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フィンランドが「学力世界一」から陥落しても詰め込み教育をしない理由

集英社オンライン / 2022年9月20日 14時1分

福祉国家として知られ、2000年代には15歳を対象としたOECDの学習到達度調査(PISA)で世界一にもなったフィンランド。2009年に中国に抜かれ、そのランキングが下降しても、いわゆる「詰め込み教育」には舵を切らず、独自路線を貫き続けている。その背景にある教育観について、フィンランド大使館で広報の仕事にも携わる堀内都喜子氏の著書『フィンランド 幸せのメソッド』(集英社新書)から一部抜粋、再構成して紹介する。

「ゆとり教育」がダメだった?

2000年以降、PISAでフィンランドが世界一になるたび、各国の教育関係者がその秘密を探ろうとフィンランドに押し寄せてきた。日本からの注目度も高かった。頻繁にテレビや雑誌で特集が組まれたが、日本とは真逆の教育環境に、多くの人が「なぜそれで世界一になれるのか?」と疑問に感じたことだろう。



少人数での授業、教師の質の高さ、経済的・社会的な格差が少ない社会、現場に裁量権があることなど、様々な理由を説明しても、日本からは「ゆとり教育」に見えてしまうフィンランドの教育は理解されないことも多かった。

そうして、日本での十分な理解がされないまま、2012年のPISAでは、 日本が「読解力」と「科学的リテラシー」でOECD加盟国中1位に輝き、逆にフィンランドはそれぞれ3位と2位という結果になった。また、「数学的リテラシー」は日本が2位だったのに対し、フィンランドは6位と激しい落ち込みを見せ、海外では衝撃をもって受け止められた。

それではこの結果はフィンランド国内でどう見られていたのか。当時の教育科学大臣クリスタ・キウルは記者発表の中で「フィンランドの義務教育が大きな対策を必要としていることを示唆しています」とコメントを発表し、こう続けた。

「これまでの研究から今回の結果は予想されていました。というのも子どもたち、そして社会の学校に対する意識が、以前より肯定的ではなくなってきたためです。平等を強化することはもちろん、学習への意欲を向上、維持させ、学校の環境をより居心地の良いものにしなければなりません」

実はこの調査では、学力の測定だけでなく、学校への帰属意識や満足度も調べられている。

学校生活が幸せだと回答した生徒の割合はOECD平均79.8%、日本85.4%であるのに対し、フィンランドは66.9%と7割に達していない。調査国の中で5番目に低い数字となっていた。

教育の平等と公平性がゆらいでいた

教育現場でいったい何が起こっていたのだろうか。

フィンランド教育文化省や専門家によれば、2012年のPISAの結果が出る前から、フィンランドの強みであった落ちこぼれの少ない、比較的一律だった学習成果に差が生じ始めていたという。その差は、親の社会経済的背景によるものが大きいとわかっている。以前は、どんな家庭の出身でも、子どもの学習成果に大きな影響は出ていなかったが、経済的な違いが如実に現れるようになってしまっていたのだ。

次に、男女間の差も大きくなった。女子の学習成果は非常に高い一方、男子は下がっている。理由としては、男子の読書離れと読解力低下があるという。PISAの試験はどの科目であれ、読解力が求められるが、今の男子は読書の楽しみを得られておらず、ネットやゲームがその傾向を助長させていると報告書では述べられている。

さらに学校間の差、移民人口の増加、地域格差も、以前にも増して顕著になった。そして支援が必要な子どもが年々増えていることも課題の一つとして挙がっている。全体的に特別支援の専門知識を持った教師が不足していたり、支援の必要な子どもに重点をかけすぎるあまり、他の子どもたちに注意が回らなかったりという状況もあった。

こうした格差は勉強への興味を失わせ、親の学校への期待値を下げ、お金の余裕のある家庭が子どもに学校以外で教育の機会を与えることにもつながる。世界的に見れば、まだまだ地域や家庭の経済状況による学力差は非常に少ないが、かつてフィンランドが誇りにしてきた平等と公平性にゆらぎが生じてきているのも事実なのだ。

一方で、心理学の専門家の調査では、生徒が競争や期待などのプレッシャーを感じていたり、先生や家庭からの支援の不足により孤独感を抱いていたり、学校外の活動が忙しく心身共に疲れていたりすることが指摘されている。さらに、学校や授業の在り方が「時代遅れ」と感じている子どもたちも多く、勉強に興味や意欲のない冷めた声も少なくなかった。

新コアカリキュラムが見据えるもの

フィンランドでは10年に一度、小中学校の学習指導方針「ナショナル・コアカリキュラム」が発表される。新コアカリキュラムは2014年に作成され、2016年秋から段階的に導入が開始された。

