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独特の声質と波動。ユーミンの歌声が時代も世代も超えて、心に刺さる理由

集英社オンライン / 2022年10月21日 17時1分

音楽プロデューサー、作・編曲家として、これまで数限りないミュージシャンたちと仕事をしてきた武部聡志氏。1980年代初頭から松任谷由実のコンサートで音楽監督を務め、数々のヒット曲のアレンジを手がけてきた武部氏が、今年50周年を迎えたユーミンのボーカルの魅力を語る。

ベースにはユーミンの曲の世界観がある

日本でいちばん多くのボーカリストと共演した音楽家――武部氏をそう評しても、おそらく過言ではないだろう。彼にとって、本当に優れたボーカルとはいったい誰なのか? 今年デビュー50周年を迎えた松任谷由実を例に、彼の“ボーカル論”を探っていく。

――レコーディングやライブ、『FNS歌謡祭』や『LOVE LOVE あいしてる』などのテレビ番組などでたくさんのボーカルの方とお仕事をされてきました。計何名くらいになりますか?



武部 カウントはしてないですけど、やったことのない人のほうが少ないでしょう。僕より上の世代の人で実際にお仕事をしたことのないのは、たぶん中島みゆきさんと矢沢永吉さんくらい。あとはほぼみなさんと一緒にやってますね。

――ちなみに『FNS歌謡祭』で音楽監督を務めるようになった2004年以降、番組にはのべ1300組強のアーティストが出演しています。

武部 それくらいいます? だったらおそらく計2、3000人の方とはやってると思いますね。1980年代にはいろいろな方のアレンジもしていたわけだし。

――そのなかでも最も長くお付き合いしてきたひとりが松任谷由実(以下ユーミン)さんです。武部さんがツアーの音楽監督を担当されたのは83年からですね。

武部 はい。初めてバンドに参加したのは80年の「BROWN’S HOTEL」ツアーですけど、そのときはキーボードがダブルキャストで、僕と新川博くんが交代で地方を回りました。だから全ステージは一緒にやってないんですね。その後、僕は竹内まりやさんのバンドに移ったので、81年、82年のツアーには参加していません。

83年にユーミンが初めて日本武道館公演をやるタイミングで、松任谷正隆さんから「バンドをリニューアルしたいので、武部の好きなメンバーを集めてやってほしい」と声がかかり、それから音楽監督というかたちでかかわるようになりました。

そこからはもう怒涛のように、80年代は毎年何十ステージとおこない、夏の逗子、冬の苗場があって、あっという間に40年近く経ちますね。

――83年の武道館公演は「REINCARNATION」ツアーの初日でしたが、音楽と照明をシンクロさせたり、レーザーを大量に使ったりと、ユーミンのライブがエンターテイメント化していく、その先駆けとなる公演だったはずです。

武部 そうですね。ユーミンのライブというのは、ライティングであったり振り付けであったり、音楽以外のショーアップする要素がいろいろ入ってくるんですが、ベースにはユーミンの曲の世界観があって、それをどう届けるか、つまりよりわかりやすく届けたり、スケールをより大きくして届けたり、それがテーマなんです。だから音楽的に無理なことをやってきたわけではありません。

ただ80年代という時代もそうですし、われわれの年齢的な部分でもそうですけど、イケイケな時期でしたから、次は新しいアレンジにトライしようとか、新しい機材を投入しようとか、そういう実験の場でもあったと思います。

それが83年に始まって、90年の「天国のドア(THE GATES OF HEAVEN)」ツアーでひとつのピークを迎えるのかな。アルバム『天国のドア』のセールスが日本で初めて200万枚を超えて、われわれのチームにピンク・フロイドのライティングを手がけていたマーク・ブリックマンを迎えて、それが次の転機になったんじゃないですか。そのストーリーを話していくと、えんえん続いちゃいますけど(笑)。

――ともあれ、ライブのベースにあったのはユーミンの曲の世界観をどうオーディエンスに届けるかということだったんですね。

武部 はい、僕が初めて参加した「BROWN’S HOTEL」ツアーは作家の伊集院静さんの演出で、「REINCARNATION」ツアーはCMディレクターの黒田明さん。松任谷さんの演出になったのは87年の「DIAMOND DUST」ツアーからでしたが、そこからは演出と音楽との親和性が深まって、すべてのベースに音楽があるようになったと思います。

ユーミンは物語を伝えるストーリーテラー

――武部さんは音楽監督として、ユーミンの曲の世界観をどうとらえてきましたか?

