2018年1月31日——。真夏のメルボルン開催の全豪オープンが終わった直後のニューヨークに、伊達公子の姿があった。
メルボルンで解説等を務めた彼女が、極寒のニューヨークに滞在したのは、わずか二日間。忙しいスケジュールの合間を縫って強行渡米を敢行したのは、ある人物を“偲ぶ会”に参列するためだった。
伊達公子、錦織圭…名選手が足しげく通う「勝ちメシ」。テニス界の世相が反映されるレストラン“Nippon”って?
集英社オンライン / 2022年9月7日 16時1分
世界中を旅して戦うテニス選手たちが、“勝ちメシ”求め足しげく通う店。現在ニューヨークで開催中の全米オープンで、東西を問わず選手たちに圧倒的人気を誇るレストランと言えば……。
極寒のニューヨークに、強行スケジュールで伊達公子が渡米した訳……
会が執り行われたのは、マンハッタンの中心地に位置する和食レストラン、“Nippon(日本)”。伊達をはじめ、多くの著名人に見送られた故人の倉岡伸欣氏は、この地に50年以上根を張り、多くのテニス選手たちの食を支えた老舗レストランのオーナーだ。
偲ぶ会の献花台。写真は若き日の倉岡氏と、奥様の璄子さん。璄子さんの死の僅か2か月後に倉岡氏も世を去った
「倉岡がいつも言っていたのは、“なんでも一流を目指せ”。テニス選手も一流になるために来ているのだから、ヘルプしようじゃないかという感じでした」
倉岡氏の思い出をそう語るのは、現在、レストラン日本のCEOをつとめる木下直樹氏。倉岡氏の下で40年働き、その薫陶を受けた後継者だ。
レストラン日本とテニス選手たちとの関わりは、1980年頃まで遡る。ジュニア大会のために渡米した、当時15歳の岡本久美子選手の面倒を見たのがきっかけだった。
“なんでも一流を目指す”がモットーの倉岡氏が支援したのは、政界財界人、芸術家やアスリートまで幅広い。世界的なコンダクターの小澤征爾や、ニューヨークヤンキーズで活躍した松井秀喜も常連だった。
こちらは、ヤンキース時代の松井秀喜が愛した、その名も“ゴジラカレー”。松井さんの母親から直接レシピを伺い生まれた。玉ねぎ、ジャガイモ、にんじん……あらゆる野菜がルーに溶け込み、甘くも深いウマ味を醸成。何度食べても飽きることのない、まさに母の味
ただ一貫したのは、「自分の力で道を切りひらいた人なら」という指標だ。世襲性の世界には興味がなく、だからこそ歌舞伎のニューヨーク公演から差し入れ依頼の声が掛かったときも、応じなかったという。
唯一の例外が、五代目坂東玉三郎。養子として、努力と実力で地位と名声を獲得した稀代の女形のことは、全力でサポートした。その際、朝昼晩とホテルに食事を届け、お世話をしたのも木下氏だ。
「お前は身体が大きくてガサツだから、玉三郎さんの爪の垢でも煎じて飲ませてもらってこいということで、僕が担当することになったんです」
185センチの大きな体を揺らし、木下氏は照れた笑いを顔に広げる。信念に共感し魅力を感じた人には、とことん尽くす――それが倉岡氏の理念だった。
現レストラン日本CEOの木下直樹氏。慶應大学バレーボール部OBから、倉岡氏を紹介されたのが縁。ちなみにそのOBとは、元日本バレーボール協会会長の松平康隆氏(故人)だ
おにぎり弁当が結んだ世界の人々との絆
話をテニスに戻そう。
後にグランドスラムの常連にもなった岡本久美子との縁は、年月を重ねるごとに、新たなテニス選手との縁を引き寄せた。世界で戦う日本人の先駆けである井上悦子や岡川恵美子、そして後に木下氏と交際・結婚する西谷明美。
80年台、彼女たちがパイオニアとして切りひらいたケモノ道に、後進として続いたのが、伊達公子ら日本テニスの黄金時代を築いた面々である。そのケモノ道に現れるオアシスのように、選手たちが休息を取り、美味しい日本食にありつける地……それが、レストラン日本だった。
日本人選手たちがレストランを訪れると、倉岡氏は帰りに「明日の分に」と言って、おにぎり弁当を手渡すのが慣例となる。大会会場で日本人選手たちが食べるそのお弁当は、やがて他国選手の目にも触れ、関心を集めていった。健康志向の強いマルチナ・ナブラチロワ(当時チェコスロバキア)や、木下氏曰く「珍味が大好きなグルメ」のバージニア・ウェイド(イギリス)らが、その代表格。
