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「待ち合わせはアマンドで」ーー時代を越えて愛されるピンクの喫茶店の魅力

集英社オンライン / 2022年9月3日 18時1分

待ち合わせといえば「アマンド」──こう聞けば、東京・六本木交差点にあるピンク色の看板の喫茶店を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。六本木にアマンドが誕生したのは1964年。以来、この街の“シンボル”として60年以上もその変遷を見つめ続けてきた。時代とともに絶えず変化してきた六本木で、なぜ老若男女問わず愛されてきたのか。「アマンド」の 代表取締役社長を務める勝俣 勉氏にその理由を訊いた。

待ち合わせと言えば「アマンド」の由来

アマンドは今年で創業76周年を迎えた。まさに日本の喫茶文化のパイオニアとして、長年親しまれてきた喫茶店のひとつと言えるだろう。とりわけ、「待ち合わせといえば『アマンド』」というフレーズが馴染み深く、一度は耳にしたことがあるはずだ。



このように言われるようになった所以について、勝俣氏は「お店から謳ったのではなく、自然発生的にそう呼ばれるようになった」と話す。

代表取締役社長・勝俣勉氏

「渋谷には待ち合わせのランドマークとして最適なハチ公があります。でも、六本木にはシンボルとなるものがないんですよ。そんななかで、交差点近くにド派手なピンク色の外観をしたアマンドがあった(笑)。

旧六本木店外観

ハチ公と違って、店内でお茶をしながら待ち合わせできるのが大きなメリットでした。また、電話の取り次ぎも可能なので、待ちぼうけせずに安心して人を待てる利点が徐々に浸透していき、待ち合わせといえば『アマンド』といつしか言われるようになったと思っています」

通称“アマンドピンク”と呼ばれる色を基調とした喫茶店にしたのは、「戦後復興の中で、明るい気持ちになってほしい」という創業者の思いがルーツになっているという。

メルヘンチックな雰囲気と本格的な洋菓子を楽しめる喫茶店として、創業当初からトレンドの先駆けを行く存在だった。今では、喫茶店やカフェに行くと当たり前のように提供されるおしぼり。これも実はアマンドが始めたサービスだと言われている。

そのほかにも、お店にパラソルを置いたり絵画を飾ったりするなどの斬新な取り組みを行い、“アマンドスタイル”と言われるようになっていったのだ。

旧有楽町店店内

そんなアマンドの代表的ロングセラーが「リングシュー」である。

六本木店限定「六本木リングシュー」は店内のラボで製造

リング型のシューの中にカスタードと生クリームを挟む斬新なアイデアの商品は、女性を中心に「美味しい」と評判に。

さらに、女性が手を汚さずに食べられるようにナイフとフォークが添えられるという、細かな心遣いもリングシューの名を広めた要因になっている。

毎日が“ハロウィン状態”だった

こうしたなか、六本木は高度経済成長期とともに激動の時代を重ねていく。特に際立っているのは「バブル全盛期」だろう。1980年代後半からのバブル経済によって、日本全体が好景気となった。

その最中、一世を風靡したのがディスコブームである。

この頃、六本木には数多くのディスコが乱立していた。ビルのフロアのほとんどにディスコが入っていた「スクエアビル」は“ディスコビル”と称され、毎夜にぎわいを見せるほどだった。

また、今なおナイトクラブやショークラブが入居する「日拓ビル」や、現在は耐震性の問題から取り壊しが決まっている「ロアビル」にも人気ディスコがあり、社交の場として夜な夜な人が集まる定番の場所となっていた。

当時をリアルタイムで知る勝俣氏も「毎晩、現在のハロウィンのような盛り上がりを見せていて、バブル期の勢いを感じていた」と回顧する。

80年代の六本木はすごかったと回顧する勝俣氏

「平日、週末といった区切りはなく、六本木には毎晩のように多くの人が集まり、ディスコやキャバクラへ繰り出す光景が日常的でした。六本木中のディスコを回遊できる『六本木レボリューション』というイベントがあったり、当時からナイトカルチャーのムーブメントが隆盛する様子を肌で感じていましたね」

その当時、アマンドは24時間営業だったこともあり、夜遊び前に友人とお茶をするニーズ以外にも、遊び歩いたアフターで使ったり、電車の始発までお店で時間をつぶしたりするような使われ方をしていたという。