武部 例えば『ひこうき雲』という曲は“死”を扱った曲じゃないですか。そういうものって、日本のポップスのなかでは今まであまりなかったものだし、ユーミンの書く詞にはいろいろな角度のテーマがありますよね。

あるときは“生と死”、あるときは“恋愛”、またあるときはもっと大きな“人類愛”みたいなものにフォーカスを合わせたりする。異国の地に連れていってくれるときもありますね。

おそらく彼女はさまざまなこと――旅をしたこと、絵画を見たこと、映画を見たこと――などにインスパイアされて、それを自分の言葉として紡いできたから、たくさんのタイプの歌があるんです。曲のバリエーションの多さでは、たぶん日本一でしょう。

ユーミンのやってることは、ストーリーテラーとして物語を伝えるということなんだと思います。その点は荒井由実だったころと大きく違っていて、荒井由実時代は自分の目に見える景色やティーンエイジャーの壊れそうな心を紡いでいましたよね。

だけど松任谷由実になってからは、俯瞰で物事を見るというか、自分の経験だけでなく架空の世界を詞に綴るようになった。何だろう、映画監督のような目を持ってるのかもしれませんね。

ワンコーラス目はこのカメラのアングルから、ツーコーラス目は違うカメラのアングルからというように、ひとつのストーリーを立体的に歌詞にすることができる方じゃないかなと思います。

――じゃあ武部さんは、そのストーリーをライブでどう表現するかをずっと考えてこられた。

武部 そうです。だからそのストーリーがよりグッとくるように、ライブではディスクより派手にする部分もあるし、具体的にいえば決めを増やして、ライティングとの相乗効果でアタックを付ける部分もあるし、いろいろな手法がありますよね。

ライブにおいては、ストーリーをよりわかりやすく、スケールをより大きくして届けるということに主眼を置いてきました。

感情を抑えて歌うほうが、物語は伝わる

――間近なところからずっと見てきて、ユーミンのシンガーとしての魅力はどこにあると思いますか? そもそもユーミンはソングライター志望で、歌うことには消極的だったんですよね。

武部 最初はそうですね。作曲家を志望していて、アルファレコードに楽曲を持ち込んで。同時代に周辺にいた方々、吉田美奈子さんや大貫妙子さん、矢野顕子さんといった方々はみんな、作家としても、シンガーとしても個性的です。

そのなかでユーミンにとっては、作家としての個性のほうが大事だったのかもしれません。でも自分が作る曲の世界観は自分の声でないと表現できないと、どこかで気づいたんでしょう。自分が紡いだ物語や切り取った世界は自分の声がいちばんフィットするんだって。

すごく失礼な言い方をすれば、ユーミンは歌唱力でねじ伏せるようなタイプではありませんよね。でも彼女の声には波動みたいなものがあって、その声で聴くからこそ刺さる部分が確実にある。

『ひこうき雲』をもっと歌いあげるタイプのシンガーが歌ったら、ああいう響き方はしないと思うんです。ユーミンのように無機的で、暑苦しくない温度感の声質で歌われたとき、聴く人はあのストーリーに感動するんじゃないかな。

――武部さんは著書『すべては歌のために』(リットーミュージック、2018年)のなかで「ひと声出しただけで世界が変わるような声で歌う人が好き」と書かれていて、その代表例としてユーミンの名前を挙げています。

武部 そこがユーミンの魅力ですよね。シンガーという点で考えるなら、独特の声質を持っていること、それに声に独特の波動があること。そのバイブレーションが聴いている人に伝わったとき、曲の説得力が増すんだと思います。

――ユーミンの声や歌、そのスタイルは、キャリアを通じてどう変化してきましたか?

