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LGBTQに関して、「自分は口説くわけじゃないから、何も気にしない」が問題な理由

集英社オンライン / 2022年10月1日 14時1分

LGBTQ問題に関して、思わず「自分は気にしないから大丈夫」と言ってしまうことはないだろうか。一見、当たり障りのない態度のように感じるが、そこにはジェンダー平等を実現する道が、「だから、みんなも思いやりを持とう」といった「心の問題」に矮小化されてしまう危険が潜んでいる。LGBT法連合会事務局長の神谷悠一氏の著書『差別は思いやりでは解決しない』(集英社新書)より一部抜粋、再構成して紹介する。

「思いやり」にとどまらず、その先の「施策」へ

あるLGBTQについての講演で、思いやり「だけ」では解決しないことや、「何も気にしない」がなぜ問題であるかについて、カミングアウトやアウティングに絡めながら話したことがありました。その講演の終了後に、こう言われたことがあります。



「こっちも別に飲み会で口説くわけじゃあないんだし、別に誰を好きでも関係ないんじゃない?」

講演では、「何も気にしない」ことに潜む問題についても話をしたつもりなのですが、どういうわけか、「だから特別なことは何もしなくていいじゃない」と脳内変換されてしまったようです。

その場では「カミングアウトすると差別やハラスメントの懸念があるから大変」などの説明を尽くし、だから日常会話にも困難があることを改めて話しました。すると、その人から最後に出てきたのは「でも確かに、(カミングアウトできないことを背景に)嘘を吐かれるのは困るなあ。いろいろ考えてみます」という一言でした。

結局自分がどう関わり、どう不利益を被らないようにするか、ということにしか興味がないのかと、ちょっと落胆したのですが、これは「自分ごと」にならない限りはどうでもいい、ということかもしれません。その人が個人的に「嘘を吐かれるのは困る」というのであれば、ぜひその先にまで掘り下げてもらえればと期待するところです。

他方で、その人の場合、特に課題を感じるのは、「たいしたことないから大丈夫なんじゃない?」という安易さを感じさせるところです。こういう反応がくると、「本当にその大変さが分かっていて〝大丈夫〟だと言っていますか?」「適当に“大丈夫〟だと言っていませんか?」と突っ込んでみたくなります。

相手の置かれている状況を的確に把握し、アドバイスするというのは、なにもこの課題に限りません。丁寧に課題に向き合おうとすれば、専門職でなくても、必要不可欠なことのはずです。逆に言えば、「たいしたことないから大丈夫」というのは、丁寧に課題に向き合う気がない、ということの表明にも思えてしまいます。つまり「なんか面倒くさそうだから、とりあえず大丈夫って言っとこう」みたいな感じでしょうか。

とはいえ、答えの見えない謎解きに、みんながみんなチャレンジできるかといえば、必ずしもそうではないのかもしれません。だからこそ答えが見えない「なんか面倒くさそう」なことに挑むよりも、「たいしたことないから大丈夫」となってしまうことは、致し方ないとは言いたくありませんが、そうなる人がいることは分からなくもありません。

思いやり「だけ」にとどまってしまうのも、もしかしたら似たような構造なのかもしれません。思いやり以上に何をすればよいかということが必ずしも明らかでなく、そのモヤモヤした謎解きにまで突入したくないので、「思いやり」と述べるにとどまるのかもしれません。

こういう安易な結論に至らないようにするためには、私たち施策を推進する側としてもひと工夫が必要になります。

このような時、誰でも一定程度対応できる「施策」というものが登場するのではないでしょうか。マニュアル化された対応、トラブルに対する規定や制度などは、全員がその課題のスペシャリストでなくとも、ある程度の水準の対応をする上で不可欠なものであるはずです。加えて、今回紹介したケースのように、関心が深まるよう、その人にとって「利益」になることを示すのも、注意は必要ですが、効果があることなのでしょう。

もちろんマニュアル化されたがゆえに、マニュアル以上のことができない人が出てくるという問題はあります。柔軟に対応できない/しない、自分で考えることをしない担当者による弊害も、他の課題ではよく聞くところです。

しかし、LGBTQの課題は、マニュアル化にすら至っていないところにあります。一部の人の職人芸のような取り組みはあるけれど、それ以外の人はマニュアルすらないので、「思いやり」にとどまってしまっているのではないか、というのが本文の問題意識です。

「放っておいてほしい」胸の内も考えてみる

性的マイノリティの課題に取り組む際に、たまに「当事者の意見」として寄せられるのは、「余計なことをせずに放っておいてほしい」というものです。確かに、施策や取り組みなんていらないから「放っておいてよ」と感じる人は一定数いるのだと思いますが、そうではない理由で「放っておいてよ」と思っている人もいるのではないでしょうか。

