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「退職したら読もう」「時間ができたら読もう」という人はいったいいつ読むのかー読書は学びの源泉である

集英社オンライン / 2022年10月7日 9時1分

今、「本を読む」という行為はどれだけ愛されているのだろうか。『嫌われる勇気』でもおなじみの哲学者・岸見一郎は「読書は学びの源泉」だという。近著の『ゆっくり学ぶ 人生が変わる知の作り方』から一部抜粋・再構成してお届けする。

なぜ本を読むのか

読書で現実を超える

どんな逆境にあっても、本を読む術を知っている人は現実の困難を超えることができると私は考えています。読書には人を救い、幸福にする力があるからです。もちろん、そのようなことを考えることなく、ただ楽しむために本を読むのであっても、本を読んでいる間は現実を忘れることができます。

本を読み終わった後現実に戻ると、また苦しいかもしれませんが、もしも本を読まないで過ごしていたらその間ずっと苦しみと向き合わなければならなかったでしょう。私はこのようなことが必ずしも現実逃避とは思わないのです。


本を読むことで現実に直面することがあります。もしもまわりの人が自分が疑問に思うことに答えてくれないのであれば、自分で答えを探すしかありません。そうするために本を読んだ時に、思いもよらない受け入れ難い現実と直面することはあります。

例えば、死について深く考えない人は悩まないでしょうが、一度死というものがあることを知ってしまうと元に戻ることはできません。前にも述べたように、私は小学生の時に肉親を次々に亡くし、死と直面することになりました。死について考えなければ、無邪気に子ども時代を生きられたかもしれません。

知らないことを知ることは本来嬉しいことですが、死について知ることは嬉しいとはいえません。しかし、そのことが生きる喜びを奪うわけではありません。このことがきっかけになって、私は後に哲学を学ぶことになったのですが、本を読むことでただ怖いというのではなく、現実を超えることができました。

五十歳になってまもなく心筋梗塞で倒れて入院した時は、本を読むことを禁じられていました。絶対安静時は仕方がないと思っていましたが、音楽を聴いたりテレビを観たりすることは許されても本は読んではいけないことになっていました。おそらく、音楽を聴くのであればぼんやりと過ごせるのに対して、本を読むためには意識を集中しなければならず、そのことが術後の身体に障るということだったのでしょうが、本を読めない苦痛の方がはるかに強いストレスになりました。

本を読めるようになってからは、病室に持ち込んだ本をゆっくり読みましたが、その時読んだ本は時間が経つのを忘れさせるようなものばかりではなく、死と向き合わせるものもありました。
心筋梗塞という病気については、父が長年狭心症を患っていたので、まったく知らないわけではありませんでしたが、知っていたといっても、心臓に酸素を送る冠動脈が狭窄(きょうさく)するのが狭心症、完全に閉塞するのが心筋梗塞であるということくらいでした。ところが、自分の病気となると切実さが違います。
自分が病気になると、同じ病気になった作家の書いた本が目に留まるようになりました。自分だけではなかったのだと思えるのは読書の一つの効用ですが、当然、亡くなった人のことも知るわけです。

本を読むと自分の限られた経験を超えることもできます。とりわけ、自分とはまったく違う境遇に生きている人の書いた本を読むと、自分の経験では得られなかった知見を得ることができ、自分の人生を客観視することができるようになります。

何よりも読書は学びの源泉です。本を読まなければ生きていけないわけではありませんが、本を読む楽しみや喜びを知っていれば、たとえ病気のために外に一歩も出られなくなっても、電車がふいに動かなくなってしまっても、焦ったりイライラすることなく過ごすことができます。

長く続くコロナ禍のために、外で仕事をすることも家族以外の人と会うこともなくなりましたが、退屈とは無縁の日々を過ごしています。
入院している時に、主治医に、どんなに状態が悪く、たとえ一歩も外に出て行くことができなくても、せめて家にいて本を書けるぐらいには回復させてほしいといったことがありました。その悲観的な私の予想をはるかに超えてよくなりましたが、今はこの時漠然と予想していたようにあまり外に出かけることなく原稿を書いて日々を過ごしています。

読書がすべてではないが、学べることは多い

本だけでは学べないことはたしかにあります。
写真について書かれた本をどれだけ読んでも写真を撮れるようにはなりません。自分で撮るしか上達の道はありません。本を読むだけでは上達しません。一万枚くらい撮ると写真とはどんなものかが少しわかってきますが、たくさん写真を撮ればわかるというものでもありません。水泳も同じです。泳ぎ方を解説した本をどれだけ読んでも、当然のことながら泳げるようにはなりません。

