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終戦から7年後の1952年。戸田奈津子が日本公開を待ち望んでいた不朽の名作とは

集英社オンライン / 2022年9月10日 17時0分

心の底から認める、スターの頂点。戸田奈津子のトム・クルーズ評〉から続く

字幕翻訳者の第一人者・戸田奈津子さんは、学生時代から熱心に劇場通いをしてきた生粋の映画好き。彼女が愛してきたスターの見るべき1本を長場雄さんの作品付きで紹介する

洋画の上映が禁止されていた

ヴィヴィアン・リーの出演作では『哀愁』(1940)や『欲望という名の電車』(1951)も有名ですが、やっぱり『風と共に去りぬ』(1939)は外せません。
原作は大ベストセラーだったので、中学生時代に私も夢中で読み耽っていました。製作された1939年といえば第二次世界大戦が始まった年。当時は洋画の上映が禁止されていたし、1945年に終戦した後もなかなか日本に来なかったの。映画ファンの中には、待ちきれずに香港まで見に行った人もいたくらいでした。



1952年にやっと日本で公開されたとき、私は日比谷にあった有楽座に駆けつけました。原作は何遍も読み返していたけれど、アトランタの風景や南北戦争、南部のお金持ちの暮らしや南軍北軍の軍服なんかは、本で読むだけじゃイメージできないじゃない。だから初めて具現化された映画を見たときは感激しましたね。
当時は私も若かったから、ヴィヴィアン・リーが着るヒラヒラとしたドレスが本当にロマンティックで美しいと思ったし、憧れました。

彼女は当時無名の女優(そこが衝撃的!)だったけれど、あの演技力と美しさはものすごいインパクトで、本当に評判になりました。特にドラマティックだったのは、クラーク・ゲーブル演じるレット・バトラーが、ヴィヴィアン・リー演じるスカーレット・オハラを抱いて階段を上がっていくシーン。いい女優は他にもたくさんいましたけれど、ヴィヴィアン・リーは血の通った生身の女という感じ。今も記憶に突き刺さっています。

『風と共に去りぬ』(1939)Gone with the Wind/上映時間:3時間42分/アメリカ

舞台は1861年、南北戦争直前のジョージア州タラ。情熱的な女性スカーレット(ヴィヴィアン・リー)は、思いを寄せる幼馴染のアシュレーが従姉のメラニーと婚約したことに苛立っていた。そんな彼女の前に、素行の悪さを噂されるレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)が現れる。不遜な態度に激しい憎しみを覚えながらも、なぜか惹きつけられるスカーレット。やがて南北戦争が勃発し、スカーレットは時代の渦に飲み込まれながら、激動の人生を歩むことになる。マーガレット・ミッチェルの同名ベストセラーを映画化し、第12回アカデミー賞で作品賞・監督賞・主演女優賞など10部門に輝いた名作。

ヴィヴィアン・リー
1913年11月5日生まれ、イギリス領インド・西ベンガル州ダージリン出身。1935年に映画の端役でデビュー。その後出演した舞台を見たローレンス・オリヴィエが演技を絶賛。1937年に映画『無敵艦隊』で初共演を果たし、私生活でも恋人同士に。1939年に『風と共に去りぬ』でスカーレット・オハラを演じ、アカデミー主演女優賞を受賞。『欲望という名の電車』(1951)でも同賞を受賞した。そのほかの主な出演作は『哀愁』(1940)『美女ありき』(1941)『愚か者の船』(1965)など。オリヴィエとは1940年に結婚したものの、ヴィヴィアン・リーが長く苦しんだ双極性障害の影響などにより1960年に離婚した。1967年、53歳で逝去。「イギリスの大俳優、ローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リーは、私のような映画ファンからすると夢のような美男美女カップルでした」(戸田さん)

語り/戸田奈津子 イラスト/長場雄 文/松山梢

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