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ロサンゼルスでの撮影当日に突然のNG! はかなく消えたキップ・パルデュー写真集企画

集英社オンライン / 2022年9月6日 12時1分

長年映画誌に携わっていれば、企画のボツに直面することもある。しかし、準備万端整え、スタッフ総出で乗り込んだロサンゼルスの撮影で、当日NGが出るなんて!? 悪夢の記憶を、ライターの山縣さんが振り返る。そしてそんなことがあっても映画LOVEな理由とは?

“ポスト・レオ”の筆頭だったキップとは!?

小学生のときに映画ファンになって以来、映画雑誌「ロードショー」は憧れの存在。ただし限られた小遣いなので、もっぱら書店で表紙を眺めるだけ。中学生になってようやく、大学街の古書店で数か月(もしくは数年!?)遅れの「ロードショー」を手に入れて、貪るように読んだもの。

今思い返すと、情報の精度は低かったと思うが、雑誌の中にきらびやかなハリウッドが存在していたのだ。昭和生まれの人ならきっと共感してくれると思うが、間に写真やメモなどを挟める透明下敷きに好きなスターの写真切り抜きを入れて悦にいる中学生だった。もちろん挟む写真は「ロードショー」から切り抜くわけで、大好きなポール・ニューマンやスティーヴ・マックイーンらのかっこいい写真が載っているのを願っていた記憶がある。



なにせティーンである。映画を見る際に、物語のテーマや面白さは漠然と理解できていたと思うが、俳優陣の演技力やアンサンブルの魅力、撮影ディテールや衣装、美術、音楽の使い方など細部までしっかりと見極めることはできていなかった。ただただ、かっこいいと思う俳優にきゃあきゃあと嬌声を上げていただけ。責任転嫁は良くないのだが、女性映画ファンのルッキズムを育んだのは映画と映画雑誌と言ってもいいかもしれない。ジョン・ヒューズ監督のティーン映画やブラット・パック(1980年代に人気があったヤングアクターたち)が活躍する青春映画に萌えていた。

さて、時間をどんどん進めよう。90年代くらいから、実際に「ロードショー」で原稿を書かせていただけることになったときは心から嬉しかったし、編集者も仕事のしやすい人ばかりで、原稿にも気合が入った。当時はレオナルド・ディカプリオやブラッド・ピットがイケメン俳優の代表格で、ハリウッドはもちろん、日本の映画配給会社は彼らに続く若手のイケメン俳優の発掘に力を入れていたと思う。

ポスト●●探しは定番記事。こちらはジョニー・デップに続くスターを特集したもの
©ロードショー2008年5月号/集英社

とにかく新人がデビューすると、必ずと言っていいほど“ポスト・レオ”“ポスト・ブラピ”なんて肩書きをつけられていた。個性を大事にする俳優本人には申し訳ないが、マイケル・ピットやライアン・フィリップ、ジョシュ・ハートネット、スコット・スピードマンあたりについての原稿には“ポスト・レオ”と書かれていたはずだ。そのひとりであったキップ・パルデューは、「ロードショー」絡みでものすごく記憶に残る俳優となった。

田舎町の高校が舞台の『タイタンズを忘れない』(2000)で、人種的偏見のないカリフォルニアからの転校生という大役を得たキップの写真集を発行することになり、インタビュー原稿を担当することになったのだ。“ジャンケット”※にキップが参加するので、それに合わせて編集担当者のU氏やベテランスタイリストS氏と一緒にロサンゼルスに向かう飛行機に乗った。

※ジャンケット:映画プロモーションの一環で、メインのスタッフ・キャストが一堂に会し、インタビュー、会見、試写会などが華々しく行われるイベント

『タイタンズを忘れない』で鮮烈な印象を残したキップ(右端)。中央には若きライアン・ゴズリング(『ラ・ラ・ランド』)の姿も
写真:Album/アフロ

本国のスタジオVS日本の配給会社の勝負は…

U氏との仕事はこれが初めてだったが、日本の人気スターやシンガーの取材を担当してきた心強い存在。ハイエンドなブランドに無理を通してもらえるS氏は、ミラノ・コレクションでお披露目されたばかりのスーツなどを大型トランクふたつに詰め込んでいた。キップは俳優デビュー前、ブルース・ウェーバーが撮影を担当していたアバクロのカタログでモデルを務めていて、写真集の方向性もこれに倣うというなんとなくのコンセンサスがあったと思う。

