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「全体主義」から「個人主義」へ。箱根駅伝に向け神奈川大学が断行した大改革の裏側

集英社オンライン / 2022年10月14日 15時1分

10月15日、来年の箱根駅伝出場を懸けた予選会が行われる。新興勢力の台頭もあり年々激化する予選会だが、かつて箱根路を席巻した古豪も本戦出場をしっかりと見据えている。今年6月の全日本大学駅伝の予選会を圧倒的な強さで突破した神奈川大学だ。予選会を前に、古豪復活に向けて指揮官が取り組んできた改革の裏側を聞いた。

チーム改革で直面した壁

神奈川大学駅伝チームの大後栄治監督は、2年前にチーム改革を断行した。
それが「全体主義」から「個人主義」への転換だ。その結果、チーム内にはポジティブな効果が表れているという。
大後監督は、なぜ個人のオーダーメニューを重視し、個人主義へと切り替えたのか。

――チームの方針を全体主義から個人主義へと転換されたのは、どういう理由からだったのですか。



「主義と言うほど大げさではないのですが、私が神奈川大学に就任した頃(89年)は、チーム全体の底上げをするために、主力選手の練習を少々抑えて全体のレベルを上げていくという練習方法でした。主力選手には物足りなさがあったと思いますが、結果選手層は厚くなりました。

この方法ではエース級の選手が育ち難い要素はあります。しかし、当時は昨今のような高速駅伝ではなく、スタミナと安定感で十分、戦えていたと思います。その結果、96年、97年と箱根駅伝で連覇をすることができました。

その後、本学に対抗する様に、大八木弘明監督が率いる駒澤大学などが、逆にエース級を育成して駅伝を戦う方針に変化していきました。それ以降は本学も、スピードに乗り遅れる駅伝レースが続き、苦しい時期がありました。金太郎飴のようなチーム構成では高速駅伝に通用しないことが如実に表れていたと思います。その頃からでしょうか、個のストロングポイントを尊重して戦える選手を育成していかないとダメだなって思い始めたのは」

――その時、すぐに個人主義にシフトしなかったのは、何か理由があったのですか。

「例えば40名の部員が在籍するとします。個々に体質的な特徴、技術、生理学的機能が違う。合理的に練習を進めていくためには、選手個々人と毎日向き合い、面談し、40名分の練習方法を用意、提示する必要があります。

これに対応するためには、複数のスタッフが必要になってきます。しかしながら、スタッフは誰でもいいというわけではない。神奈川大学の精神文化や理念、環境などを理解して、共有していけるスタッフでないと上手く回りません。個にシフトするためには、信頼できるコーチングスタッフをいかにして構築するのか。これは簡単ではありません。大きな壁になっていました」

――その壁をどのように乗り越えたのですか。

「時間をかけるしかありませんでした。本学で進めていきたい練習の考えや方法論の情報提供を粘り強く発信し、共有出来るスタッフに就任してもらいました。現在、現場コーチは私を含めて4名、スカウト担当2名の6名で動いています(その他、大学職員のマネジメントコーチが1名)。

現場コーチの2名は本学の卒業生(中野剛、市川大輔、両コーチ)です。それぞれがチームのことを良く理解してくれています。現場コーチの一人であるストレングスコーチの松永(道敬)とは25年来の付き合いがありますし、コーチの中野剛は実業団チームでの監督キャリアがあり、オリンピック選手を育成した指導実績があります」

ライン分けで生まれたメリット

コーチが揃ったところで大後監督はチームの編成を見直した。主戦力が在籍するAライン、主戦力予備のBライン、リハビリ等の必要がある復調ラインの3つのチームに区分けし、それぞれのラインにコーチを立てた。Aラインは大後監督が、Bラインは中野コーチが、復調ラインは松永コーチがそれぞれ担当し、市川コーチは全体をコントロールする役割を担っている。

――全体を大後監督が統括する感じではないのですか。

「各ラインのコーチが独立して指導する体制にしています。練習方法やどのレースに出場するのか等々は、ラインのコーチと選手で決めていきます。その決定を尊重し、私が口出すことはありません。

もちろん、ことある毎にスタッフミーティングを行っているので選手の情報は共有されています。分業制にすることで一人のコーチが見る選手は15人程度です。選手とのコミュニケーションが頻繁に取れるようになり、練習メニューも個別や小グループ単位で提示出来る様になりました。

一番大きい効果は、怪我人が極めて減少したことですね。うちは強豪校と比較すると1年生から箱根出場という感じではなく、2〜3年掛けて育成しなければならない発展途上の選手が多い。必然的に個別にやっていく必要があります。その選手の能力、成熟度に合わせて指導していくので、無理はしませんし、させません。選手に対して目が行き届くようになったのでちょっとした変化にも気づきがあり、故障が少なくなりました。やはり故障がないとチームの雰囲気がグッと上がっていきますね」

