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山口百恵とビートルズが転機。「日本武道館」が“アイドルの聖地”になった理由

集英社オンライン / 2022年10月14日 12時1分

今やアイドルたちにとって「日本武道館」は聖地であり、ライブ開催の目標とされてきた場所だ。しかし、そもそもアイドルはなぜ武道館を目指すようになったのか。カルチャー研究に詳しい関西大学文学部教授の森貴史氏に話をお伺いし、その理由を紐解いていく。

ビートルズ、山口百恵が変えた「武道館」の意義

10月から放送開始されたドラマ『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(テレビ朝日系列。平尾アウリ原作の漫画)は、岡山県で活動するマイナー地下アイドル・ChamJam(チャムジャム)のメンバー・市井舞菜に人生を捧げるオタク・えりぴよの熱狂ぶりを描くドルオタコメディ。

なかでも、原作に登場する「いつか舞菜が武道館のステージに立ってくれたなら…死んでもいい!」というえりぴよのセリフは本作を象徴するセリフだ。



と同時に、アイドルと武道館の深い関係を端的に言い表している言葉とも受け取ることができる。アイドルファンにとって推しが武道館の舞台に立つことは、大変誇らしい出来事なのだ。


ただ武道館という場所は、本来芸能とは縁がない場所であったと森氏は語る。

「武道館は文字通り武道の稽古場、競技場として設計された建物であり、日本武道の聖地でした。そのため、非常に保守的な風土が強く、芸能とは程遠い場所だったんです。

しかし、1966年に英ロックバンド・ビートルズが武道館でライブ公演を行ったことにより状況は一変。

彼らの公演は一部の保守層から反発されたものの、日本の芸能界に与えた影響は絶大で、当時の保守的な流れを打ち砕き、カウンターカルチャー、ポップカルチャー的なものを開くパワーがありました。

しかも、それが武道館という厳正な空間で行われたことだったので、若者は時代の変化をより感じ取ることができたんです。

以降、閉塞的な時代からの変化の象徴として、武道館はアイドルを含むアーティストから芸能の聖地として憧れるようになったのだと考えられます」

ロックバンド・爆風スランプの楽曲『大きな玉ねぎの下で』の制作秘話は武道館とアーティストの関係を象徴する話として印象的だ。

武道館の上部にある正八角形の大屋根・擬宝珠のことを「玉ねぎ」と名付けたこの曲は、メンバーのひとり・サンプラザ中野が武道館初のライブにプレッシャーを感じて作ったという。爆風スランプにとって、武道館がどれだけ存在感の大きな場所であったかがうかがえる。

このようにそもそも武道館は、アイドルのみならず、音楽そのものの聖地としてみなされる場所だということがわかる。

ではなぜアイドルにとって武道館が特別な場所へと変化したのか。それはあるアイドルのコンサートがきっかけだったと森氏は力説する。

「そのアイドルとは山口百恵です。彼女の引退コンサートは、アイドルと武道館の関係性を特別にした印象的な出来事でした。

当時の山口百恵は絶大な人気を誇っていたまさにトップアイドル。その彼女がキャリア絶頂期の1980年に21歳の若さで結婚&引退会見をしたことは、本当に衝撃的だったんです。

そして、10月5日に武道館でファイナルコンサートを行い引退。大人気アイドルがたくさんのファンに見守られ武道館でその活動に終わりを告げたことは、後続のアイドルたちにとって武道館を特別な場所へと印象付けた、大きな事件だったのではないかと思います」

立地、建物の構造を見ても他とは一線を画す

アイドルにとっても武道館が特別な場所だという印象になったことはわかったが、森氏いわく「その立地にも注目すべき」とのこと。

「私はハロー!プロジェクト(ハロプロ)メインで遠征に出かけておりまして(笑)、さまざまなライブ会場を訪れましたが、やはり武道館は特殊な場所にあると感じますね。

第一に東京のど真ん中の立地である北の丸公園内にあるので、存在自体が非常にシンボリックです。そして、入場する際には江戸城の遺跡を通る必要があるため、歴史と伝統の場に足を踏み入れるという通過儀礼的な側面もあるかと。

