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土砂降りの車中泊の旅。秋の木曽路から飛騨路の道のりをどんなふうに走ったか

集英社オンライン / 2022年10月29日 10時1分

中古のおんぼろエブリイを自力カスタムし、“行き当たりばったりの自由な旅”を実現できる車中泊の旅を始めてみた。2度目となる旅は、土砂降りの木曽路から飛騨路の6日間。その前半の旅日記をお届けする。(全3回の第1回)

6日間の空きを見つけ、2度目の車中泊行き当たりばったりの旅へ

古いバイクにまたがり、友人とともに南米諸国を旅した若き日のチェ・ゲバラ。
58歳にして特注キャンピングカーを駆り、愛犬とともにアメリカ一周をした文豪・スタインベック。

彼らのように、自由な旅をしたいと思いたったのは今年はじめのことだった。

自由のために、旅の原則を三つ決めた。

公共交通機関を使わないこと。
高速道路を使わないこと。
そして、宿には泊まらないこと。



それなら車中泊の旅しかないと考えた僕は、友人のつてで手に入れた激安オンボロスズキエブリイを自力でカスタム。必要最低限の装備ながら、快適に車中泊ができる専用車を作りあげた。

そして8月には初めての車中泊の旅を敢行した。8泊9日間で東北地方を巡る旅だ。

それは初めての車中泊による長旅だったし、犬を連れていったこともあって、楽しくもあり難しくもあった9日間だった。
狭い車中で連泊していたので疲れもたまったが、東京の家に戻って一週間もすると、早くも次の車中泊旅に思いを馳せ、気持ちがうずくようになった。

僕は基本的に自宅の自室で仕事をするフリーランスの編集者兼ライターなので、いくらでも自由な時間はあると思われるかもしれない。
それに今はリモートでこなせる仕事も増えた。
だが、対面での打ち合わせや取材・撮影なども少なくないし、中二の娘や会社勤めの妻とも都合を合わさなければならず、なかなか次の旅に出るための日程をやりくりすることができなかった。

しかし10月も中旬。ようやくそうした予定が入っていない連続6日間を発見。
すかさず準備を整え、第2回目の車中泊旅行に出ることにしたのだ。

出番を待つ僕の車中泊専用車

現在はその旅も終え、東京の家で机に向かっている。
初めにお断りしておくと、特に大きな事件が起こったわけでもない凡庸な旅だったのだが、車中泊という手段を使い、事前に計画を何も立てずに行き当たりばったりで、おっさんが地べたを這うように旅をするとどうなるのか。
そのいきさつに興味のある奇特な人もいるのかもと思い、本稿を書き進めている次第である。

数回に分けて書く予定の旅日記。今回はその第一回目だ。

進む方角さえ決めずに出発。
まず向かったのは山の家からほど近い「ハードオフ」

DAY.1(1日目)

午前中は東京・世田谷区の家で仕事をしていた。
出発予定日なのだが、車中泊用の車は手元にない。
僕は普段暮らしている東京・世田谷区の家のほかに、山梨県・山中湖村の“山の家”で過ごすことも多いデュアラー(二拠点生活者)で、車中泊用のエブリイは山の家の方に置いてあるのだ。
午後にはバスで山中湖に向かう予定だったが、妻が山の家へ行く用事があるということだったので、車で送ってもらうことにした。

山の家では15時から某出版社とのズーム会議。
それを済ませたあと、いよいよMy車中泊カー・スズキエブリイで出発した。

出発直後、雄ジカに遭遇。ツノのある雄に会うのは珍しい

この時点でまだ行き先も目的も何も決めていないのだから、行き当たりばったりも甚だしい。
「どこに行こうか」とぼんやり考えながら、とりあえず河口湖方面に向かった。
河口湖町の国道139号沿いにある「ハードオフ」で、前からこの車に装備したいと思っていた機器を探そうと考えたのだ。
それはすぐに見つかった。
ケンウッドの型落ち中古ドライブレコーダー(本体のみ3800円なり)である。

購入してすぐにセットしたドラレコ

もちろん、万が一の事故やあおり運転に遭ったときの備えという意味が第一だが、それ以外にも、前の車中泊旅でドラレコの必要性を強く感じた一件があったのだ。

ほかの車にまったく出会わない夜中、下北半島の寂しい国道を一人ひた走っていたときのことだ。
カーブを曲がった先の道の真ん中に、どっかと座り込んでいるクマと目があった。
一瞬呆気にとられたのち、慌ててスマホのカメラを構えたがときすでに遅く、クマは道の脇の茂みに入り、姿を消していた。
ドラレコさえあれば、千載一遇のクマ事件をちゃんと記録できていたのに……。
その件が悔やむに悔やまれず、ドラレコを装備することにしたのだ。

そして「ハードオフ」の駐車場で、改めて行先を真剣に考えた。
5泊6日は、一般道をトロトロと走る僕の旅スタイルでは、決して長い予定ではない。
しかも初日である今日は、東京から山の家までの移動や仕事、それに自力によるドライブレコーダー設置などのせいで、もう日が暮れかけており、実質、明日からの5日間しかない。
だから無理して遠くへ行くことは考えず、近県をじっくり攻めようと考えた。

たとえ雨が降っても満足できそうな、未訪の地はどこだろう

天気予報を見ると、残念ながらこの先はあまり天気が芳しくなく、半分くらいは雨、残りの日もほとんど曇りばかりで、すっきり晴れる日はなさそうだ。
とすると、自然の景色を見にいっても、不完全燃焼になることが予測できた。

たとえ雨降りの日でも満足できて、これまでに行ったことがない旅先はどこだろうか?
そう考えた僕は方針を定め、進路を北西に取った。
目的地は岐阜県。
本州中心部の深い山の中に残る、日本の原風景とも言える古い街並みや建造物を見に行くことにしたのだ。

