN(OAUのメンバー)の子どもの頃の原風景なんですよね。MARTINは親もミュージシャンで、3歳ぐらいから親とバンドをやっていていて。OAUの『FOLLOW THE DREAM』っていうアルバムの盤面にその写真があるんだけど、フォークフェスティバルで3歳のMARTINがバイオリンを弾いて、みんなに拍手されて。大人たちはビールを飲んでいて、それがすごい楽しかったと。

そういう原風景をいかに守っていくかを想像しながら。もちろん、完全にルールをなくすなんてできないのはわかっているけど、その原風景を作り出すために、いくらでもまだ工夫ができると思っていて。

人数が多ければトラブルがあるのは当たり前だけど、その2日間なり3日間なりは、自分たちが作る国の中の秩序にのっとってやりましょうって言ってる。ふだんは、「子どもがうるせえ」とか、「ベビーカー乗せるな」とか言ってるのが実際の社会かもしれないけど、この3日間は、子どもに優しくしてやれよって。ここでは、「ベビーカー、押しましょうか?」っていう人が溢れてほしいっていうかね。

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