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「コロナでむしろメンバー増」流し集団代表が自ら切り拓く、流しの未来

集英社オンライン / 2022年9月22日 18時1分

夜の酒場をまわり、客の要望に応えて生演奏をして報酬を得る“流し”という仕事がある。2020年からの新型コロナウイルス感染拡大による飲食店の相次ぐ閉店や時短営業などで、夜の酒場と一心同体である流し稼業はいったいどうなったのか。流し集団「平成流し組合」の代表・パリなかやまさんに聞いてみた。

大手レコード会社所属のプロ歌手からキャリアをスタート

――まずはパリなかやまさん(以下、パリさん)の原点から聞かせてください。なぜ流しをはじめたんですか?

成り行きですかね(笑)。学生の頃から音楽好きで、大学生だった二十歳の頃に「プロの世界で勝負してみたい」とデモテープ送付などを繰り返していたところ、2004年、28歳の頃にクラウンレコードから「コーヒーカラー」というユニットでメジャーデビューすることができたんです。



デビュー曲の『人生に乾杯を!』は結構ヒットして、全国をキャンペーンでまわりましたよ。その後、クラウンレコードではアルバムを2枚出しましたがプロの世界は厳しいもので、ヒットを出し続けなければ漫画家でいう「打ち切り」、つまり契約解除になってしまうわけです。

――打ち切り……なるほど……。

デビュー曲以降は大ヒットが出せなかったので「これは打ち切りもあるな」と薄々思っていました。プロのシンガーも契約が解除されれば「フリーター」になってしまう世界。ちょうどその頃に音楽家の先輩である作曲家から「流しをやらないか?」とお誘いがあったんです。2008年頃ですね。

そうやってクラウンレコード在籍中に会社に内緒ではじめたことが私の流し人生の原点です。その後は、流しが主軸になっていきました。

パリなかやま氏。デビュー曲『人生に乾杯を!』は2004年北海道STVラジオチャートでは、2位福山雅治、3位サザンオールスターズを抜いて4週連続1位を獲得した

――メジャーの世界から流しの世界へ移籍したパリさんが、流しを実際にはじめてみてどんなことを感じましたか?

面白かったですよ。2009年に恵比寿横丁に移ってからは、流し稼業が“好景気”になりました。恵比寿横丁の注目度がどんどん上がり、週末は満員電車状態で歩く隙もないほど。その熱気とともに流しのニーズも高まり、私自身も楽しみながら仕事ができるようになりました。

コロナで休業状態。それでもオンラインで食べていく道を探るつもりはなかった

――流しの仕事は順調だったということですが、2020年初頭からはじまった「新型コロナウイルス」の感染拡大は流しにはどんな影響がありましたか?

多大な影響がありましたね。私は2014年に『流しの仕事術』(代官山ブックス)という本を出版したことをきっかけに「平成流し組合」という流しグループを作りました。

『流しの仕事術』表紙

今は70名ほど在籍しているのですが、流しの我々は「お店ありき」の仕事だったので、お店に合わせるしかありません。緊急事態宣言が出てほとんどのお店が閉まってしまったときは、必然的に流しがやむなく全員休業状態になりした。

――コロナで仕事ができないなかでどうされていたんですか?


ちょうどZOOMが流行ったタイミングだったので、オンラインで演奏したり、会話をしたりする「オンライン流し」をはじめました。

それはライバーやYouTuberのように投げ銭を得ることが目的ではなく、みなさんもずっと家にこもり切りで交流を求めている感じがあったので、それに応えることができたらなという感覚でした。

――それこそライバーのようにオンラインで稼ぐ道もあったと思いますが、そうしなかった理由も気になります。

我々流しは“街や店との関係性で生きている存在”であって、街や店がないオンライン上で稼ぐのは流しとは別の仕事という感覚が今もありますね。

――なるほど。とはいえ現実問題として、オンライン/オフラインの両方で稼げないとなると流しを辞める人がたくさんいたのでは……?


たくさんいますね。じつはコロナを契機に活動するメンバーの顔触れがガラッと入れ替わって、しかも20人ほど新規メンバーが増えたんですよ。

「喜んでもらいたい」という“豊かさ”を振りまくのが流し

――え、流し休業状態の時期に逆に流しが増えたんですか⁉

はい。おそらく家にこもり続けた時期に、流しに限らず多くの方がご自身の人生や、本当に自分がやりたいことは何か、を考えられたと思うんですね。

最近、組合に入った方でいうと、「となりのナリト」さんという還暦を過ぎて間もなく会社を引退する男性で、奥さんも孫もいる方がいます。コロナのタイミングで「人前で演奏をしたい」という夢をもう一度思い出したそうです。それで私に連絡をくれたんです。

いよいよ、その方が流しデビューの日を迎えました。一生懸命練習して臨んだわけですが、1人目のお客さんから「心がこもってない」とダメ出しされてしまい、それでもまた自分を奮い立たせて次のお客さんへと向かっていって……挫折と感動の物語がありましたね。

――ドラマがありますね。

はい、こんな言い方をするとアレですが、コロナを機に良いメンバーになったと思うんです。以前は「食べるため」に流しをやる人が多かったのですが、そういう人は強引に営業をかけたりしてトラブルを起こすケースが少なくないんですね。

でも、そういう人達はコロナの休業状態のときに「稼げない」と現場に出なくなり、一方で先ほどのナリトさんのように「人前で歌いたい」「喜んでもらいたい」と考える“豊かな人”が増えました。そうすると、お店やお客さんからも良い声がたくさん私のもとに届くようになったんです。

そんなことを経験して「豊かさを振りまくのが流しだな」と思いました。お客さんは演奏を心から楽しんでいる人についお金を払いたくなるし、その心の純度が魅力なんだと思うんです。だから平成流し組合は「喜んでもらいたい」と考える“豊かな人”だけをメンバーにしていこうと考えています。

目指すはタクシー業界。全国当たり前にいる存在に

――パリさんご自身は「街にはもう戻れないかもしれない。流しを辞めよう」と思ったことはなかったですか?

酒場が全滅してしまったらどうしようかとは考えました。ただ、そういうピンチのときに“新たな可能性”は出てくるもので、同様に仕事がなくなり困っていた屋形船から、船に乗りながらの流し依頼があったりして、困った業者同士がコラボして乗り切ろうという流れがあったんです。

それをきっかけにして、私自身も「夜の店だけ」に依存しない流しの生き方を真剣に模索するようになりました。

――新たな活動の場所を探す“攻め”に出たわけですね。

はい。そもそも我々流しの仕事は、夜に限る必要も、お店に限る必要も全くなくて、昼でもできるし、他の場所でもできるんですね。

それを具体的な形にしようと考えて、電話営業をかけたり、逆にお話をいただいりして、その結果、お通夜で故人の好きな歌を歌う、キャンプ場でテントを回って歌う、お祭り会場でみんなが飲み食いしているところを回って歌うなど、この2年ほどでいろいろな形を実現することができました。

これからも新たな流しの活躍の場を広げていきたいと思っています。

――どんどん活躍の場が広がって、流しの形そのものがアップデートされていっていますね。

そうですね。30年後ぐらいにはタクシー業界みたいになっているといいですね。タクシーも最初は誰かが勝手に人を乗せて運んでお金をもらう仕事をしていたら、真似する人が増え、最終的に業界やルールができあがっていったと思うんです。

流しもタクシーぐらいメジャーな存在に、そして日本全国、さらに世界にも当たり前にいる存在になりたいですね。

取材・文/廣田喜昭 撮影/井上たろう

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