10年ごとの新コアカリキュラム作成にあたっては、国家教育委員会の専門家に加え、教職員、保護者の代表、研究者など多くの人たちが関わる。今回、最も重視されたのは学力調査の結果ではなく、まずは子どもたちの心身の健康と学習意欲の向上、今の時代にあった授業の在り方、そして将来必要な知識やスキルといったことだった。

将来、AI技術の進展により多くの職業が消えてしまうと言われている。そのような中では、学びに対して積極的で柔軟な考え方ができる人間が求められる。批判的・創造的な見方も欠かせない。

一方で、子どもたちは一人ひとり、学び方も学ぶスピードも異なる。そこで、個々に応じて能力を伸ばしていけるような学び方を提供していくことも、新コアカリキュラムに盛り込まれた。タブレットなどデジタル機器を授業に取り入れることも、子どもたちにとっては興味や意欲の向上につながる。そして学習の結果よりも一人ひとりの幸福感を重視し、学習や学校を楽しいものにすることが目指されている。

さらに現代社会では、他者との協力なしに仕事をすることは不可能だ。そこで、小さな時から多様性を受け入れ、クラスメイトや教師、家族と積極的に協力し合う経験を重視する内容が盛り込まれている。

確かなことは、コアカリキュラムが変わっても、授業数が増えるわけでも、夏休みが短くなるわけでもないという点だ。休む時にはきちんと休むからこそ、勉強する時にはちゃんと頭に入ってくるし集中できる、という考え方なのだろう。

新コアカリキュラムでは、人間として、市民としての成長のため、以下の7つの能力(コンピテンシー)を子どもたちが身につけることを、カギとして掲げている。

1、思考と学びのための学び
2、文化的能力、相互コミュニケーション、自己表現
3、自律、自立
4、マルチリテラシー(言葉の読み書きだけでなく、様々な情報を検索し、理解、解釈、分析、表現ができること)
5、ICT(情報通信技術)の活用
6、働くための能力、起業家精神
7、社会参加、関与、サステナブルな未来を構築する

この新コアカリキュラムをベースにして、その後、各自治体が各地の事情も考慮して地域ごとのカリキュラムを作成。さらにそれをもとにして各学校のカリキュラムへと落とし込まれた。

「学力世界一」の評判なんて気にしない

2016年に現場での導入が始まる頃、フィンランド外務省のオンラインニュース 「this is Finland」に教育専門家の談話が掲載されたのだが、そこにはとてもフィンランドらしい、でも日本人にとっては驚きの言葉があった。

「新コアカリキュラムによって、PISAによって得られた『学力世界一』の評判が落ちるのではないですか」という問いに対し、世界的に知られるフィンランドの教育学者で現在ニューサウスウェールズ大学教授のパシ・サルベリはこう答えている。

「そうかもしれませんが、それがどうしたというのでしょう。フィンランド的考え方では、PISAランキングの意義は取るに足りません。PISAは血圧測定のようなもので、時々自分たちの方向性を確かめるうえでは良いですが、それが永遠の課題ではないのです。教育上の決定を行う際、PISAを念頭に置いてはいません。むしろ子どもや若者が将来、必要とする情報こそが大事な要素となります」

国によってはPISAなどの国際的な学力調査を重視して、その成績向上を目標とした教育改革が行われているところもあるのかもしれないが、フィンランドのコアカリキュラムにPISAの結果はあまり関係しない。PISAはあくまでも一部の評価でしかないので、それだけで判断するのは短絡的だと考えられているからだ。

PISAの結果は国内の地域や学校間、生徒間の違いを見るために使われ、国際的な順位が直接的に教育改革に大きな影響を与えることもないのだ。

それよりも、ウェルビーイングを大事にし、大切なことをしっかりと見極め、生徒中心の学校の在り方や学びにフォーカスして変えていこうというのが、フィンランド流だと言えるだろう。


文/堀内都喜子 写真/shutterstock

フィンランド 幸せのメソッド

堀内都喜子

2022年5月17日発売

946円(税込)

新書判/256ページ

ISBN:

978-4-08-721215-0

2018年から2022年にかけて、5年連続で「幸福度ランキング世界一」を達成。首都ヘルシンキは2019年および2021年には「ワークライフバランス世界一」に輝き、国連調査の「移民が感じる幸福度」ランキングでも第1位(2018年)。
他にも「SDGs達成度ランキング」で世界一(2021年)、「ジェンダーギャップ指数」で第2位(2021年)など、数々の指標で高い評価を受けているフィンランド。その背景にあるのは、”人こそが最大の資源で宝”という哲学です。立場を問わず全ての国民が平等に、そして幸福に暮らすことを可能にする、驚くべき「仕組み」とはいかなるものなのでしょうか。そして、日本はそこから何を学べるのでしょうか?最新の情報もふんだんに盛り込んだ、驚きにあふれる一冊です。

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