そもそも、ジェンダーに関する差別やハラスメントを受けた場合に、「自分に責任があるから、自分でなんとかしなきゃ」と思ってしまう傾向は、過去にも見られました。

1992年に労働省が実施した「女子雇用管理とコミュニケーションギャップに関する調査」では、「性に関する不快な経験を少なくするための方策」、すなわちセクハラへの方策として、「女性」の最も多かった回答は、「女子自身が毅然と対応する」(44.2%)でした。逆に、今では法律で義務化されている「性的いやがらせがない会社を作ることを企業の方針のひとつとして決める」はたったの14.1%に過ぎませんでした。

ある意味、多くの女性たちが「自分で毅然と対応する」から、会社の方針にするなんてそんな大それたことはしなくていい、制度や施策のお世話にはならずに自分で解決します、と思っていたということではないでしょうか。

もっと言えば、制度や施策でこうした「ハラスメント」の問題が解決するとは思えない、ということだったのかもしれません。セクシュアルハラスメントに関する法律ができるまでは、ハラスメントに関わる法律は日本には一つもなく、法律で解決する事項だとは多くの人が思っていなかった、ということかもしれません。

翻って、性的マイノリティに関する状況はどうでしょうか。性的指向や性自認といった事柄を制度化!? そんな大それたことはしなくていい、制度や施策のお世話にならないで自分で解決します、という人も一定数いるように思います。もしくは、安易な「思いやり」で痛い目に遭うくらいなら、放っておいてほしい、そんな人もいるかもしれません。

しかし、これらはセクハラの法整備がなされる前とよく似た状況ではないでしょうか。

そもそも、性的マイノリティに関わる事柄については、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」、そしてハラスメントに関する法制度の中に一部が登場するくらいで、他には全くと言っていいほど制度化されていません。

だからこそ、性的指向や性自認といった領域に制度が入り込んでくることに対しての警戒感を呼んでいるように思います。そもそも、既存の制度から少なからず「いないもの」とされ、対象外となり、排除されてきた性的マイノリティにとって、今さら制度が自分たちの状況を改善してくれるとは思えない、という思いもあるのかもしれません。

法制度の導入が状況改善の近道

もちろん、施行当初の過渡期には、制度の適用が必ずしも円滑にいかないことがあるでしょう。けれど、他の領域で見ても、例えばDVの課題は「DVなんてない」と思われていた時代から、制度によって統計をとり始めたことで課題が可視化されています。特にコロナ禍では、一層厳しい状況が数字として表れ、社会的に話題となり、行政が追加的な対応を行う例も見られました。

育児休業だって、「まわりに迷惑をかけないように産前産後休業で十分」というような人もいた時代から、徐々に、女性はもちろん男性も育休が取得できるように、個別に制度対象者への周知を義務化するというところまできています。

社会はこのように、長いスパンで確実に変わります。けれど、黙っていて変わるのではなく、人びとの声、特にその節目節目の制度化が、声を大きく後押ししてきました。

一方で、「放っておいてほしい」と思う側の人にも、あるいはそういう人が周りにいるという人にも、述べておきたいことがあります。それは、「放っておいてもらえれば」その人はよくても、制度がないと大変な人も他にたくさんいるのだということです。

実際に、前掲の厚労省の委託事業の調査でも、LGBとTのそれぞれ過半数が何らかの施策を「行われたら良いと思う取組」としてあげています。今この瞬間は不便がなかったとしても、本人も、周囲の人も、少し環境が変わればどうなるか分かりません。また、「いつかは○○な世の中に」と言っていても、少しずつでも状況が変わらないと、それはずっと訪れなくなってしまいます。

私たち施策を推進する側としても、制度によって良くなると実感できるケースや実績を積み重ねなくてはと日々思うところです。同時に、すでに関連施策を導入する自治体などで、一定の積み重ねがなされてきているところもあり、これをもっと広めなければとも考えています。

そして、より多くの人が「良くなった」と思えるようにするには、やはり何よりも法制度が導入される必要があり、一層の状況改善を望むには、これが一番の近道だとも感じます。

文/神谷悠一

差別は思いやりでは解決しない
ジェンダーやLGBTQから考える

神谷 悠一

2022年8月17日発売

902円(税込)

新書判/224ページ

ISBN:

978-4-08-721226-6

思いやりを大事にする「良識的」な人が、差別をなくすことに後ろ向きである理由とは――。「ジェンダー平等」がSDGsの目標に掲げられる現在、大学では関連の授業に人気が集中し企業では研修が盛んに行われているテーマであるにもかかわらず、いまだ差別については「思いやりが大事」という心の問題として捉えられることが多い。なぜ差別は「思いやり」の問題に回収され、その先の議論に進めないのか?
女性差別と性的少数者差別をめぐる現状に目を向け、その構造を理解し、制度について考察。「思いやり」から脱して社会を変えていくために、いま必要な一冊。「あなたの人権意識、大丈夫?
“優しい”人こそ知っておきたい、差別に加担してしまわないために――。価値観アップデートのための法制度入門!」――三浦まり氏(上智大学教授)、推薦!

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