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イスラーム世界と西欧諸国が「女性の権利尊重」において理解しあえない理由

集英社オンライン / 2022年9月21日 11時1分

2021年8月の首都カブール陥落により、タリバンの支配が復活したアフガニスタン。ここでは当初、「女性の権利を尊重する」と宣言されていたものの、実際には逆行する動きが目立っている。国際社会はこれに対し、どのように働きかけていくべきなのか。国連アフガニスタン支援団代表を務めた山本忠通と、中東研究の第一人者である内藤正典の共著『アフガニスタンの教訓 挑戦される国際秩序』(集英社新書)より一部抜粋、再構成して紹介する。

国際社会のイスラームとの向き合い方

山本 国連的に見ると、やはり女性の教育は大事です。「勉強したい」と言っている女の子がいて、それが認められないのはいけない。

たしかに「自由」ということを言い始めると難しいのですが、「一人の人間として自分が成長していきたい、そのために勉強したい」という人に対して、その機会が閉ざされることや、合理的な理由がないのに、「女性は特定の職業には就けない」というようなことは、国連から見ると「教育の権利」や「職業選択の自由」に抵触するのです。



もちろん、それが全部どこの社会でも100%できているわけではありません。だから、100%できないということが問題ではなく、禁止されていることが問題なのです。

内藤 イスラーム法上も禁止はできるかどうかは疑問です。

山本 そうですよね。

内藤 タリバンももともと「禁止する」とは、言っていないのですが。男性による女性の保護ということをうるさく言っているので、そこを大きくとると規制が強化されるでしょう。

山本 そうですね。しかし、現状それを事実上できなくしてしまうのが問題ですね。たとえばカブール大学の新しい学長は「女性の学生と教師は来るな」と言っていました。そんなことを言ってはならないと思います。

そういうところに対して、内藤先生がおっしゃったように発想を整理して、その上で説明すれば、ある程度うまくいくのではないかという気がします。

内藤 おっしゃるとおり「発想の整理」が、西欧諸国もタリバンも、双方ともできていないと思います。タリバンに限らず、イスラーム教徒の社会にも広くありますが、彼らは、敬虔であるほど、西洋がどういう世界であったかということを知らない。西洋は西洋で、やはりイスラームのことを知らない。教えの骨格は一つなんだけれども、現実の信徒にはどれだけの多様性があるかということを知らない。

山本 本当に知らないですね。正直言って、私もアフガニスタンに行くまで知りませんでしたからね。

内藤 そのままでは双方にとって不幸なことです。今回のタリバンの勝利というのは、ある意味、画期的なことです。イスラームで国をつくると言っている勢力が勝ったことは、今までありませんでしたから。

たとえばパレスチナのハマスはタリバンと同じようなことを言っていますが、じゃあハマスがガザ地区を完全にイスラーム法で支配できるかというならそれは不可能です。イランの場合には、シーア派であるという特殊性もありますし、国家の形態を見ると、擬似的に西洋的な要素を残しています。非常に厳格に、うるさいことを言っているように見えますけれども。

山本 たしかにイランには選挙もあれば、大統領もいますしね。

内藤 変ですよね。もしタリバン的な国をつくるのであれば、ハメネイ師の下に「大統領」を置く必要もないでしょう。

山本 たしかにそうですね。

内藤 ハメネイ師が自分で治める、ということになるはずですし、イスラーム法学者の意見を聞くシューラー(評議会)でやるはずですけれども、実は西欧と同じように閣僚たちもいるし、議会もある。そしてイランの政治を見ると、欧米の大学で勉強した人たちが閣僚に多勢います。イランの指導者たちは、知っているわけですよね、この世界で生きていくためには、シーア派の教えだけでは済まない、西欧がどういう世界なのかを知る必要がある、ということを。

西欧社会にも自由と宗教の「共通の規範」はない

内藤 同じことは、西欧に対しても言えることです。先ほど申しましたけれども、自由と宗教との関係などを考えてみると、西欧諸国の間にも共通の規範になるものはありません。

生物の進化論を受け入れるかどうかと同じことです。イスラームは進化論を受け入れませんが、同じようにキリスト教の一部の保守派は進化論を受け入れないですよね。しかし、そういう人を排除していいということにはならない。