ある年、ウェイドは倉岡氏に、「ウィンブルドンは食事が美味しくないの。ミスター・クラオカ、なんとかしてくれない?」と相談を持ち掛けたという。果たしてウェイドの意図が、深刻な依頼だったのか、冗談半分だったかは分からない。いずれにしても倉岡氏、なんと私財持ち出しでウィンブルドン会場近くに一軒家を借り、料理人数名と木下氏を伴ってロンドンまで出張したのだ。
レストラン日本の“臨時ウィンブルドン支店”は、本店の繁盛により90年代に入ると途絶えはする。ただその分もと言わんばかりに、全米オープン期間になると倉岡氏は、会場で常客選手を応援し、夜には温かくもてなした。岡本を起点としたテニスとの縁は、数珠繋ぎに広がり、世界中の選手を結びつけたのだ。
「人の縁といえば、こんなこともあったんです」と、木下さんは、あるエピソードを披露する。
お店の常連にスロバキアのドミニク・ハバティという選手がいて、倉岡氏は彼の試合をよく応援していた。そんなある日の夜、大柄な東欧の選手がお店を訪れ、「今日の試合で、あなたはドミニクを応援していたでしょ? 僕が彼の相手ですよ」と自己紹介したのだ。以降はその選手もお店の常連となり、うな重が何よりの大好物となる。
「その方が今、錦織選手のコーチをしているマックス・ミルニーですよ」と木下氏。
今大会、錦織圭はケガのため出場は成らなかったが、開幕前にはニューヨークを訪れ、お店にも顔を出したという。その時にミルニーが頼んだのも、やはりうな重だった。
レストラン日本の厨房に映し出されるものとは……
思えば倉岡氏と木下氏をつなげたのも、同じ大学で、片や剣道、片やバレーボールに打ち込んだ青春時代、そして「世界志向」という共通項があってこそ。
だからこそ二人は、スポーツ界、そして自分たちを受け入れてくれたアメリカの社会システムにも、還元しなくてはとの思いがある。
「私がレストラン日本に来たのは1979年。ベトナム戦争が終わって間もない頃だったので、ベトナムからの難民がたくさんアメリカに来たんです。そこで倉岡は、多くの難民を皿洗いなどで雇いました。皿洗いだったら言葉が話せなくてもできる。その間、彼らは英会話学校に通い、英語ができるようになったら次のステップに進んでいきました。
そうやってベトナム人にはじまり、アフガニスタンやイラン、イラク。ユーゴスラビアやリビアと、世界中の紛争地帯から逃げてきた人たちを雇い入れていたんです」
だからね……と、木下氏は笑いながら続ける。「レストラン日本の厨房を見れば、世界のどこで紛争が起きているか分かる、その時々の世界情勢が見えるって言われていたんですよ」。
なるほど、その話に寄せるなら、8月から9月にかけてのレストラン日本の客席を見れば、世界のテニス情勢を知ることができるだろう。
今年で言えば、先のウィンブルドン優勝者のエレナ・リバキナや、全仏オープン準優勝者のキャスパー・ルードらが訪れた。テニスの一大勢力であるチェコやスロバキアの選手たちは、ナブラチロワの頃から続く常連だ。
チェコやスロバキア選手たちに評判だったため、定番となった人気メニューも多々ある。その代表例が、“ビーフそばサラダ”。そばの実から作るそばは、当店の人気料理。ただ、濃い麵つゆにチョンと付けてズズッとすするざるそばの食作法は、海外の選手にはハードルが高い。そこで登場したのが、二八そばに野菜やひじき、そして肉をたっぷり乗せ、ピリ辛ドレッシングで和えたこのメニュー。ヘルシーなうえに腹持ちも良いと、たちまちアスリート間で評判になった。
日本の選手ももちろん、世界中のテニス選手が愛する定番メニュー。そばの実の脱穀から自前で行う二八そばは、弾力と穀物固有の風味を兼備。時間が経っても、一切“のび”を感じさせないアンビバレンツさも魅力
食は究極的にプリミティブな行為であるため、国籍や人種、肩書きや地位も越え、本質的な部分で人と人をつなげていく。
ニューヨーク市マンハッタン区の52番通り、小さな“Nippon”の中には、無限の世界が広がっている。
取材・文/内田暁
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