しかし、だからといって何事も実践からしか学べないというのも本当ではありません。どんなこともある程度はマニュアル化できていないと、学ぶ効率は非常に悪いです。
もちろん、効率的に学ぶ必要はないというのも本当ですが、最初に最低限これだけのことを学ばなければならないということがわかっていると、今後の学びの見通しがつきます。

例えば、テニスにはラグビーやサッカーとは違って複雑なルールがあるわけではありません。対戦を見ていれば何が起こっているかはわかります。自分でも少し練習すれば何度かのラリーの応酬ができるくらいには上達します。しかし、ウィンブルドンまでは行けませんし、行く必要もありませんが、それくらいテニスは奥が深いといえます。
スポーツや写真を撮るような技術については、本を読むことも必要であるような言い方になってしまいますが、本からこそ学べることが多いと私は考えています。

本ばかり読むような人はどちらかといえば変わっていて、好感を持たれないことがあります。むしろ、本を読まないことを誇りにする人もいるくらいです。文学賞を受賞した若い人が、好きな作家はいない、尊敬する作家はいないと語るのを聞いたことがあります。そのような作家がいてもいいと私は思うのですが、本はあまり読まないと公言するのを聞くと正直驚いてしまいます。私は自分が本を書く時の手本にするという意味でなくても、本を読むのが好きなので、自分でも書いてみようと思ったというような答えを勝手に期待していたのでしょう。

デカルトが「先生たちの監督を離れてもいい年齢に達するやいなや、私は書物による学問をまったくやめてしまった」といっています(『方法序説』)。

このデカルトの言葉に対して、本を読むことよりも人生には大事なことがあると考える人であれば、あるいは、そんなことは考えていなくて、本を読むことは自分にとってどうしても必要なことではないと考える人であれば、本当にその通りだと同意するかもしれません。しかし、デカルトは読書をすべてやめたといっているのではなく、読書だけが真理を発見するための唯一の、またもっとも有効な方法であると考えるのをやめたといっているのです。デカルトが本を読むのをすっかりやめたとは考えられません。

いつか私の講演を聴きにきた小学生が私に質問したことがありました。「本を読むのが好きなのだが、親が本を読んではいけないという、どうしたらいいか」という質問でした。多くの親は子どもがコミックばかり読む、あるいは、テレビばかり観て本を読まないことで悩みますから、その子どものように本が好きであれば、親はむしろ喜んでいいのではないかと私は思いました。
しかし、子どもが本が好きでも学校の勉強は一切しないで、勉強とは関係がないように見える本ばかり読んでいると、多くの親は不安になります。教科書や参考書を読むのであれば親は歓迎するのでしょうが、教科書や参考書を読むことを読書とはいえないでしょう。
もちろん大人も、受験勉強や資格を得る勉強のために本を読むことはありますが、それも読書といえないでしょう。

ただ面白いから読む

ある日、中学生の時からずっと家に引きこもってきた若者が私の部屋にやってきました。彼は「僕は本を読むのが好きで」といいながら、着ていたコートのポケットからポール・オースターの小説を一冊取り出しました。
「本が好きで小説をよく読むのですが、学校に長く行っていなかったので、漢字がよく読めないのです。それで」と、今度はもう一方のポケットから辞書を取り出しました。私に見せてくれた辞書は国語辞典でした。
「本当は漢和辞典が必要であることはよくわかっているのですが、総画索引を引けないので、やむなく国語辞典に頼っています」

彼から本を読むことが楽しいという気持ちが伝わってきました。私は普段、本を読む時に、彼のような喜びを感じて本を読んでいるだろうかと思いました。
私は彼の話を聞いた時に、辞書のことばかりに目が向いていて、なぜ彼がオースターに興味を持ったかをたずねませんでした。私は当時アメリカ文学に関心がなかったので、オースターの名前を聞いたのはその時が初めてでした。まわりにオースターのことを教えてくれる人がいたのか、どんなきっかけがあってオースターのことを知ることになったのかというようなことをたずねたら、面白い話が聞けたかもしれません。

この長く引きこもっていた若者が私のところにくるまでには長い歳月が必要でした。彼に会う前に彼の両親と彼の将来について話し合いをしていました。私のいいたかったことは非常にシンプルなものでした。どんな人生を歩むかは子どもの課題であって、親の課題ではないということです。子どもが自分で決めるしかなく、親といえども子どもの代わりに生きることはできないということです。引きこもることで不利な目に遭うとしても、その結末は子どもに及ぶのであり、またそのことの責任は子どもが取るしかありません。