そこは「いろんな人がいるんだ」という多様性の前提を、国連がもう一歩、価値観の部分にまで視野を広げて言えるといいんですが……。それぞれ主権を持つ国家の集まりですから、なかなか難しいでしょうけど。

山本 国連でも、価値の問題の扱いは、なかなか難しいですね。「人間の尊厳」とか「本来の人間個人のあるべき権利」というか、いわゆる「人間らしい生活(を営める権利)」というものであれば、国連憲章にも明記されていますし、言うことはできると思います。人権の擁護、促進はまさしくそのような活動だと言えます。しかしそれを超えて、一つの教義みたいなものについて話すのは、非常に難しいだろうと思います。

内藤 今まで宗教間対話、文明間対話みたいな形での話し合いがありましたね。

山本 ええ、やっていました。イランが主導していました。むしろそういうところから、問題点や難しさを見ることはできると思うのですが。そういうものでも、いいのかもしれません。

価値観の強要が他者の尊厳を侵す可能性も

内藤 9・11の前になりますけれども、フランスのストラスブールの欧州評議会で、イスラームと西洋についての会議があって、そこで話をしました。

すでにイスラーム教徒の女性のかぶりものをめぐってヨーロッパで人権論争になっていた時で、私は基本的に「脱げと言うのはやめるべきだ」と言いました。「彼女たちにとって、ヒジャーブを着けることは、女性としての尊厳を保つことです。それを脱げと言ってしまうと、セクシュアル・ハラスメントになります。フランスは国家を挙げてセクハラをやるつもりですか?」と。

反応がすごかったですね。司会はルクセンブルクの大使だったのですが、「なんてことを言うんだ」という感じでした。パリ大学の先生は、東洋から来たおまえに何がわかる、という勢いでお怒りでした。

私は、「フランスが(革命を経て)そういう宗教色のない社会になったことによって、女性の人権も含めて自由というものを確立した、その歴史はよくわかっています。教会といかに闘ったかということもわかっています。しかし、違う価値の体系を持っている人たちに対してそれを強要すると、その人の尊厳を侵す可能性があるということを、なぜわからないのですか?」と言いました。会議は荒れましたね。

山本 荒れるでしょうね。

内藤 議長は天を仰いでいましたね。「日本から来て余計なことを言いやがって」と思われたのでしょう。しかしその思いは私、今でも変わりません。「かぶりたくない」という人にかぶらない自由は認めるべきですし、「かぶりたい」と言っている人には、かぶる自由を認めないといけない。

かぶったら「啓蒙されていない」のか? 「遅れている」のか? 彼女たちをそういう目で見てきたというのは、やはりイスラームというもの全体に対して、国際社会がそういう偏見の視線で見てきたということではないでしょうか。特に女性の問題については。

問題はイスラームではなく家父長制的な価値観

内藤 山本前代表も言われたことですが、より大きな問題は、実はイスラームではなくて、家父長制的、父権主義的な価値観のほうだと思います。これは日本にもありましたし、どこにもあったことです。

日本でも実際、戦後間もなくの頃の女性の大学進学率を見れば4~5%ぐらいだったわけですし、最近も医科大学の入試で女子生徒のほうが高得点を取る人が多いので、男子の点数に加点していたという問題がありましたよね。日本にも、女性に対する蔑視を基に教育制度を維持してきたという汚点があります。

こうした家父長制的な面は、イスラームと直接関係する部分と、関係していない部分とがあります。

たとえば、女の子は教育を受けさせてもらえないとか、学校に行く権利も否定される。これはもっぱら家父長制の問題であって、イスラームでは否定していません。しかし実際、家々で家長である父親の権限が強くて、「女の子は学校に行かせない」という問題が起きてくるわけです。イスラーム指導者は、こういう伝統的価値を否定しようとしない。でも純粋に宗教的に言うなら、女性であっても教育を受ける権利は認めなければおかしい。

考えてみれば、日本だって女性の進学を妨げたのは、神道でも仏教でもないことは明らかです。それより家父長的な価値観ですよね。

本当にイスラームで「絶対禁止」と言っていることは限られています。この5月にタリバンが女性の服装規定を厳しくして、罰則まで設けましたが、服装規定に違反した女性ではなく、近親者の男性を罰するとしています。私は、ここに注目しています。

タリバンは、女性に配慮したつもりかもしれませんが、いわば「監督不行き届き」ということで男性を罰するのは、一層悪い結果を招きます。家父長の権限を、より一層、強化することになるからです。

山本 そうでしょうね。

女子を学校に行かせない根拠は?

