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賢い若者だけが気づいている「絶滅危惧種サラリーマン」という日本的雇用形態の限界

集英社オンライン / 2022年10月10日 9時1分

「サラリーマン」という和製英語は、日本以外では通じない。そこには、世界標準とかけ離れた日本独自のヘンな働き方(日本的雇用)があった。

「サラリーマン」という和製英語

終身雇用・年功序列の日本的雇用は「メンバーシップ型」で、それを「ジョブ型」に変えていかなくてはならないといわれている。このときに(おそらくは意図的に)触れられないのは、ジョブ型雇用を徹底するとサラリーマンが“絶滅”することだ。

いまだに多くの日本人は理解していないが、「サラリーマン」というのは和製英語で、外国ではまったく通じない。

「お仕事は?」と訊くと、ほとんどの日本人は(たとえば)「トヨタです」と会社名を答える。だが海外では、これはトヨタの工場で自動車の組み立てをやっていると理解される。仕事と会社が一体化しているのは、工場労働者やバックオフィスの事務系の仕事だけだからだ。それに対して専門職は、「車のデザインをしている」など自分のジョブを答える。


私がこの違いに気づいたのは、ずいぶん前に中国を旅行していたときだ。若いアメリカ人とレストランで同じテーブルになって、「どこに行ったの?」「どこに行くの?」がひととおり終わって、それ以外に共通の話題がないので「なにしているの?」と訊くと「会計士Accountant」だという。

会計士というのは企業の会計監査などをやっているイメージだから、そのつもりで話をしていると、どこかかみ合わない。それでよく聞いてみると、彼の仕事は地方の中小企業の経理だった。

「職種」ではなく、「会社名」が日本の慣習

日本でも、勤務医に「お仕事は?」と訊くと、「内科医です」とか「小児科医です」と専門を答える。「どこの病院ですか?」と重ねて訊いてはじめて、病院名を教えてくれるだろう。最初に病院名をいうと(「〇×病院で働いています」)、病院事務だと思われるのだ。

海外では、すべてのスペシャリストがこれと同じで、「自分はなにを専門にしているのか」を真っ先に伝える。新聞記者は「ジャーナリスト」だし、テレビ局で働いていれば(たとえば)「ドラマのディレクター」だ。だが日本で職業を訊くと、ほぼ100パーセント、「朝日新聞です」とか「NHKです」などの答えが返ってくる。先に専門をいうと、「フリーのジャーナリスト」「フリーのディレクター」の意味になってしまうのだ。

このように日本では、専門と会社の順序が世界とはまったく逆になっている。それは、「どの会社に所属しているか」がものすごく重要だからだ。

開業医と勤務医がいるように、スペシャリストである医者は、自営業者になるか組織に所属するかを自分で決めている。医者のなかには一般企業で社員の健康管理を任される人もいて、産業医と呼ばれている。

産業医は会社に所属しているが、人事異動で営業や経理に異動することはない。ここまでは当たり前だと思うだろうが、海外ではすべてのスペシャリストが産業医と同じ働き方をしていることを理解できるだろうか。

世界標準からかけ離れた、日本のヘンな常識

欧米でも、会社の法務部で働いているからといって、全員が弁護士資格を持っているわけではないが、大学の法学部を出ているなど、なんらかの専門教育を受けていることが当然の前提になっている。

そして、いまの仕事が面白くなかったり、上司や同僚とうまくいかなかったり、部門の業績が悪いから人員を減らしたいといわれたときに、「他部署に異動させてください」などといわない。自分の専門を活かしてほかの会社の法務部に転職するか、弁護士事務所のスタッフとして働く。いちど専門を決めたら、ほとんどの場合、それを変えることなく場所(職場)を移っていくのだ。

それに対して、サラリーマンの働き方はぜんぜん違う。

まず、日本の会社は新卒採用のときに大学での専門教育をほとんど気にしないので、文学部や教育学部出身者がごくふつうに法務や経理の仕事をしている。そしてこの人たちは、自分をスペシャリストだと思っていないから、何年かすると営業や総務などまったく違う部署に異動する。日本のサラリーマンは、いちど会社を決めたら、それを変えることなく、会社内で別の部署に移っていくのだ。