子どもが学校に行かなくなれば親は子どもの将来を思って不安になるでしょうが、それは親が自分で何とかしなければならない感情で、親は自分が不安だからといってその不安を解消するために子どもに学校に行ってほしいとはいえません。どれほど親が不安になっても、また、世間の目が気になるということがあったとしても、今後どうするかは子ども自身が決めることであり、親が子どもに代わって決めることはできないのです。

彼は親が子どもの人生に干渉するのをやめた時に、私のところにやってきました。前は親が自分の人生についていろいろと気にかけてくれたのに、最近は親が自分の人生について何もいわなくなった、だからこれからの人生をどう生きればいいかということを相談したいというのです。

その日、彼はオースターのことを話してくれました。彼は長く学校に行っていなかったので、読書感想文を書くことを強いられたりはしなかったでしょう。本を読むことと本について書くことは別のことです。教科書も参考書も投げ出して、好きな本だけを読めたのは彼にとって幸いなことでした。本を読むことの楽しさ、喜びを知っているのであれば、私が力にならなくても、そのことが今後の人生をどう生きるかを考える助けになるだろうと思いました。
私はこの若者と出会ったことで、自分の学び方を振り返ることができました。その後、私はオースターの本を次々に読みました。しかし、そのことを彼は知りません。本があれば一人でも生きていける 本を読む楽しみはそのようなこととは別のところにあるはずです。試験の前日にふと手にした小説を手放せなかったという経験をした人もいるでしょう。

高校の倫理社会の先生だった蒲池澯先生は退職したら若い時に買いためた本を読むといっていました。仕事を辞め身体の自由が利かなくなっても、本を読めさえすれば老年は怖いものではない――これが先生の持論でした。本を読むことで、老いの現実を超えることができるのです。現実を超えるというのは逃避するということではありません。人はどんな状況においても自由でいられるということです。しかし、先生は退職前に亡くなられたので、この願いは実現できませんでした。

退職したら読もう、時間ができたら読もうと思っていると、その日がこないかもしれません。思い立ったらその時に読むのが一番です。

加藤周一が、学生の頃から本を持たずに外出することはほとんどなかったといっています(『読書術』)。いつどんなことで偉い人に「ちょっと待ってくれたまえ」とかいわれ一時間待たされることもないとも限りません。そんな時に、いくら相手が偉い人でもこちらに備えがなければイライラするが、懐(ふところ)から一巻の森鷗外を取り出して読み出せば、これから会う人が偉い人でも、鷗外ほどではないので、待たされるのが残念などころか、その人が現れて鷗外の語るところを中断されるのが残念なくらいになってくるというのです。

この加藤の『読書術』は私の父の書棚から見つけて読み、大きな影響を受けた本です。この件(くだり)を読んだからなのか、私も本を一冊も持たないで出かけることはありません。出かける時に読みたいと思って何冊か持ち出しても、実際外に出た時にどれを読みたくなるかわからないのでたくさんの本を鞄に詰め込むことがよくありました。多くの本を一度も開くことなく帰ることになりますが、何を持っていくかを考えることが既に楽しくて、誰と会うかもどこに行くかも問題にならなくなってしまいます。


文/岸見一郎

ゆっくり学ぶ 人生が変わる知の作り方

岸見一郎

2022年6月3日発売

1,650円(税込)

四六判/272ページ

ISBN:

978-4-420-31095-6

「競争のために学んではいけない」
「学ぶことそれ自体が喜び」
「学び方を変えると生き方が変わる」……
ミリオンセラー『嫌われる勇気』の著者がおくる、幸福に生きる「学び」のヒント!

勉強がつらくて、やりたくない、長続きしない……。
多くの人は受験や資格を取るために勉強し、悩み苦しんでいます。
しかし本来の学びというのは、効率よく目的を達成するためにあるわけではありません。
本書は、哲学者・岸見一郎が、ギリシア哲学、アドラー心理学の知見や、
自らの読書や外国語学習の体験をもとに、コロナ禍の今だからこそ知ってほしい学びの意義、楽しみ方のコツを紹介します。

学ぶことで何かの目的を達成する必要がなければ、効率的に学ぶ必要はありません。
どんなことも、時にはゆっくり、時には集中的に学ぶ、そして、時には中断もしながら、ゆっくり学び続ける。
その時、学び始めた時とはいろいろなことが変わったことに気づきます。
(本文より)

今、学んでいるその時が喜びであり、幸福であると感じられる一冊!!

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