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飲めなくても人生は素晴らしい! 下戸には下戸の生き方あり

集英社オンライン / 2022年10月19日 13時1分

世の中には酒の飲める人とそうでない人がいる。いわゆる「下戸」と呼ばれる後者の人間は日々何を思うのか。酒の飲めないコラムニスト・佐藤誠二朗氏の悲喜交々。

妻の前に置かれた飲み物と、自分の前に置かれた飲み物を、
そっと入れ替える日常

お酒が好きな妻に対し、僕は下戸だ。
だから外食の際には、店員さんが黙って置いた僕の前の生ビールと妻の前のコーラを入れ替えてから飲みはじめるのが常である。
実際、世の中では夫が酒で妻がソフトドリンクという組み合わせの確率が多いのだろうから、気を効かしたつもりの店員さんを責める気はないが、これはこれで一種のジェンダー不平等の現れではあるまいか?などという考えも頭をよぎる。

中学生の娘を含む一家で食事に出かけると、ことはもっと複雑になる。


僕の前にハイボール、妻の前にジャスミン茶、そして娘の前にはカルピスソーダが当たり前のように置かれる。

残念、全問不正解だ。

娘は小さな頃から、なぜか甘い飲み物をあまり飲まないのだが、僕はこれまでの53年間の人生、一貫して甘い飲み物を好んできた。
店員さんが立ち去ったのち、妻にハイボール、娘にジャスミン茶、そして僕にはカルピスソーダと、正しく配置し直すことになる。

日本人を含む東アジア人は、欧米人やアフリカ人と比べ、遺伝的に酒に弱い人が多いという。
体内でアルコールを無毒化する酵素を作る遺伝子を調べたところ、日本人集団では「酒に強くどんどん飲めるタイプ」は約64%、「そこそこ飲めるけど酔いやすいタイプ」は約32%、そして「一滴も飲めない真の下戸タイプ」が約4%だったという調査結果があった。
欧米人やアフリカ人はそのほとんどが「お酒に強くどんどん飲めるタイプ」らしいので、日本人は遺伝的特性上、お酒に弱い人が多い集団ということになるのだ。

僕の場合、昔から酒は苦手だが一滴も飲めないわけではない。
でも、気持ちよく飲めるのは、ビールの場合はコップ半分ほどであり、それ以上飲むととたんに頭が痛くなってくる。
コロナ禍になってからそんな機会もとんとなくなってしまったが、大勢が集まる飲み会などでは、最初からソフトドリンクを頼むと興醒めしてしまう人もいるようなので、とりあえず一杯だけはお酒を注文。
乾杯して半分ほど飲んだら、人知れずそっとソフトドリンクに切り替えることにしている。

下戸は下戸で、なかなか苦労が多いのだ。

酒を飲まぬことによる、最大の福音(メリット)とは何か

酒に弱い、あるいはまったく飲めないタイプが多い日本人だから、“実はあの人も下戸だった”という例が数多ある。
「下戸 有名人」で検索すると、あの人もそうなのか!? と驚くような人の名前がたくさんヒットする。
泉谷しげる、北島三郎、森田剛、蝶野正洋、的場浩司、宇崎竜童、太田光、浜田雅功など、いかにも飲めそうなのに下戸、という人の名前を見ると、仲間を見つけたようでなんだかうれしくなるのは、一種の“下戸あるある”かもしれない。
歴史的偉人でいうと、織田信長も夏目漱石も一滴も飲めないタイプの下戸だったらしい。

現代の作家では、やはりいかにも飲みそうな浅田次郎もまったく飲まないタイプで、「下戸の福音」というエッセイまで書いている。
そこには酒を飲まぬことによる福音(メリット)として以下のようなことが書いてある。

「酒を飲まぬ夜々を知る人は少ないであろう。長い。ものすごく長い。」(『かわいい自分には旅をさせよ』文藝春秋)