日本人はこれを当たり前だと思っているが、外国人が聞いたら腰を抜かすほどびっくりする。

欧米では、キャリアビルディングとは、転職を繰り返すことで経験を積み、自分の専門性(キャリア)を高めていくことだ。それに対して日本では、キャリアは会社のなかでの地位のことで、キャリアビルディングは出世の方法だと思われている。日本人の働き方はグローバルスタンダード(世界標準)からかけ離れた、ものすごくヘンなことになっているのだ。

新卒から40年も会社に「監禁」される日本

ついこのあいだまで、日本社会では「日本的雇用が日本人(男だけ)を幸福にしてきた」と信じられてきた。こうして右も左も「グローバリズムから日本的雇用を守れ」と大合唱していたのだが、最近になってこの人たちが黙るようになった。都合の悪い事実がどんどん明らかになってきたからだ。

ひとつは、さまざまな国際調査で、日本のサラリーマンは世界でいちばん会社が嫌いで、仕事を憎んでいることがわかったこと。それも小泉政権の「ネオリベ」改革以降の話ではなく、日本企業が世界を席巻していたバブル全盛期の1980年代ですら、日本のサラリーマンよりアメリカの労働者の方が自分の仕事に誇りをもち、友人にいまの会社を勧めたいと思い、「もういちど生まれ変わっても同じ仕事をしたい」と答えていた。日本のサラリーマンが仕事を憎むのは、新卒でたまたま入った会社に40年も「監禁」されるからだろう。

それに追い打ちをかけたのが、一人当たりの労働者がどれくらい利益をあげたかを示す労働生産性の国際比較だ。日本のサラリーマンは長時間労働とサービス残業で過労死するほど働いているにもかかわらず、アメリカの労働者の6割程度しか稼いでおらず、主要先進7カ国(G7)の中では1970年以降、約50年間にわたって最下位の状況が続いている。

もうひとつは、日本的雇用が重層的な「差別」であることが隠せなくなったこと。メンバーシップ型ではメンバー(正社員)かどうかで「身分」が決まり、「正社員」と「非正規」だけでなく、「親会社」と「子会社」、海外の日本法人での「本社採用」と「現地採用」など、さまざまなところで「身分」による待遇の差が生じている。

ジョブ型雇用への転換は急務

リベラルな社会の働き方の原則は「同一労働・同一賃金」で、同じ仕事をしているのなら、人種や性別、国籍、性的指向などの属性にかかわらず、同じ待遇でなければならない。ところが日本の会社では、同じ仕事をしているにもかかわらず、「身分」が異なるという理由で劣悪な待遇に処せられている多くの労働者がいる。

「真正保守」を掲げた安倍元首相が「非正規という言葉をこの国から一掃する」と宣言したのは、日本だけの特殊な雇用制度が「(リベラルな社会では許されない)身分差別ではないのか」との国際社会のきびしい視線を無視できなくなったからだろう。ふだんは「反安倍」のメディアや知識人も、どれほどリベラルな主張をしていても、差別を容認するのでは、定義上、「差別主義者」になってしまう。

こうした「不都合な事実」が示すのは、グローバリズムが日本的雇用を破壊して日本が貧しくなったのではなく、差別的な日本的雇用が日本の労働者を不幸にし、労働生産性の低い働き方に固執したことで「衰退途上国」といわれるまでに落ちぶれたことだ。

日本経済が復活するためにも、差別のないリベラルな社会をつくるためにも、ジョブ型雇用への転換を進めなくてはならない。そのためには、ジョブがなくなったら公正な基準で社員を金銭解雇し、労働市場に戻す制度が不可欠になる。

問題は、こんな当たり前のことを、ジョブ型雇用を推進しようとする人たちですら口にできないことだろう。

取材・文/橘玲

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