『推し武道』の原作漫画でもChamJamのメンバーが武道館(ただし、実際に訪れたのは東京武道館)を訪れて感慨にふけっていましたが、岡山出身の彼女たちのような地方アイドルからすると地理的、知名度的、歴史的にやはり目標であり憧れの場所となっているんでしょう」

さらに森氏は武道館の設備や館内設計も異質であるという。

「武道館は均衡のとれた左右対称の作りになっていて、中央を客席、1階席、2階席が囲みます。この1階席、2階席がかなりの高さでして、特に中央から離れた2階席の端(後ろ)、通称『天空席』は中央から70mほどの遠さとなります。

これがどういうことを意味しているかと言うと、演者側からすれば体感的に360度、上から下までファンに埋め尽くされている状態に感じるわけです。

見渡す限りファンが自分のことを見てくれるということに加えて、武道館はドームに比べると規模も小さく、観客と演者の距離が近いのでより一体感を抱くはずです」

ファンの声援を正面からだけではなく背中でも受けており、それが常にアイドルを演じなくてはいけないという緊張感を発生させ、アイドルとしての気持ちを引き締めてさせているのかもしれない。

これはプレッシャーともとれるが、見方を変えれば誰もが自分を見てくれる特別な状況とも受け取ることができる。四方八方をファンに囲まれているライブの様子は、ステージに立つアイドルにとって最高の空間となり得るのだ。

そして、この特別なステージを観たアイドルの卵たちにも鮮烈な印象を残したに違いない。

アイドルという物語の終着点としての武道館

武道館はアイドルにとって憧れの場所であると同時に、ファンが自分のことだけを見てくれる最高のライブ会場であることがわかった。

しかし、アイドルが武道館に到達するまでは並々ならぬ努力、才能、運が必要ではないだろうか。

「おっしゃるとおりです! 10年ほど前からアイドル戦国時代と呼ばれるようになり、地下アイドル、ローカルアイドルなどアイドルの方向性の変化、母数の増加が顕著になりましたが、武道館でライブをできるアイドルは一握り。

メジャーデビューできないアイドルもいるわけですから、大多数のアイドルにとって武道館は夢のまた夢です。よく巷で言われている『アイドルの活動限界年齢は25歳まで』という話にもあるように、武道館ライブまでの道のりは本当に過酷なものだと一アイドルファンとして実感しています」

だからこそ推しのアイドルが武道館でライブをできた暁には、感極まってしまうのだとか。

「アイドルの歩んだ軌跡って物語としてファンに受け止められやすいんです。どんな歌を歌って、どこでライブをして、どんな挫折をして、それを乗り越えて……というように推しの活動一つひとつを見ていくことによって、ファンは彼女たちへの理解と思い入れを深めていきます。

特に今のアイドルはグループ活動が主流。事務所がある程度の方針は決めるものの、基本的にはアイドル一人ひとりに主導権を持たせて活動させています。ここが70~80年代の厳格なコンセプトや演出のもとに作られたアイドルとの大きな違いでしょう。

ひとつのグループのなかで競い合って、お互いを高め合っていくアイドルたちの過程に我々(ファン)はカタルシスを感じるわけです。

そして、その物語の終着点となるのがまさに武道館。ちなみに私の推しである元ハロプロ所属の稲場愛香さんも今年の5月30日に武道館で卒業コンサートを行い、ハロプロを巣立っていきました……。

ハロプロは武道館を卒業の場所として認識しておりまして、何人もの先輩アイドルが卒業コンサートを行ってきました。アイドルの聖地・武道館で卒業できるのは本当に名誉なことですから、多くのアイドルにとっては理想の終わり方とされています。アイドルに武道館はこのうえなくふさわしい舞台と言えるでしょう」

――ポップカルチャー時代のはじまりを告げ、山口百恵によって伝説と化した日本武道館。アイドルにとって武道館とは“憧れ”の場所であり、そこでライブをすることはアイドルという偶像が“神格化”することを意味するのかもしれない。武道館はこれからもアイドルたちの目標であり続けるだろう。

文月/A4studio

編集プロダクションA4studio(エーヨンスタジオ)所属のライター。人から1000円もらって「ご飯食べていい」と言われたら、350円ぐらいおつりを出してしまうほどの小心者。ギターが趣味だが、さぼり癖が抜けず永遠の中級者。最近、コンビニ食中心の食生活を見直したくなった。

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