浅田はまた、飲まないがために夜がヒマでヒマでどうしようもなく、しまいには本を読むことにも飽きて書いてみようという気になるのだと、謙遜含みで書き綴っている。

僕はこのエッセイを読んで、「まさにそれ!」と膝を叩く思いだった。
雑文書きを生業としている僕は、同業者と比べて文章を書くのが早い方なのではないかと思っている。
書きあぐねて締め切りを破ってしまったことも、過去にほとんどない(本当は「一度もない」と書きたいところだが、自分の記憶にない件で「あのときのことを忘れたか!」と誰かを怒らせてしまうとまずいので、“ほとんど”と言っておきます)。
大作家と自分を並べるのは甚だおこがましいのだが、それは浅田次郎と同様に、酒を飲まぬゆえに夜がものすごく長く、ヒマでヒマで仕方がないからに違いない。

何も僕のような売文業に限らず、仕事に費やす時間が足りないと思っている人、あるいは極めたい趣味があるのに忙しくてなかなか取り組めない人などは、思い切って酒断ちしてみたらどうだろうか。
それだけで、ヒマでヒマでしょうがない長い夜の時間が、そしておまけとしてアルコールの影響を受けていないクリアな頭が手に入るのだ。

酒を飲まないことはいいこと尽くしだが、
ひとつだけ酒飲みをうらやましく思うこと

酒が飲めなくてよかったことを5つあげるとしたら、第一位は前述のように「長い長い自分のための時間が手に入る」ということになるだろう。
以下はまあ、誰にも予想がつくことかもしれないが、こんなところだ。

・酒のための出費がほとんどないこと。
・酒を飲んだうえでの失敗をしないこと。
・いつどこへでも自分の車で行けること。
・生涯、一貫した人格で生きられること。

最後の項目だけ、少し説明が必要だろうか。
酒を飲む人の多くは、酒量がかさみ酔いが回ってくるほどに、しらふの自分とは違う、もうひとつの人格のようなものが出てくる。
そうした酔いのメカニズムをやや面倒臭く解説をするならば、アルコールが血中を通って脳内に達すると理性を司る大脳新皮質が麻痺し、抑えられていた脳の原始的な部分である大脳辺縁系の活動が活発になって、本能や感情がむき出しになる、ということになる。

え? 怖くない?

これは人によって考え方も違うのだろうが、少なくても僕自身は、人間に生まれた以上、理性で本能を抑え、一貫した人格で生きたいと思っている。

ただ僕は、お酒を飲む人が嫌いなわけではない。
一緒に飲みに行った人が、僕がリンゴジュースをちびちびやっている間にどんどん酒盃を重ね、大きな気持ちになってあらぬことを口走ったりするのを見ていると楽しいし、そんな酔っ払いを相手に行ったり来たりの会話をするのも面白いと思っている。
だが、矛盾するのかもしれないが、自分もそうなりたいとは決して思わない。

ましてや、電車で正体をなくし、ひっくり返っていびきをかいている中年男性や、酒に酔って犯罪を犯してしまった人のニュースをテレビなどで見ると、「ああ、自分は酒が飲めなくて本当に良かった」と思ったりするのだ。

ところで、酒に強い人をうらやましいと思ったことはこれまでほとんどないが、一つだけ。

一人でふらっと小さなバーや居酒屋に行けることは、とてもうらやましい。
友人や妻に付き合ってそういう店に行くと、店の雰囲気や料理の美味しさに関心し、「ああ酒が飲めれば、一人でこんな店にも来れるのになあ」と思ったりするのだ。
だって、一人でふらっと入ったバーで、ひたすらジンジャーエールだけ飲み続けることを考えるとなかなか寒いから。

だから僕のような下戸のために、誰かぜひソフトドリンク専門のバーか居酒屋を開いてくれないかな。
ソフトドリンクだけだから、そう、“軟式酒場”などというカテゴリーを新設するのはどうだろうか。

文/佐藤誠二朗

佐藤誠二朗

編集者/ライター、コラムニスト

1969年東京生まれ。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わり、2000〜2009年は「smart」編集長。カルチャー、ファッションを中心にしながら、アウトドア、デュアルライフ、時事、エンタメ、旅行、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動中。著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』(集英社 2018)、『日本懐かしスニーカー大全』(辰巳出版 2020)、『オフィシャル・サブカルオヤジ・ハンドブック』(集英社 2021)。ほか編著書多数。

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