―― 約8年にわたり、雑誌『Marisol(マリソル)』で連載していたエッセイが一冊の本に。まず、書籍化のオファーが届いたときの感想を教えてください。
正直、「これ、本にしちゃって大丈夫なの?」と思いましたよね。基本的に雑誌って1ヶ月で店頭から消えていくから。ある意味、無責任に“その場だけ”の感覚で話せてしまうというか。毎回、家族や友達の話が出るたびにライターさんから「書いていいですか」と確認されたんですけど、それに対しても常に「大丈夫、大丈夫」って。「家族も友達も読まないだろう」の気持ちでそう答えていましたからね。ただ、これが一冊の本になるとそうもいかない。しばらくの間、本屋に並び続けるし、家族や友達も気を遣って買ってくれたりするだろうから。そこには少しばかりの責任が生まれるわけで。だからこそ、「本にしちゃって大丈夫なの?」って(笑)。
―― ある意味、雑誌の連載だったからこそ語ることができた、そんな感覚があったということでしょうか。
そうですね。娯楽として軽くポップに深く考えずに饒舌になっている自分がいたというか。さらに、この連載は私の話をライターさんが文章にまとめてくれるというインタビュー形式だったんですけど。実は、そのインタビューはいつも飲みながら行っていたんですよ(笑)。最初の頃はアルコールのない場所で真面目にやっていたんですけど。編集さんがご近所に住んでいたこともありまして。
「ゴハン食べながらやりましょう」になり、それがいつの間にやら「飲みながらやりましょう」に。編集さんが選んでくれたお店で、美味しいものを食べながら、お酒も入って心が緩んだところに、聞き上手のライターさんが「わかる!! わかります!!」と共感のシャワーをかけてくれる……。乗せられて話しているうちにどんどん思い出が蘇ってきたりして。で、気持ちよく酔って、何を話したかの記憶もスッカリ失くし、原稿チェックで自分の発言を確認。そこで「私、ちゃんと面白いこと言ってるじゃん」と安心する。毎回、そんな感じでしたからね(笑)。
―― 今作では「食」をテーマに様々な思い出を語られていますが、そこには、その時々の大久保さんの姿も。若い頃はペロリと食べることができたスイーツの『まるごとバナナ』が今はもう半分も食べられない、そんな体験談をはじめ、妙齢女子なら誰しもが「わかる、わかる」と頷きたくなるエピソードが多々。そのひとつひとつに笑ったり、しんみりしたり、同じ痛みを分け合っている気持ちになったり。大久保さんと一緒に飲んでいるような、そんな気持ちで読み進めることができました。
それこそ、女子会の延長のような雰囲気の中で生まれたものなので。読む人は女友達と「膝が痛いよね」とか、「親も年取ったよね」とか、「いい加減、結婚したいよね」とか、そんな話を延々としている気持ちになるのかもしれませんね。