国道139号から精進湖の手前で国道358号へ。甲府市街地で今度は国道20号へ移り、どんどん北上していった。
途中、山梨県中央市の「みたまの湯」で入浴することにした。
ほとんどの施設が500円以下だった東北地方の温泉と比べると、税込780円と割高なのだが、まあ仕方がない。
「みたまの湯」は、烏龍茶のような茶褐色でトロリとした泉質。非常に気持ちよかった。

眺望が素晴らしかった「みたまの湯」

ここの温泉の最大の売りは眺望で、露天風呂からは甲府市街の夜景が一望できる。
温泉では全国初の“夜景100選”に認定されているらしく、この眺めを楽しめただけでも来た甲斐があった。

夕食は「みたまの湯」の食事処で“煮カツ重”を食べた。
卵でとじた普通のかつ重のように思えるが、山梨県ではこれを“煮かつ”と呼び、ただ“かつ重(丼)”と言うと、他の地域では“ソースカツ重(丼)”と呼んでいるものが出てくるのだとか。
旅をしていると、こうした小さな「へえ」に次々と出くわす。

カツ重ではない、煮カツ重なのだ

「みたまの湯」をあとにした僕は、再び国道20号を北上。
長野県との県境手前で東へ方向を変え、21時過ぎ、道の駅こぶちさわに到着した。
ここで、朝まで休憩し、仮眠をとるのだ。

木曽路から飛騨路へ。雨が降り止まず、ただただコマを先に進めるのみ

DAY.2(2日目)

前日からかなり気温が下がっていたのだが、持参してきたダウンの寝袋にくるまったら暖かく、気持ちよく眠ることができた。
夜が明けてから車のカーテンを開けて外を見やると、冷たい雨が降っている。
今日は一日中、雨が上がることはないという予報だ。
そういう日は、ひたすら移動するに限る。

国道20号で長野県に入り、茅野市からは国道152号に移って峠道を越えた。
伊那市に入る頃には雨がいよいよ激しくなってきたので、道の駅大芝高原で休憩をとる。
道の駅内のお店で地元産のブドウを2パック買い、窓を打つ雨を見ながら食べた。

道の駅で買ったブドウのパック

いくら待っても小降りにならないので、気を取り直してエンジンをかけると、国道361号で西に進路をとった。

権兵衛峠に穿たれた長い一直線のトンネルを抜けると、そこは木曽だった。
「木曽路はすべて山の中」というのは本当で、土砂降りの中、山々を駆け抜けて岐阜県に入った。

土砂降りの山を越え、岐阜県へ

木曽路は終わり、これより“飛騨路”だ。
それからどのくらい走っただろうか。気づいたら岐阜県高山市に到着していた。
今回の旅の最初の目的のひとつが高山の町並みを見ることなのだが、この日はもう日が暮れかけていたので、見学は明日に持ち越し。

一旦、高山市市街地を通過して飛騨市に入り、「四十八滝温泉しぶきの湯遊湯館」で入浴した。税込620円なり。
ここのお湯は透明で、さらっとした泉質だった。

四十八滝温泉しぶきの湯遊湯館

雨の中、店を探してさらに走り回るのも鬱陶しかったので、昨日に続き、そのまま施設内の食事処で食事をとった。
注文したのは煮カツ定食。
鉄鍋の中の煮カツに、自分でといた生卵をかけて完成させながら食べるスタイルで、非常に美味かった。
山をいくつも越えてきたけど、このあたりにも煮カツ文化は浸透しているのだ。

二日連続で似たようなモノを食うのも、誰にも束縛されない一人旅の醍醐味だよな、などと考える。
家族と一緒の旅だったらおそらく「またトンカツ食べるの!?」「違うのにしなよ」などという妻や娘の非難に似た声に押され、きっと違うモノを注文するだろう。
ああ、自由っていいな(実に小さな自由だ)。

二夜連続の“煮カツ”メシ

天気の悪い日はほかに行くところもないので、食後も施設内でゆっくりさせてもらった。
入浴客用の休憩室で少し仕事をしたり読書をしたり。マッサージも受け、なかなか充実したひと時を過ごした。

それにしても今日は、道々にフォトジェニックな場所がいくつもあり、本来であれば車を止めて立ち寄りたいところだった。
だが、土砂降りの雨のため降りる気になれず、そのまま通過してしまったことが心残りだった。
お天道様のご機嫌次第なのでこればかりは仕方がないのだが。

夜も更けた頃、岐阜県・飛騨市の道の駅アルプ飛騨古川に到着。
天気回復を祈りつつ、朝まで休憩・仮眠をとった。


ところで僕は今回の旅に、お供として一台のクラシックカメラを持ってきていた。
MAMIYA C33という1965年製の中判フィルムカメラだ。

MAMIYA C33。出番はいつになる?

これで撮った写真の美しさをぜひ見てもらいたいと思っているのだが、ここまでで出番は一度もなし。

だってこのカメラ、昨今のフィルム代や現像代の高騰により、一度シャッターを切ると大体、牛丼の並一杯分くらいの金額が吹っ飛ぶのだ。
僕はそんなカメラのシャッターをバシバシ切れるような貴族ではないので、日が暮れかけた夕方から出発した初日、そして終日土砂降りだった二日目はまったく出す気にもならなかった。
完全マニュアルで露出もシャッタースピードも自分で決めなければならないこのカメラ、条件が悪いと、ほぼ間違いなく失敗写真になるからだ。
牛丼並一杯がつゆと消えるのである。

さて、3日目からは出番があるのか。
乞うご期待。

画像・文/佐藤誠二朗

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