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「犠牲になるのはいつも庶民」。上皇に11年間仕えた“モノ言う元長官”の語る戦後史

集英社オンライン / 2022年8月31日 13時1分

戦争を体験した世代の多くが亡くなり、その記憶は風化しようとしている。軍人でも政治家でもない、一般の人びとが戦前・戦中・戦後にどのような暮らしをしていたのか。そうした資料を展示し、広く伝える役目を担うのが、千代田区の九段下駅前にある昭和館だ。館長の羽毛田信吾氏は、宮内庁長官として長く平成の天皇に仕え、大物政治家相手に一歩も引かない気骨の持ち主として知られた。その彼が若い世代が戦争という歴史を学ぶ意味について語った。

小沢一郎氏を激怒させたモノ言う長官

羽毛田信吾氏(80)は1942年、山口県川上村(現萩市)に生まれる。京都大学を卒業後、当時の厚生省(現・厚生労働省)の事務次官を経て、2001年に宮内庁次長、05年から12年まで長官、20年まで天皇家の相談役である参与を務めた。昭和館は戦中・戦後の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、後世の人々にその労苦を知る機会を提供する施設として、1999年に開館した。羽毛田氏は13年からそこの館長を務めている。



今年の夏で、戦後は77年目に至りました。毎年、8月15日に日本武道館で執り行われる戦没者追悼式。この追悼式に出席され、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願う――と「おことば」をのべる天皇陛下の姿をニュースなどで目にしたことのある人は多いでしょう。

私は、厚生労働省を経て2001年から宮内庁に行き、宮内庁長官として退官した12年までの11年間、当時の両陛下(現・上皇さま・上皇后さま)にお仕えしました。

羽毛田信吾氏(撮影:廣瀬和子)

上皇さまが何度も口にされ、願っていたのは、「戦争の記憶を風化させない」ということです。上皇さまは1933(昭和8)年生まれの88歳。上皇后さまは34(昭和9)年生まれの87歳。ともに疎開体験をお持ちで、焼け野原になった東京の姿を目の当たりにされました。それだけに、記憶が風化することに強い懸念を抱いておられました。

穏やかな佇まいの羽毛田氏だが、宮内庁長官時代は大物政治家や皇族にも諫言できる“モノ言う長官”として知られていた。印象深いのは2009年の中国の習近平国家副主席との天皇特例会見だ。民主党政権が中国側の要望を汲み、特例の形で習副主席と天皇の会見を実現させた。このとき羽毛田氏は「政治との中立性を保つのが皇室の原理原則。今後二度とあってほしくない」と猛然と官邸のやり方に異を唱えた。当時の民主党の小沢一郎幹事長が「内閣の一部局の一役人が」と激怒するも、引かなかった。

しかし戦後77年も経って、戦争を体験した世代の多くは亡くなり、その悲惨さを子どもたちが直に聞く機会が失われつつあります。

戦中・戦後の記憶をつなぐ昭和館

私自身も1942(昭和17)年の戦中生まれで、すでに80歳です。終戦時はわずか3歳で、戦争も、終戦を国民に告げた昭和天皇の玉音放送の記憶もほとんどありません。昭和館の館長を務める私でさえ、戦争を知らない世代なのです。

私は郷土の山口県萩市で終戦を迎えました。軍事施設もない山村で空襲の被害はありませんでした。

のどかな農村でしたが戦争の傷とは無縁ではいられません。村には、旧満州や朝鮮半島から遺体をかき分けるようにして引き揚げて来た人びともいました。太平洋の激戦地から復員してきた近所のおじさんがあるとき、ボソリと「戦場で人を食べた」と漏らしたことがありました。

幼いながらも、衝撃を受けました。私に聞かせたわけでも酒に酔って話したのでもない。抑えきれない苦しみが言葉となってこぼれたのでしょう。

子ども心に感じたのは、犠牲になるのはいつも庶民なのだということです。

ここ昭和館には、全国の空襲被害を示すタッチパネル表示や写真もあります。

戦後70年の節目には秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さま、長男の悠仁さまが来館されました。当時、お茶の水女子大付属小3年だった悠仁さまは、「やっぱり広島は多いの?」と質問しながらタッチパネルを操作なさり、秋篠宮さまが「原爆でね」と説明される場面もありました。

館内には、戦前である1935(昭和10)年から戦時中、そして戦後の55(昭和30)年ごろまでの人びとの暮らしの様子がわかる資料や生活用品が展示されています。

9月4日まで開催中の特別企画展「お菓子の記憶~甘くて苦い思い出たち~」では、子どもたちの大好きなお菓子に注目しました。バターや小麦粉を使う西洋菓子の製造技術が入ってきた明治から、砂糖の配給すら止まりお菓子がほぼ姿を消した戦時下、そして闇市の広がる戦後まで――。変化するお菓子を通じて見える発見もあります。

9月4日まで開催中の特別企画展「お菓子の記憶~甘くて苦い思い出たち~」。手作り菓子を樹脂で再現するにあたり、当時のレシピで学芸員が実際に自宅で作ってみたという(写真:昭和館提供)