ただし渡米直前になって写真スタジオや屋外での撮影はNGで、撮影できるのは滞在先のホテルの部屋でのみという連絡が入った。U氏をリーダーとする我々一同、果たして写真集を作るための十分な素材を撮影できるのかという不安を抱えたままLAに到着。しかもインタビュー前日、現地在住の「ロードショー」特派記者、中島由紀子さんから「写真集の企画なんて(製作の)ディズニー・スタジオは聞いていないと言っている」と伝えられて、愕然となってしまった。

中島さんによるとディズニー・スタジオの広報担当者は実務的な女性で、映画の宣伝にならないことには一切手を出さないという。未知数の新人に過ぎないキップの写真集製作が映画の興行収入アップにつながるとは考えられないのだろうというのが、ハリウッドの映画会社事情に詳しい中島さんの見解だった。

その一方、写真集企画を持ちかけてきた日本の配給会社はホテル内に撮影に使うための部屋を用意していた。とにかく写真集ありきで準備を進めるしかなく、U氏とカメラマンは深夜遅くまでかかって家具を動かし、照明をセットし、数パターンの撮影セットを計画。時差ボケの上、睡眠時間を削って作業をしたU氏は相当、大変だったはずだ。

こちらは数年後に来日した際の特写
©ロードショー2003年11月号/集英社

翌日…結果としては、中島さんの読み通り。キップの広報担当者もディズニー・スタジオの広報担当者も「そんな話は聞いてない」の一点張りで、写真集どころか撮影自体が幻で終わってしまった。一体何がどうなっていたのか? その後、配給会社が編集部に謝罪したというが、グループ・インタビューに参加して原稿を書いた私以外の人々はきっと「時間と労力を返してほしい」と思ったに違いない。

肝心のキップは、次作となったレニー・ハーリン監督の『ドリヴン』(2001)で来日プロモーションにも参加したけれど、人気はイマイチ。レオ様のように主演級スターにはなることはなかったが、映画やTVシリーズにコンスタントに出演していた。B・C級作品も多かったが、TVシリーズ『レイ・ドノヴァン ザ・フィクサー』(2013~2020)で、妻を寝取った上司に復讐した挙句に目の前で自殺するアブないFBI捜査官を演じていたのを見たときは、なんか感慨深いものがあった。誰もがみんな、大スターになれるわけないもんね。しかし2018年に共演女優からセクハラを告発されて以来、出演作は皆無。かわいそうだが、セクハラ認定されては、このまま消えてしまう可能性が高いな。

レーサー映画『ドリヴン』ではシルベスター・スタローン(右)と共演したものの…
Mary Evans/amanaimages

ところで『タイタンズを忘れない』にはライアン・ゴズリングも出演していたわけで、私は本当にスターの輝きを見抜く目がなかったと猛省。青田買いって難しいよね。それでも「これは買いだ!」と目をつけた俳優が活躍するのを見るのは本当に楽しみで、最近は同じくTVの『イエローストーン』シリーズに出演しているコール・ハウザーの熱演を見ながら、「私って見る目があったな」と自画自賛。同じことを思っている人は多分、大勢いると思うけど。こういう楽しい瞬間があるから映画や海外ドラマを見るのはやめられない。。

キップ・パルデユー Kip Pardue

2014年『レイ・ドノヴァン』のプレミアで
Sipa Press/amanaimages


1975年9月23日、米・ジョージア州アトランタ生まれ。スポーツで鍛えた190cm近い肢体で、モデルとして活躍後、演技の道へ。『Go!Go!チアリーダーズ』(1999)で映画デビューし、『タイタンズ~』『ドリヴン』や『ルールズ・オブ・アトラクション』(2002)で注目された。しかし、共演女優に不適切な行為のかどで告発され、2019年に全米俳優協会より罰金を科され、事実上活動停止となっている。

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