――各ラインを、どのように振り分けているのでしょうか。

「箱根駅伝でシード権を獲得するために、机上の計算では各区間10位内で走ることが必要です。これがどのくらいのレベルかというのは、スピードとスタミナ共に客観的に提示しています。駅伝チームと謳っている以上は出雲駅伝、全日本大学駅伝、そして箱根駅伝に出場して、大学にチームの存在意義を示していかなければなりません。

その上でAラインは、全日本駅伝や箱根駅伝にトライすることが基準になりますので、ハーフマラソンと10000mの能力が判断基準になります。Bラインはまず5000mの自己記録を更新し10000mの実績をつくることがメインです。そしてハーフマラソンの準備をする。

このBラインからAラインに上がってくるという事例がとても重要です。発展途上の選手らに可能性と希望を与え、チーム全体の士気を高める役割を果たしてくれます。復調ラインはBラインに上がっていくための身体づくりと、練習の継続を基本にし、スケジュールを作成しています」

選手を取り残さないために

――大学の駅伝部では、入部したものの指導方針と合わずに、苦しむ学生もいます。実業団のように移籍ができない中、神奈川大ではどのように対応しているのでしょうか。

「もちろん各ラインの選手とコーチの意見が合わなかったりする場合があります。その場合、どのラインの練習をするべきか、どのコーチの指示を仰ぐべきか等々、意見交換します。そして選手とコーチの納得の上で柔軟に、横断的に練習を進めていくことを各コーチも了承しています。

それによって選手が救われるのであればそれに越したことはない。今や学生の勉強も個人指導がメインになっていることを考えれば、スポーツ界にもその側面が大きくなってくるのは当然だと思います」

――選手を尊重する指導は、甘えを生む構造があるとも言われています。

「確かにそういう心配はありますが、選手による意思表示も、勝手な解釈(気まぐれ、自分勝手、我儘)と、責任ある意思決定に基づく行動、との違いについては指導や説明をしています。ただ、そんな中でも伸び悩む選手、燻る選手は少なからず出てきます。

各都道府県でそれなりに鳴らした多くの高校生が箱根を目指して関東の大学に入学してきます。彼らは一人ひとり様々な期待を背負っています。練習で無理をして4年間、鳴かず飛ばず、大学に来た意味すらも分からなくなってしまった選手が増えるよりは、デメリットに目をつぶりつつ、選手の意思を尊重して指導するのが良いのかもしれません」

「勝ちたい」と「勝たせてやりたい」の違い

選手の能力が一律に高ければ部内の競争意識を高め、同じ練習メニューを提供していく中で生き残った者が箱根を走る権利を得るような指導も可能だ。だが、神奈川大の場合は、選手の能力にバラつきがあるので、その指導では立ち行かない。ひとりひとり効率よく伸ばしていかなければならないが、すぐに開花するわけではない。「3年間ダメでも4年目で箱根を走れる土俵に上がってくればいい」というのが大後監督の考えだ。

――個へのシフトは、大後監督自身の心境や意識の変化も影響しているのでしょうか。

「指導者の役割は、選手が成長出来るように、強くなるように、成果が出るように、サポートすることです。しかしながら私も駆け出しの指導者のころは、自分が勝ちたい気持ちが強かった。勝って名乗りを上げたい。そうなると、なんで言う事を聞かないんだ、なんで俺のやり方を無視するんだ、とか、負の気持ちがもたげてきて、ストレスになる。チームの雰囲気も良くない。

いつの頃からか、勝ちたい、から、勝たせてやりたい、という心境になった時、指導が変わってきたと思います。選手の言葉に耳を傾けて、指導が丁寧になって、それが個の指導へと流れていったのだと思います」

大後監督は、夏の甲子園で優勝した仙台育成の須江監督の考え方に感銘を受けたという。
「勝ちたいと、勝たせてやりたい、の大きな違いを早い時期からよく体得しており、それを体現したことが素晴らしい」と語る。

――大後監督が指導する上での信念は、何なのでしょうか。

「シンプルですよ。指導者のアプローチが選手の成長に寄与しているか。そして選手の幸せに繋がっているか。常にこのことを考えて、決断しています。そして選手には、『学生アスリートとしての活動が、社会とどの様な繋がりがあるのかを常に意識しなければならない』と伝えています」

大後監督は、競技に対して迷いがある選手には「今の環境は当たり前じゃない。今を疎かにするのではなく、先のことを考えるからこそ、今を全力で取り組むべきだ」と、伝えている。ただ、競技をやめる時期は必ず来る。その時の自分に向き合う覚悟が出来る人間でいて欲しいと、願っている。

取材・文/佐藤俊

佐藤俊

北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年にフリーランスに転向。サッカー、陸上(駅伝)、卓球など様々なスポーツや伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著書に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)など多数。

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