煌々としたネオンは六本木の街の象徴だった

また、喫茶店の利用だけでなく「ケーキのテイクアウト」も非常に需要があったそうだ。

「アマンドの近隣には今も昔もクラブやキャバクラが多く、生のケーキを注文するニーズがあるんです。当時はお店にケーキを届ける専属の配達員もいたくらいです。また、六本木一帯には今でもあまりケーキ屋さんがなく、現在は夜のお店のほか大使館などからのご用命もいただいていますね」

待ち合わせのアマンドから懐かしのアマンドへ

バブル期が終わりを迎える1990年代、今度はユーロビートやトランスミュージックなどの“サイバートランスブーム”が巻き起こる。その渦中にあったのが六本木のクラブ「Velfarre(ヴェルファーレ)」だ。

ボディコンやパラパラダンスなどが流行るなど、バブルの余韻が残るこの時代に、アマンドを利用するニーズは少しずつ変化してきたという。

90年代前半に流行した「ジュリアナ東京」

「ポケベルやPHSが普及すると、待ち合わせのためにアマンドを利用するよりも、『派手に踊りに行く前の英気を養う場所』というようなニーズが増えたと思います。お店もバブル期のように活気づいていたわけではなく、もう少し落ち着いた雰囲気へと変わっていきました」

2000年代に入ると「alife(エーライフ)」や「Vanilla(バニラ)」などの新興クラブができ、外資系の企業が六本木の街に集まったり、繁華街には外国人も増え、国際色豊かな街へと変貌していった。

そして、「六本木ヒルズ」や「東京ミッドタウン」といった商業施設も建設され、六本木は夜の街だけでなく昼の街としての存在感も強くなっていった。この頃になると、アマンドへの来店客は「バブル期に遊んでいた人たちが年齢を重ね、懐かしのアマンドにまた戻って来るお客様が増えた」と勝俣氏は言う。

「2000年代に美術館や商業施設が六本木に相次いでオープンしたことで、かつてディスコに遊びに来ていた若者が大人になり、再び六本木を訪れる機運が高まりました。そのおかげでアマンドに立ち寄ってくださるお客様も増え、日中に六本木でショッピングやアート巡りをする需要にも応えられるようになったと感じています」

新生アマンド始動から10年。

2012年にアマンドがキーコーヒーの傘下になってからは、喫茶店ではなくカフェ形態の方に一度はシフトしたという。

しかし、昼はランチ、夜はお酒も飲めてディナーが楽しめる、いわば飲食店としてのダイニングカフェが世の中で主流になっていたこともあり、「もう一度本来の洋菓子喫茶を訴求し、原点回帰したい」という思いを抱くように。2016年からはアマンドの創業当初のメニューを復刻し、昔ながらの「ナポリタン」や「プリンアラモード」などの提供を開始した。

昭和から受け継いだ「懐かしのスパゲティナポリタン」

こうした取り組みは、昭和レトロがフィーチャーされるトレンドを抑えたことで、若年層の女性にも支持されるきっかけにもなった。

SNS映えすることで人気の「プリンアラモード」

「2019年には自社製造できるケーキのラボを店舗内に構え、作り立てのリングシューをお客様に提供できる『六本木リングシュー』という新しい商品を開発しました。現在、六本木店では4種類のリングシューがメニューにありまして、昔からアマンドを知っている方も、新しくアマンドを知った方も両方楽しめるラインナップが揃っています。

六本木店限定「六本木リングシュー」は店内のラボで製造

また、ショートケーキに関しても、季節限定の商品も提供していて、多様化するお客様のニーズに応えられるように意識しています。自社製造に切り替えたことで、スピード感を持って新商品を出すことができるようになったので、今後も洋菓子喫茶としての立ち位置を打ち出し、お客様に長く支持されるようなお店を目指したいですね」(勝俣氏)

アマンドはこれからも、創業理念である「甘いものでお客様を幸せにする」をモットーに、時代に合ったアマンドスタイルを提案していくと勝俣氏は意気込む。

「今は六本木店のみですが、近いうちに東京の主要玄関口に旗艦店を出したいと思っています」

変わりゆく時代のなかで風化せずに歩んできたアマンドは、この先も多くの人が愛してやまない喫茶店であり続けるだろう。今日もどこかで聞こえる「待ち合わせは『アマンド』でね」というフレーズ。アマンドはいつの時代も、六本木に来る人たちを待っている。

取材・文/古田島大介

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