武部 80年代に一緒にステージをやるようになったころは、もっと力業というか、叩きつけるようなソリッドな歌い方でしたね。でも年齢とともに、包容力みたいなものや温かさみたいなものがだんだん増してきたと思います。だから同じ曲でも、当時の歌い方といまの歌い方では、全然別の聴こえ方がするかもしれないです。

――武部さんにとって、ユーミンのシンガーとしての魅力がよくわかる曲は何ですか?

武部 何だろう、いっぱいありますよね。その年代ごとに代表曲があると思いますけど、荒井由実時代なら『ひこうき雲』や『やさしさに包まれたなら』はユーミンの声ならではでしょうし、『中央フリーウェイ』なんかもそうですね。

松任谷由実になってからは、僕が個人的に好きなのは『夕涼み』みたいな曲。『守ってあげたい』の、自分で重ねているコーラスもユーミンならではです。ほかの人が同じように重ねても、ああはならないはずですから。

僕が大好きなのは『NIGHT WALKER』ですね。あまりエモーショナルにならずに、感情を抑えて歌っている歌い方のほうが僕は好きです。それがユーミンの魅力だと思います。

物語に入り込んで、歌いながら自分で感動して泣いちゃう人がたまにいるじゃないですか。でも感情移入を抑え気味にして歌ったほうが、物語は伝わる気がするんです。ユーミンの場合はそうですね。

だからそういうクールな歌い方をしてる曲のほうが、僕は好きなのかもしれない。そのタイプの曲はほかにもたくさんありますけど、『Hello, my friend』も暑苦しく歌ったら、まったく別の曲に聴こえてしまうでしょうね。

――歌い手が感情を煽るのではなく、あくまで聴く人のなかに感情を広げていくというような歌い方ですね。声と歌詞の相性も何か関係していますか?

武部 前にユーミンが「自分の声が好きじゃないと歌えないよ」って言っていたことがあるんです。だからユーミンは自分の声がいちばんよく聴こえる歌詞を選んでいると思います。

ユーミンが特殊なのは、後から歌詞を書いてますからね。曲を書いたあと、アレンジにインスパイアされるなど、ある程度制作が進行してから歌詞を書くので、歌詞とサウンドもすごくマッチしているんです。

自己管理を怠らない、徹底したストイックさ

――ユーミンは今年デビュー50周年を迎えましたが、これまでのお付き合いを通じて印象深いことは何ですか?

武部 僕が音楽監督をやるようになってから、アリーナツアーをやったり、ロシアのサーカスとコラボレーションした「SHANGRILA」をやったりとか、ステージはどんどん巨大化していきましたけど、その一方で苗場みたいな小規模な場所でも毎年ライブをやってきました。

要するにCDをリリースしない年はあっても、ライブをやらなかった年はないわけです。それだけユーミンはライブに重きを置いてきたんですよね、自分の活動のなかで。

だからどんなに体調が悪くても、コンサートを飛ばしたことは1回もありません。例えば本編で足をくじいて、どれだけ激痛があったとしても、アンコールはそのままやりますから。

――「38度までは平熱」とユーミンが言っているのを、インタビューで読んだことがあります。

武部 だから、いわゆるショービズに対する心構えというか、気迫みたいなものかな、それはすさまじいものがあると思いますね。その日、ステージを見にきたお客さんたちに、ちゃんと納得して帰ってもらう。そのためにステージでは毎回全力投球する。

決して手を抜かないし、そのときのベストを尽くす。これだけ長いあいだ一緒にやってきても、それはいまだに変わらない姿勢です。

直近の「深海の街」ツアーでも、誰よりも早く会場に入って、決められたウォーミングアップのメニューをこなして、歌う前日には絶対にお酒を飲まない、一滴も。

そういう徹底した自己管理を怠らないんですよね。ストイックという言葉は彼女のためにあるんじゃないかと思うくらいストイックです。それが50年も続けてこられた、ひとつの要因でもあると思います。

構成・文/門間雄介 撮影/野﨑慧嗣

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