3年ぶりの新刊『フィールダー』を発表し、その読書体験の衝撃が早くも話題騒然となっている古谷田奈月氏。本書を執筆するにいたった背景や、込められた思いを聞いた――。
「初めに書こうと思ったのは、動物に関する話だったんです。ペットを飼うことに対する疑問、すなわち、なぜ人は動物を飼ってもいいと思っているのか。例えば、使役動物や家畜のように、人間が自分たちの利益や生活のために利用している動物の存在については納得できるんです。都合よく搾取しているということではあるけれど、生きるためにやっていることだから。でも愛玩動物に関しては、根底にあるのは『かわいいものを近くに置いておきたい』という利己的な欲望です。そこに伴う残酷さや暴力性をはっきりと自覚しているというならわかりますが、すすんで動物を飼っている人たちは、自分は動物を愛している、動物全般の幸福を心の底から願っているという『善』のスタンスに依る人が大多数です。恵まれない犬猫を救うための活動も、ただただ『正しい』ことだと考えられて、自分たちは愛玩目的で動物を飼ってもいいのだというその暴力的な前提に目を向けることはない。その構図が、すごく矛盾しているように感じていたんです」
当初、最新長編『フィールダー』は中編作品になる予定だったという。しかし、動物を愛でるという行為から生じる違和感は、徐々にその範囲を広げていく。
「いざ、どういうふうに書いていくかと考えたときに、同じ類の矛盾が人間社会にはたくさんあるということに気づいたんです。普段良いと思ってやっていることが、実は自分たちにとって都合のよい取捨選択・前提になっている。動物のことだけでなく、それら身の回りの疑念を絡めて書いていかないと噓になるなと思いました」
各々のうちに、譲れぬ信条を抱える登場人物たち。子どもに「触った」という疑惑を理由に週刊誌に追われる児童福祉の専門家・黒岩文子(くろいわあやこ)と、彼女を守ろうと奔走する担当編集者・橘泰介(たちばなたいすけ)を軸に、物語はスピードを増し、縦横無尽に展開していく。
「どういうふうに書いていたのか、もう私にもわかりません(笑)。本当は長編の場合、プロットを立てたほうが楽だとは思うんです。でも、プロットって、実際の執筆時の感覚をリアルに呼び起こせる作家だけが作れるものだと思っていて。私にはどうしてもそれができない、執筆時の感覚は執筆時にならないと出てこないから、プロットを立ててみても表面的でご都合主義にまみれたものになってしまう。だから結局、こうなったらこの人はこう考えるだろうとか、そういうライブ感でつないでいった感じですね。これは噓じゃないと思える手応えが得られるまで、何度も書き直しながら。
そういうやり方でいろんなテーマをつなげていくというのは、すごく難しかったです。繰り返し手を動かして、キャラクターたちに動いてもらって、なんとか道をつけていく。最初は黒岩の語り一本でやっていくつもりでした。編集者の橘は完全に脇役で、世間一般の倫理観でツッコミを入れる人だったんです。そこから逸脱していく黒岩、という構図だったんですけど……。黒岩の視点で書き続けると、彼女の主張が強くなりすぎてしまうなという印象があって。この作品は一面的ではない、というより徹底的に混線したものにしたかったから、それで橘の視点も動き始めた感じです。そしたら主役になっちゃった(笑)。でも、二人は結構似ている部分がありますよね」
総合出版社に勤務し、社会問題や人権問題を扱う小冊子『立象(りっしょう)スコープ』の編集に携わる橘。自ら社会運動にも参加し、著者の信頼を得る優秀な編集者だが、一方で、彼は日々ゲームの世界に没入してもいた。スマホゲーム『リンドグランド』で出会った礼(れい)や未央(みお)、ハチワレといったメンバーと日常的につながり、関係を紡いでいく。
「ゲームという要素を取り入れたのは、実際に自分がオンラインゲームをやっている中で、リアル社会を感じることがとても多かったからなんです。それで自然と作品との関わりが見えてきたというか。私、『リアル』と『ゲーム』というように、二つの世界をはっきり分けることに対してもともと違和感があって。作品の後半にも書きましたけど、ゲームにハマってる人たちって、『リアルを大事にしようね』って結構言うんです。でも、こんなに夢中になっていて、人とのつながりもできて、一定の時間をそこで共に過ごしている。どう考えてもリアルですよね。
あと、オンラインゲームのすごいところは、人間社会のごったな状態をそれこそリアルに感じられること。ゲームの中には親フラがどうのと言い出す子どもからその祖父母に近い世代までいるし、右派もいるし、左派もいる、鴨川沿いに建てた新築の家のテラスでわいわいバーベキューをやっている人もいれば、一人きりのアパートで深夜にカップ麵をすすっている人もいる。SNSと並行して交流していく中で自然とそういう多様な背景が見えてくるんだけど、でも、さあこのモンスターを倒すぞということになるとスッと自然に結束する。当たり前の光景になっていますが、ものすごいことが起きてるなと。プレイしながら感じ続けてきたその混乱は、『フィールド観』として作品の基盤になっていると思います」