いまもお馴染みの森永ミルクキャラメルは、1899(明治32)年に登場。カレーや天丼が一杯7銭の時代でもキャラメル10粒入りで10銭と高級品だった。学芸課長の林美和さんは、「砂糖や牛乳、バターなどを使うキャラメルなどのお菓子は、栄養豊富で滋養を得る食料という位置づけでした。日中戦争期になるとお菓子は体格の貧弱な日本人の兵隊の身体を強くするために戦地に送られ、一般の子どもの口には入りませんでした」と話す。砂糖は飛行機の燃料にもされ、闇市にはパッケージを真似した偽物のお菓子も出回ったという。

家族で防空壕に入った天皇陛下

常設のコーナーには、体験型施設の展示もあります。

戦後70年を迎えた2015年には、当時の皇太子(現・天皇)ご一家も来館されました。

愛子さまは初めて見るレコード盤について「これは何?」と尋ねたり、防空壕を体験するコーナーでは「入ってみたい」と興味を示されたりしました。真っ暗な「防空壕」内では爆撃音が響きます。心配した雅子さまが「わたしも」というと、皇太子さまも「では、わたしも」と、お三方で「防空壕」にお入りになりました。

現在、新型コロナウィルスの感染予防のために、「防空壕」は休止していますが、井戸水をポンプで汲みだす体験コーナーは開放しています。いまは、蛇口をひねれば水も温水も出ますし、ボタンひとつでお風呂のお湯張りも済みます。でも私が子どものころは、井戸水をバケツいっぱいに汲んで家まで10往復するような毎日でした。そのころの苦労をすこしでも想像してもらえればいいかなと思います。

井戸での水汲みを体験できるコーナー(写真:昭和館提供)

戦争体験した世代の多くは亡くなり、直に体験を聞く機会は失われつつあります。そうしたなか、厚生労働省を中心に、戦争は体験していないが、当時の苦労や体験を学び語り継ぐ「次世代の語り部」の育成事業が進んでいます。すでに、20代の「語り部」もいます。

情報発信といえば、昭和館でもツイッターフェイスブックなどのSNSやYouTubeの活用にも力を入れています。

こうしたツールは、興味深いですね。誰かひとりでも興味を持ってSNSで取り上げてくれると、予想もしなかった資料や写真があっという間にたくさんの人びとに広まります。

たとえば2020年に「昭和館」の公式チャンネルで配信した太平洋戦争の激戦地、ガダルカナル島で撮影された「日本人の捕虜 記録映像」「大竹の日本人引揚者 記録映像」の再生回数は、60万回を超えました。

YouTubeに書き込まれるコメントはさまざまです。苦労をして帰還した引き揚げ者が美味しそうに米を食べる場面に共感したり、身内の姿を探したりする方もいます。当時の様子を知る貴重な資料を残し、発信するのが我々の役目です。

たまに「昭和天皇と戦争責任」についてご質問を受けることがあります。

先の大戦に関しては、さまざまな意見や思想があります。

しかし昭和館は戦争の評価は行いません。中立的な立場で戦争が庶民に与えた影響という視点から歴史的資料を集め、展示などの事業を行う国の施設です。

私の立場でひとつ言えるのは、昭和天皇ご自身でお感じになられたことと、世間でなされる評価には、違ったものもあったかもしれないということです。

一方で歴史の資料という意味では皇室に関係する資料もあります。

「戦前から戦中」のものを展示した7階から「戦後」の6階へ下りる階段の踊り場に「昭和20年8月15日」の表示があります。ボタンを押すと約7分半、昭和天皇が読み上げた「大東亜戦争終結ニ関スル詔書」の音声が流れます。ラジオを通じて国民に終戦を告げた、玉音放送を録音したレコード「玉音盤」です。戦後70年の節目に宮内庁が初めて公開したもので、複製をもとにした従来の音声よりも昭和天皇の肉声を感じることができると思います。

原盤は宮内庁が皇室の「御物(ぎょぶつ)」として金庫で保管していた。なにげないレコード盤1枚にも、昭和の秘史が詰まっている。この原盤を巡る事件が、1945年8月14日の深夜から翌朝に起きた「宮城事件」だ。戦争継続を求める一部の陸軍将校や近衛師団参謀がクーデターを謀り、皇居(宮城)や放送会館を占拠し、原盤を奪おうとした。しかし徳川義寛侍従長は玉音盤の在りかを隠し通し、反乱軍は15日朝に鎮圧。玉音放送はその日の正午にラジオを通じて全国民に流された。

玉音盤の音声は、終戦と戦後の始まりを示す歴史資料として、戦時中と戦後の双方の境界線に置きました。過去の歴史との向き合い方は、見る人の数だけあります。戦後77年のこの夏に、たくさんの戦争関連施設に足を運んでみてください。

◆昭和館に関連する施設
「しょうけい館」 戦傷病者と家族の労苦。戦地の野戦病院を再現したジオラマも展示

平和祈念展示資料館」 兵士、強制抑留者、引揚者の苦労
(取材・文/廣瀬和子)

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