内藤 イスラームの本質は、基本的に「神と個人の人間とが契約をする」という垂直的な関係なのです。その中で「これだけは一線を越えてはならない」と言われているのは「姦通」とか、故意に「棄教」するということ、それから「強盗」と「飲酒」です。これは、神との契約を破ることになるので、身体に罰を与えることになっていますし、ことによっては死刑ですが、その量刑は許されません。

一方、他の罪については、裁判によって刑罰を受けますが、量刑はイスラーム法廷の裁判官の裁量になるのです。かつてのタリバンは、たとえば、ブルカを着用していないと罰しました。あるいは、男性の保護下で一緒に外出していないと、それだけで罰しました。これは昔、サウジアラビアでもやっていました。

しかし「それを本当に罰しなくてはならないのか? 根拠は何だ?」と、ちゃんとイスラームの教えを知った上で彼らに問うと、彼らはそこまでする必要があったかどうかを精査することになります。そういうことは多々あるはずです。たとえば「女子を学校に行かせなかった。それはどういう根拠によるのだ?」と。

今、タリバンは「イスラームの教えにしたがって統治する」と言っている以上、イスラームの教えに基づかないことで「禁止する」とは言えないわけです。本当にタリバンが真面目にイスラームでやるというなら、イスラーム社会にある、一種の夾雑物、混ざっているもの――パターナリズム(家父長制)もそうですけれども――その部分を排除して、「ちゃんとイスラーム的に教育の機会を保障せよ」と言うべきです。

もちろんジェンダー平等までは無理でしょうし、おそらく生物の授業でも進化論は教えないでしょうけど、それらを除いても、数学やコンピューターサイエンスを教えるのに何の支障もないはずです。

しかも、イスラーム圏では、女性のほうが理系進学者は多くなる傾向があります。男性の保護下でないと外出することもまかりならんなどと言ったら、女性は大学教育を受けられない。そうなったら女性の医師も薬剤師も教員も育たないぞ。自分の妻や娘が病気になったら男性医師に診療させるのか、それとも医師に診せずに病気を悪化させるのか? どっちだ? と厳しく問い詰めるべきでしょう。就学、進学の機会さえあれば、彼女たちは、社会を支えていきます。

むしろ「女性に対し、教育や手に職を持ってもらうための職業訓練も含めて機会をちゃんと保障せよ。国際社会もそれに対して投資をする。単なる援助じゃなくて投資をしていく」と伝えて、それが本当だとわかれば、少しずつ回っていくんじゃないかと思います。

ですからタリバンが「イスラームでやる」と言うならば、逆にイスラームについてきちんと理解した上で、「女性たちが教育を受けられない、あるいは、一定の職から排除するというのはおかしいじゃないか」と言えばいい。

先ほど山本前代表がおっしゃった、カブール大学の学長の発言「女性の学生と教師は来るな」に対しても「イスラーム的に全くおかしいではないか」と反論しなければいけません。

西洋的価値観から受け入れられない、と言うのではなく、「イスラーム的に間違っているんじゃないか?」と問い続けないと通じないです。

写真/shutterstock

アフガニスタンの教訓 挑戦される国際秩序

山本忠通 内藤正典

2022年7月15日発売

1,056円(税込)

新書判/288ページ

ISBN:

978-4-08-721224-2

ー国連事務総長前特別代表と中東学者の対話ー

タリバンはなぜ復権したのか?

タリバンの勝利、ウクライナ戦争という冷戦後秩序のゆらぎに迫る

2021年8月、アフガニスタンの首都カブールはタリバンに制圧された。9・11事件に端を発する2001年のアメリカを中心とする多国籍軍の侵攻でタリバンが政権を追われ20年。国連、欧米の支援下、自由と民主主義を掲げた共和国政府はなぜ支持を得られず、イスラーム主義勢力が政権奪回できたのか?
アフガニスタン情勢のみならず、ロシアのウクライナ侵攻など、国際秩序への挑戦が相次ぐ中、国連事務総長特別代表を務め、国連アフガニスタン支援ミッションを率いて諸勢力と交渉をしてきた山本氏と中東学者が問題の深層と教訓、日本のあるべき外交姿勢を語る。揺らぐ世界情勢を読み解くための必読書。

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