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「私」が救われるために取材する。不登校新聞が貫く当事者視点での発信

集英社オンライン / 2022年8月30日 16時1分

『不登校新聞』をご存じだろうか。現在日本で唯一の不登校専門紙で、不登校や引きこもりの当事者と経験者へのインタビュー記事を中心に、支える側をはじめとする不登校を取り巻く環境にも着目。1998年の創刊以来、当事者視点での発信を貫いている。自身も不登校を経験した本紙代表の石井志昂(しこう)さんに、不登校新聞の編集方針や子どもたちとその親へ伝えたいことなどを聞いた。(前編/全2回)

きっかけは子どもの自殺やマスコミ報道への違和感

かつては世間から悪しきことと見られる風潮もあった不登校。近年、不登校に対する認知度や理解が高まりつつある背景には、『不登校新聞』の存在があると言っても過言ではない。創刊以来一貫して当事者目線での報道を徹底し、子どもや親などへ「学校以外の居場所や相談できる場所があること」を伝え続けている。



本紙の発起人らは、親の会やフリースクールを設立し、登校拒否・不登校を考える全国ネットワークを結成するなどの活動を十数年にわたり続ける中で、不登校を発信する自分たちのメディアがほしいと感じるようになったという。活動の起点は、学校復帰を迫られる苦しい状況を変えるためで、マスコミの取材に対する違和感もあった。

具体的に歩みを進めたきっかけは、1997年に起きた長期休み明けの子どもの自殺や学校の放火などの複数のショッキングな事件だ。学校以外に逃げ場があることが知られていない、と強い危機感を持ち、1998年5月1日に数名で不登校新聞を創刊させた。プロとしての編集経験を持つ者は誰もいなかった。

「新聞」と謳っているものの、タブロイドの8ページで一般紙と比較して文字フォントも大きく、新聞を読み慣れていない人や読書への苦手意識がある人でも読みやすい。月2回の発行 写真/不登校新聞

現在本紙代表を務める石井志昂さんは、創刊当時16歳。中学2年時より不登校となり、フリースクールへ通っていた。そのスクールの隣の部屋で制作していたのが本紙で、石井さんは創刊号で取材を受けることになる。石井さんは当時からさまざまな場所で講演をする機会があり、当事者としては相当特殊な立場にいた。

「一番多くて700人の前で話したことがあったのですが、創刊号は5000部刷ると聞きました。まだSNSなどがない時代でしたが、自分の声が今からいろんな人に届くかもしれない、不登校当事者の声がこれからは届きやすくなるのかなという期待感を持ちました」

「どうすればああいう大人になれるんだろう」を聞きに行く

創刊翌年の1999年、不登校当事者の子どもたちが自ら取材する編集部が立ち上がる。現在の「子ども若者編集部」である。当時の編集長から誘われ、石井さんも参加した。

「言った本人は全く覚えていないようなのですが、取材というツールを使うと有名人に会えると言われて。私は当時好きだったみうらじゅんさんや大槻ケンヂさん、糸井重里さんなどの『タモリ倶楽部』に出ていた人たちに会いたかったんです。自分で不登校経験を話しながらもこれから生きていくことに自信がなくて、どうやって生きていったらいいかもわからない。けれども『タモリ倶楽部』の中の人たちは楽しそうで、ああいう大人たちになりたい。どうすればそうなれるのかを聞きたいと思って会いに行くんです」

予算がないため、取材はノーギャラで依頼。それは今も変わらない。糸井さんの取材時には石井さんが開始時間を間違えて、無連絡で30分も遅刻してしまい、ヒヤヒヤしたことを覚えているという。取材を通じてだんだんと、気持ち一つで真剣に向き合ってくれる大人たちに救われていった(※)。その後、自分の道はこれしかないと感じ、不登校新聞で働きたいとの思いを強くする。

2001年より正式に社員となり、2006年には前編集長の退任によって編集長の座に着いた。今年9月1日付の本紙で編集長の交代を発表し、運営するNPO法人の代表に就任する。

※石井さんが取材したみうらじゅんさん、大槻ケンヂさん、糸井重里さんの記事は、『続 学校に行きたくない君へ』(ポプラ社)に収録されている

現在編集部には9名が在籍しており、そのうち不登校経験者が半数以上だ。子ども若者編集部には約100名が所属。実売は3700部で、全国各地に読者がいる。新聞は国内約100箇所の公共図書館でも読むことができる。ここ数年はテレビや新聞などのメディアで取り上げられる機会が飛躍的に増え、2021年は公表分で70件もの数がある。順風満帆にみえるが、2012年には休刊の危機に瀕していた。販売数が採算ラインである1100部を下回り、800部に落ち込んでしまったのだ。

「私」が救われるための取材を続ける

どうにか続けたいという意志を示すため、休刊予告を掲載。すると、かつて読んでいた読者が購読を再度申し込んでくれるなどして実売が一気に伸びた。同時に編集部ではマーケティングを学び直し、読まれることをより意識した記事づくりに力を注いだ。ウェブ版の創刊も状況を好転させた要因となった。「必要なものを届けることの意味や大きさを学んだ」と石井さんは振り返る。

「一番大事にしているのは、『私のために』取材をすること。読者のためでも新聞のためでもなく、『私』が救われるために取材をしてほしい。自身が抱えている生きづらさについて話した上で、どうにかしたくて意見を聞きたいと取材相手に伝えると、そこはもはや取材ではなくて、人と人とが生きていくために必要な意見を交換する場になるんです」

プロのライターやインタビュアーにはできない話の聞き方だろう。子ども若者編集部のメンバーは、取材したい人を提案し、許可を得るとスタッフと一対一で何を聞くかを話し合う。1、2時間かけて突き詰めていくと表れる正直な気持ちは、「自分が生きていることが許せない」「バイトの先輩が怖い」などと言語化されていく。自身の思いを吐露し、ぶつける。だからこそ、受ける側も真摯に向き合いたくなるのだ。

「取材当日に取材者の子どもが来られないこともありますし、前日から不安で一睡もせずに当日を迎えて取材中に眠気がピークで寝るとかもありましたね。私はそういう不安定さもすごく好きで。取材を受ける側のみなさんはびっくりされますね。作家の辻村深月さんは、今までで一番印象に残っているのが不登校新聞の取材だと言ってくださいました」

当事者や経験者だからこそ聞ける話があり、発信できることがある。学校に行けずに悩んでいる子どもはもちろんのこと、周りで支える親や先生、そして生きづらさを感じる大人にも本紙を読んでほしい。「私」が救われるための取材で、救われる誰かが必ずいるだろう。それはあなたかもしれない。

取材・文/高山かおり

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